ここはきっと、異世界転生申請所
異世界、転生、聖女、魔法、神、ざまぁ、チート
全部混ぜたらこうなった。
「転生先は聖女の生まれ変わり希望!最強魔法は標準装備でお願いします!メインヒーローは氷の貴公子系のイケメンね!従順系わんこ幼馴染は必須オプションだから!あと悪役令嬢はいらないんで、バッドエンド回避とか無しの方向で!」
冷え切った少女Aの視線が俺を射抜く。
「青年B、あなたの世界って……」
「ここまで可怪しいやつはレアケースだと思う。いや、思わせてくださいお願いします」
「何十人もいるのにレアケースなの?来世に期待する前に現世で精神修養くらいしなさいよ。煩悩が服着て歩いてる」
「まったくその通りでございます。すいません、うちの世界の者が妙なことを申しまして」
「突っ返したいけど、たぶんこれは返品不可でしょうねぇ」
少女Aは、物体Xを一瞥したあと、肩を落として息をついた。
時はほんの少し遡る。
「どうも、こんばんは」
「……おやすみなさい」
白い靄の中にいつもの人影を見つけた俺は、いつも通り声をかけた。いつも通り、諦めの悪い返事とともに背を向けられてしまう。
「睡眠中なので、断固として寝ます」
「どうせ、終わるまで解放してもらえないよ。いつもそうだろ。夢の中でも眠れるのかな」
「ぐぬぬ……」
少女Aは、膨れ面のまま俺の方へ振り返った。青い髪に紫を帯びた光沢が差す。
「やっぱ、異世界人だよなぁ。『こっち』にそんな髪色ねぇし」
「お互い様でしょ。黒い髪なんて『こちら』には――やめた。不毛だわ。真実が視えているとも限らないのに。正確には見せられている、かしら。
ああ、本日最初のお客様が来たみたいね」
少女Aが指した先、花畑を踏み荒らしながら、赤・ピンク・白のモザイクで構成された塊――物体Xが、遠目に判るほどにうきうきと駆け寄ってくるところだった。
気づけば俺と少女Aは、白亜のガゼボの中で瀟洒な白いテーブルセットに腰掛けている。
濃霧注意報発令レベルの靄は綺麗さっぱりと消え失せ、代わりとばかりに香り高い紅茶が湯気を立てる。辺り一面は春爛漫の陽光溢れる風景だ。
『いつの間にか』というには雑――にも関わらず変貌の瞬間を捉えられた試しはない。勝手に舞台の背景がすげ替わっている。俺たち二人が夢だと断じる理由がこれだ。
正確には、『二人揃ってこの状況に違和感を覚えない』ことこそが、脳による補正の証左であるという話だ。
目覚めた時、この世界の全てを俺たちは忘れている。忘れていると知っている。
夢だと考えてはいるが念の為、俺たちは互いをAだのBだの、変数で呼び合っている。この世界に名で囚われぬように。
べちゃべちゃと音を立てて、ついに物体Xがガゼボの前に到達してしまった。本日一人目の『お客様』こと、赤とピンクと白のモザイクで構成された塊が、喜びに溢れた声で要求をまくし立て始めた――
「どこに返品すんの。無理無理。原型留めてないじゃん」
「蘇生魔法でなんとか」
「君、かなり高位の神官なんだ。そんな気はしてたけど」
「ええまぁ、それなりに。でもここじゃ魔法が発動しないので、ないものねだりですね」
「この人が振り回してるアレ、どの部位だと思う?俺は小腸かなと」
「嫌なこと言わないで下さい!」
俺たちは物体Xの主張を全力で無視している。これは親切心によるものだ。もう手遅れかもしれないが。
「魔法?あの、わたしトラックにはねられたんです!これって神様のミスってやつですよね!責任とって全部叶えて下さいよ!聖女に生まれ変わって……」
特定の単語を聞きつけて、ここぞとばかりに物体Xがずずいと近づいた。モザイクがさらに粗くなる。良心的な夢の仕様に感謝の念を禁じ得ない。
映像倫理規定に抵触しないよう心掛けていただくのは大変ありがたいが、物体Xの口から吐き出される濁流のような要望を堰き止める何かしらの機能も是非、ご検討いただきたくお祈り申し上げる次第である。
「ニュースで言うところの『全身を強く打った状態』か。そんでもって、ただの自業自得。こりゃトラックの運転手が可哀想すぎる」
神様のミス、と物体Xが口にした瞬間、事故の解説映像がぽんと宙に投影された。俺たちはこの現象を『神の異議申し立て』と呼んでいる。神かどうかは知らんけど。
内容は単純だ。
歩きスマホ → 単独転倒 → 道路に投げ出されたスマホを追いかけて飛び出す → トラックと衝突 → ほぼ即死。
スマホを庇って散った、と言えなくもない。美談どころか、もはやコントの域であった。
「現時点で聖女じゃないのに、どうやって聖女の生まれ変わりになるのかしら。ちょっと青年B、あなたの世界は平和なんでしょ。どうして揃いも揃って最強魔法を欲しがるの?」
「劣等感の裏返しだと思うよ。あと自己承認欲求」
俺たちは転生先を用意したり、特別な能力を与えたり出来るわけでは無い。審判や断罪も一切存在しない。ただ単に、ひたすら聴くだけなのだ。
本心を、本質を――魂の叫びは偽りようがない。
「世界を救ってちやほやされたいの!だから滅びそうな世界がいいわ!」
『最強魔法を欲しがるの?』の部分だけが物体Xに届いたらしい。少女Aは沈痛な面持ちで瞳を伏せ、一言だけ忠告した。
「身に過ぎた欲は不幸な結末しか招かないわよ」
「記憶は持ち越しでよろしくぅ!」
「……やっぱり、都合の悪い言葉は聞こえてないみたい。ずっと『そういう生き方』をしていたんでしょうね。要求を主張するだけで、拒絶されたら被害者面か聞こえぬふり。だからどんなに警告しても届かない。私たちに出来ることは、もう何も無いのね」
まもなく俺たちはいつも通りの悪寒に襲われた。深淵の隙間から覗く、底知れぬ巨大な気配。
物体Xは消えていた。どこへ行ったのか、これからどうなるのか、知りたくもないが悟らされる。
物体X――彼女の願いは叶えられた。ただし、異世界の基準で。
生前、聖女でなかった彼女は、少女Aの指摘通り『聖女の生まれ変わり』にはなれなかった。ゆえに『生まれながらの聖女』として転生した。
その世界の聖女とは、俺の世界で言うところの即身仏みたいなものらしい。物心付かないうちからその日まで、清貧・断食・瞑想三昧の日々を強制される存在。世界に捧げられた後、遺骸は御神体として神殿に祀られる。
最強魔法は標準装備――この願いも叶えられた。彼女が生まれた途端、世界の誰もが最強魔法を行使出来るようになったのだ。そしてこの奇跡こそが彼女を『生まれながらの聖女』にしてしまった。
怜悧な感じの英雄と、従順な犬が彼女の入滅に寄り添う。百の角と七つの目を持つ、異世界基準のイケメンと、真っ黒な三つ首の犬。
ビジョンはそこで途切れた。
「神っぽい何かは標準装備をそう解釈したのか。聞きかじった言葉を無理して使うから……」
「彼女、まともな知識や経験の蓄えもないのに、どうして記憶保持を求めたのかしら」
「俺としちゃ、我が強いだけで意志薄弱な精神は、作り変えて貰うほうがお得だと思うんだがね」
「割り切ってますね。……せめて記憶を放棄していれば良かったのに。別の世界を望むほど、現世に未練がないならば尚更」
恐らく俺たちは、媒介で試薬で、『矮小な視点のサンプル』だ。あるいは神っぽい未熟な何者かの練習を見届ける助手扱いではないだろうか。俺と少女Aの解釈は一致していた。
かつて似たような願望を持ったお客様を対象に、神っぽい何者かはお客様の脳に小細工を施していた。
脳が全てを都合よく、妄想通りに処理するのだ。聞こえる言葉はことごとく称賛か睦言に変換され、鏡に映る吹き出物だらけの顔は、清らかな美少女に。
当の本人は大変幸せそうだったが、周囲は地獄絵図そのものだった。
それに比べれば願いの叶え方自体は格段に上達している。だからと言って、倫理的に改善されたかと言えば甚だ疑問だ。
奴は言葉通りに願いを叶える。叶えられる形に解釈し、世界との整合性を取っている。
だから俺たちは、極力お客様を喋らせたくない。積み重ねた欲望分だけ捻れていくから。
ざあっと風に森がざわめき、奥から新たな来訪者の気配が迫ってくる。
「次のお客様が来たよ」
「今度はわたしの世界の住人みたいね。こんな色、そっちに無いんでしょう?」
少女Aは自身の髪を一筋、つまんで示した。
物体Xの行く末を思い煩っても仕方がない。
滅びそうだった一つの世界は、物体Xによって救われる。
そして聖女のバッドエンドが回避されることもない。物体Xが口にした通りに。




