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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第三話 ラナウン・シー
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再会(再開)

「お疲れさま。今日はもう終わりにしよう!」

「遂に明日だね」

「ええ、明日も頑張ってくれよ」

「レディンも早く寝なよ。前祝いとか言ってハメをはずすなよ」


 誰もが口々に彼らの統率者と挨拶を交わしてから帰っていく。

 初対面の時に、ここまで親密になれるものだとは、ここにいる誰一人として想像してはいなかった。

 楽団員全員が帰途についたのを確認して、彼は明日の本番に備えて自分のためのピアノヘと移った。

 達成感と疲労が入り混じった溜息を吐き出す。

 レディン・マックウェルはここのところ、生まれて初めてではないかと思えるぐらい多忙な毎日を送っていた。

 個人練習だけで終わるピアノならばともかく、指揮の方は上々の仕上がりとはいえなかった。まがりなりとも新人がプロの楽団を指揮するのだから、最初のうちは当然のこととして新旧の軋轢が生じた。

 音楽の才能だけでは、人間関係を円滑にするのは不可能なのである。

 彼は媚びないように、威張らないように、慎重に楽団員と接した。

 わずか二ケ月の練習期間しかないのだから、急がなければならなかったが、慌てすぎても決して良い方向には進まないということをレディンは悟っていた。

 愛するシェルキィからの忠告もあった。

 ゆっくりと時間をかけて、意識して根気良く互いの交流を深める努力を重ねた。天才にありがちな尊大さがシェルキィとの生活で薄れていたのも幸いした。

 対人関係の複雑さに苦心しながら、自分のピアノの練習も行うという、まさにハード・スケジュールをこなしてきたのだ。

 ひどい場合には、練習施設に借りている大学に寝泊まりするということまでしてきた。

 恋人シェルキイや友人達の応援がなければ、すべてを二ケ月で仕上げるのはどだい不可能なことだったろう。

 しかし、彼は成し遂げた。

 明日はついにコンサート当日というまさにその日に、はっきりとした手応えを感じ取れたのだった。

 すべての関係者に感謝したいという気持ちで胸が一杯になった。

 感情が音に反射されるのか、レディンが弾くソナタは彼の思いに満ちていた。

 さすがに疲れが溜まっていたらしく、二曲を連続して流すと、レディンは思い切り反って伸びをした。

 待ちかねたように万雷の拍手が背中にぶつかった。それは何百人もの数が巻き起こす拍手の渦であった。物理的な力をもっているかのように重々しかった。

 咄嗟に手を振って答えてから、はっと振り向いたが、客席には一人の青年が立っているだけだった。

 他には誰もいない。

 さっきの拍手は幻聴かと自分の耳を疑ってしまう。

 明日はコンサート当日なのに、俺はもしかしてノイローゼにでもなってしまったのだろうか?


「さすが、マックウェルさんですね。最高のソナタでした」

「あっ、あんたは」

「お久しぶりです。約束通りにまた会いにきました」


 唯一の人影は、二ヶ月前に出あった音楽好きなコートの青年だった。会いたいと思っていたのが、その願いは叶うことなく、しかし、忘れることはできなかった相手だった。

 なぜ、そこまで彼に執着するのか、レディンも首をひねるほどに。

 その相手に再会できた驚きから、先程の怪異もきれいさっぱり忘れて、レディンは青年の側へ駆け寄った。


「やっと来てくれたのか。待ってたんだぜ」

「すいません、用事がありまして」

「来てくれないかと思っていたよ」

「約束は破りませんよ」

「なあ、俺の家に招待していいかい? あんたと話がしたかったんだ。あんたのしてくれたアレンジな、やっぱり良かったぜ。 俺もおかげで自信がもてたし、みんなからの評判も上々だ。あんた、おれの恩人だ」

「それは嬉しいです。レディンさんの家に招待されるというなんて、是非こちらからお願いしたいくらいですよ。今日は、このあとでなんの用事もありませんしね」

「じゃあ、ちょっと待っててくれ。片付けをしてくるからよ」


 スキップでもしかねない足取りで再び舞台に登って、さっさと荷物を片付け始める。 

 途中、例の拍手の幻聴を思い出して、


「さっき、あんた以外に誰か拍手しなかったかい?」


 と、訊くと、青年は咳払いして、


「僕の友人たちですよ。あなたのことを話したら、是非一度聴いてみたいと言い出してきかないものですから、しかたなく連れてきたんです」

「それは嬉しいな。紹介してくれるかい?」

「いま、帰しました。やかましい連中なので、本番を明日に控えているマックウェルさんの迷惑になっては困ると思いましたので……」

「マックウェルさんは止めてくれ。俺のことはレディンでいいぜ。……なあ、その人たち、明日も来てくれるのか」

「絶対にくるでしょうね。すごく喜んでました」

「でも、入場券がないと無理か。俺にも手持ちは二枚しかないし……」

「大丈夫です。僕達にはコネがありますから」

「ははあ。やっぱり、あんた、音楽関係の人なんだな。まあな、あの耳コピ能力は伊達じゃないと睨んでいたんだよ、俺は」

「いいえ、そういうのではなく、こっそり聞ける方法があるんです」


 青年はイタズラっぽく笑った。

 その意味が飲み込めたレディンは苦笑いするしかなかった。


「……入場券の半額ぐらいは払ってもらおうかな?」

「教えない方がよかったかな」


 二人が会場を出て、音楽談義に花を咲かせながらレディンのアパートメントヘと向かったのは十五分後のことだった。

 途中で、レディンが家に電話したのだが、誰も電話口にでなかった。

 だが、相変わらずというか、あまり気にはしていなかった。

 夕方頃にシェルキィが出掛けることは度々あることだからだ。

 ただし、それはシェルキィが夜までには必ず帰ってくることを信じているからでもあった。

 マーケットの前を通りすがったとき、数人のロンドン子がウインドウのテレビを見て何かを噂していた。

 どうやら最新のニュースについての話らしい。市内の繁華街で死体が見つかったらしいというのが主な内容だが、問題は死体よりもその死因と下手人についてだった。

 だが、浮世離れしていたレディンにとってはどうでもいいことだった。

 黙っていた青年が不意に同行者の肩を掴んだ。


「お土産がいるでしょう。何か、買っていきます」

「んっ?」

「さっき電話をしていたじゃないですか。奥さんが待っておられるんでしょう? 何か買っていかないと僕が失礼な奴になってしまう」

「気にしなくていいぜ。あんたはお客さんなんだし」

「レディンさんも一緒に来てください。やっぱり、奥さんの好みを一番よくわかっていられるのは、旦那さんですから。代金はもちろん僕が払いますから」

「それは済まない。実はうちは金欠気味なんだよ。じゃあ、値の張る高級酒を買ってもらおうかな?」

「ぜひ、おごらせてください」


 店内で適当にシャンパンとバーボン、果実ジュースに、シェルキィ宛の花束を選んで、青年がレジに並ぶと、レディンは薄情にもさっさとマーケットの外へ出た。

 入口前のベンチに腰掛けて、しばらくしていなかったことをした。

 風景に耳を澄ますのである。

 ある音楽教師が講義の最中に言った台詞がある。


「画家と音楽家は根本的に同じものである。表現方法がわずかに違うだけだ。ならば、画家のやることが音楽家にできないはずがない。画家が風景を見て写生をするなら、音楽家は風景に漂う音を聴いて、曲を構成せねばならない」


 その啓蒙的な思想が、大学の上層部に受けいれられずに、かの教師は一年後には学び舎を去ったが、レディンは彼の教えをそっくりそのまま自分に取り入れていた。

 あらゆる場所で、いろいろな人の会話を聴き、騒音雑音はては奇音までに耳を傾け、人の営み自然の営みを構成する。

 歴史上で音楽が、権力者の玩具になりながらも、希望を庶民に与えてきたのは、彼らの生活が音楽に深く関わってきたからなのだろう。教師が言ったことを、半分程度は理解しているとレディンは思っていた。

眼を開くこと。

 まさに蒙を啓くのである。


「レディンさん、終わりました」

「ああ、行こうか……」

「ところで、聞きましたか、さっきの話?」

「二時間ぐらいまえに見つかった新しい吸血鬼事件の被害者のことかい。一応はね。でも、この近所じゃあないんだろ。気にしない方がいい」


『吸血鬼事件』には、レディン自身、嫌な思い出しかない。わざわざ喋りたくもない話だった。


「そうですよね。でも、半年で五人の犠牲者ってのは多すぎますね」

「映画みたいに死体が吸血鬼にはならなかったらしいから、本物のしわぎではないって話だぜ。ホントか嘘かは知らないが」

「ホントに吸血鬼だったら怖いですねー」

「いないよ。吸血鬼なんて」

「……僕は、妖精なんかは信じていますよ」

「へえ、結構ロマンチストなんだな」

「存在したらいいなって思っているだけですけど」

「やっぱりな。そんなこったと思った」


 青年が少しだけ哀しげな眼をしたことに、笑い続けるレディンはまったく気づかなかった。

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