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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第三話 ラナウン・シー
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妖精のお仕事

 東洋人めいた特徴のある黒髪長身の青年だった。

 年齢はレディンと同じぐらいだろうか。少なくとも彼の知った顔ではない。

 レディンの視線はまずその双眸に吸い寄せられた。

 様々な煌めきが混ざりあって、光の具合によっては幾種類もの色彩を浮かび上がらせる、今までに見たこともないような美しい瞳であったからだ。

 それ以外にも、さらに奇妙なのはその身にまとっている白っぽいコートのような上着であった。

 コートというよりも、むしろインヴァネスマントに近いふわりとしたラインで、肩から垂れている布が胸前で緩やかに結ばれている。全体的に飛び立つ前の綿のようなイメージを有し、背の部分にある飾り布は、薄く透き通ってまるで妖精の羽根だ。

 新進気鋭の才気活発なデザイナーの苦心作のようでもあり、伝統ある古色蒼然とした民族衣装のようでもあった。

 もしも、着こなしの悪いものが着れば、ただの派手な衣装に堕するおそれがあったが、目の前の青年が身につけるとまるで肉体の一部のように何の抵抗も感じない。

 おそらくは彼のためだけにデザインされた服なのだろうと思われた。


「俺に何か?」

「僕は二か月前のパーティーであなたの演奏を拝聴した者です。あのときから、一度でいいから、あなたと話がしたいな、と思っていたんです。そうしたら、ホールの玄関から出てくるあなたを見つけてしまい、どうしても一言だけでも話をしてみたくなりまして」

「……えっ」

「あなたの演奏は素晴らしかったです。何度でもあなたの演奏を聞いてみたいと思っています。頑張ってください」

「それは光栄だな。……しかし、まったく今日は珍しい日だ。あの日の俺の演奏を聞いてくれていたお客さんに、二人も会った」

「あれは、ものすごく印象的な演奏でしたからね。あの時から確信していましたが、あなたは天才です」

「おいおい……」

「いいえ、謙遜しないでください。間違いなく天才ですよ、あなたは。本当にお世辞抜きですから」

「……照れるなあ、おい」


 青年の口から出る美辞麗句が、本心からの掛け値ない賛辞だと、レディンは疑わなかった。情熱というか、本気さが伝わってくる口調だったからだ。 音楽に対して、余程の興味がなければここまで熱く話せるものではない。

 子供みたいに眼を輝かせてもいる。

(まるで、民話に出てくる音楽好きな妖精みたいだよな)

 ふと、そんな感想を懐いてしまった。


「好きなの、音楽?」

「ええ、僕の仲間達はみんな好きですよ。特に、レプレカ……まあ、いいでしょう。とにかく、あの時のあなたのピアノは最高でした」


 レディンの顔が赤くなった。その時、


「ホント、口から出まかせがうまいですねぇ、シーリーコート様は」


 どこからともなく低い声が耳に入ってきたが、周りには誰もいないことからすぐに空耳と流してしまった。

 なぜなら、もっと驚愕することが始まったからであった。

 目の前の青年が急に思い出した風に、口笛で例のピアノ曲の旋律を吹き始めたのだ。

 レディンは目を剥いた。

 ほぼ完璧に再現されているのである。

 わずかに音程が外れることもあるが、ほとんど間違いがない。

 一部の優れた音楽家なら、一度聞ききさえすれば耳で完全に楽曲をコピーするスキルを備えているものも多いが、多種多様な音の連なりを行うピアノ曲を口笛で再現するなどなかなかできることではない。

 ある意味、とてつもなくレアな才能の持ち主といえた。

 だからこそのレディンの驚きであった。


「あの、レディンさんを前にして失礼ですが、音楽家の真似ごとのようなことをしてよろしいですか?」


 呆気にとられていたレディンは、意味もわからずに首肯いた。


「ここのフレーズなのですけど……、この方が組み立てがいいんじゃないか、と感じたのですけど、どうでしょうか?」


 と、一度口笛を吹いてから、もう一度前とは少し違った感じで吹きなおす。

 両者の違いは、はっきりとしていた。

 すでに器用を通り越して、奇妙といった感じだった。

しかし、そんなことは気にも留めず、いきなりレディンは青年の両肩を掴んで激しく揺さぶった。

 草食動物の首の骨を折ろうとするネコ科の肉食獣の前脚のように、がっしりと肩を抑えられた上での狼藉に、青年は目を丸くし、すぐに叫ぶように謝罪した。


「すいません、すいません、でしゃばりました!」


 だが、レディンはそれどころではなかった。

 青年の行為に怒ったのではなく、まったくの逆の心の働きのなせる業だった。

 興奮しきった口調で、「凄い、凄いぜ、あんた!  実は俺もそう思っていたんだよ。証拠を見せようか。ちょっとこの楽譜を見てくれよ、ほら、訂正してあるだろ。あんたのアレンジと一緒だぜ。いやあ、俺と同じ点に気づくなんて、あんたも天才じゃないのか! スゲエよ」


 愛用の鞄から取りだしたいつも肌身離さず持ち歩いているメモ帳には、何枚かの譜面が挟み込まれ、そこには確かに青年が指摘したとものそっくり同じ修正が書き加えられていた。

 同じ譜面の赤鉛筆による修正箇所はその他に大小合わせて二十か所。

 これについて逆に青年の方が目を見張ったことには、若き天才は気づくことはなかった。

 彼にとって、努力は当然の行動であり、何もしないことは息をしないことと変わりがない。

 努力することに悩みなどないのだ。

 青年がそのことについて内心で感嘆していることになど気づかず、レディンは自分の理解者がまた現われたと思った。

 彼の音楽をここまで熱心に聞いてくれて熟考してくれる人は、今までに知り合った大勢の仲間にもいたが、彼と同レベルの感性を備えている可能性があるのではないかと希望を抱ける人物は、目の前の青年を合わせても二人しかいない。

 もしかしたら、彼を長年悩まし続けているあの問題についても、きっぱりとした回答を与えてくれるかもしれない。

 思わず両手を取られ、ぎゅっと握手を求められて呆然とする青年に、レディンはにっこりと提案した。


「どうだ、俺の家に来ないか? あんたとはじっくり話がしてみたいんだ」


 しかし、さきほどのガードナー氏の場合とは逆に、今度はコートの青年の方が誘いを辞退した。

 どうやら本心では誘いに乗りたいのだが、本当に何か大事な用があるらしいとレディンは判断した。

 青年は名残惜しそうに去っていった。

 残念なのはむしろレディンの方だったのだが。

 だが、別れる寸前に、


「また、すぐに会えますよ」


 と、自信たっぷりに保証したのだった。

 その自信を疑問に思ったが、さしあたってはただの約束の一種だと解することにした。

 盛大に後ろ髪を引かれてしまってはいたが、ビッグべンの鐘がロンドン中に鳴り響き始めるまえに部屋に戻らなければならないことを思い出し、青年の去った方向を惜しみつつも、彼は家路を急ぎ始めた。

 あまり遅くなっては心配されてしまう。

 レディンは独身だったが、部屋には彼を待つ者がいるのだ。


     ※


 シーリーコートは、去りゆくピアニストを聳え立つ雑去ビルの屋上から見送りながら、嫌な臭いのする木枯らしを身じろぎもせずに受け続けていた。

 そんな瑣事よりも、レディン・マックウェルについての関心の方が勝っていたからだ。

 レディンが街角に消えると、ようやく固定されていた視線がきょろきょろと動き始める。

 そして、誰もいない中空に向かって先ほどと同様に話しかけた。


「さっき、僕のことをバカにしなかった?」

「いいえ。レプラカーンの一人から聞き出した情報程度で、あそこまで人を誑かすことができるのが凄い、とつい口に出してしまっただけです」

「……仕事の前にきちんと情報収集をして、うまく活用しただけじゃないか。あと、僕を詐欺師呼ばわりするのは止めて欲しいんだけど」

「えっと、あなたの言動はどこをどう取っても、そのあたりの職種の方々のもの以外にありえないのですが」

「熱心に仕事しただけなのに、その言われ方は心外だ。……おまえね、月夜の晩ばかりじゃないってことを覚えておきなよ」

「太平洋に蓋はしていませんってのも同じ言語学上の意味がありますね」

「つまりは覚えておけってことだよ。わかっているよね」


 凄んでいるようだったが、あまり迫力はない。


「……で、どうなされるおつりで」

「……彼については少し様子をみよう。どうも、いつもとは勝手が違うみたいだから。すぐに動くのは止めた方がいいかしれない。それでいいね」

「御意、シーリーコート様」

「様付けも止めてくれよ……」


 吹きつける木枯らしは、未だいやな臭いを含んでいた。

 そのことにようやく気がついたのか、シーリーコートは眉をひそめて、口のあたりを白い布で覆うのであった。

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