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第二話 やるしかない

 うう。

 ううう。

 ううううう。


 フードのなかに手を突っ込み、頭をがりがりと掻きながら書庫のなかを意味もなく歩き回る。と、うず高く積まれていた本の山に足を引っかけてしまった。雪崩が発生し、わたしは他愛もなく潰された。


 「ふぐぉ」


 潰されたまま、起き上がれない。床の匂いを嗅ぎながらふるふると震えている。ぽつりぽつりと目元から雫が落ちて水溜りをつくってゆく。


 「……ど、ど……う、しよ……」


 退学届は、明後日の午後、提出しようと思う。

 フィオナさまはそう言って、ぐっと唇を嚙み締めた。なにかを堪えてるようだったけど、それも悲しかった。わたしに遠慮することないのに。大声上げて泣いてほしい。わたしも泣くから。そのための、わたしだし。


 学院は三年制だ。だから、二年次でだめでも三年次がある。チャンスは残ってる。諦めないで。わたしはつたない言葉で、それでも必死にフィオナさまに訴えた。

 だけど、フィオナさまは微笑みながら首を振った。

 何年かけても、変わらないと思う。わたしには縁がなかったんだよ。

 そういって立ち上がり、深々と頭をさげて、いちばん聞きたくなく言葉を置いて出て行ってしまった。

 いままで、ありがとう。元気でね。


 「……うぐ……ふ……も、もう、フィオナさまひとりの身体じゃないのに……」


 いや、ひとりの身体だけど。だけどだけど。

 フィオナさまは、もう、わたしの魂だ。フィオナさまなしの毎日なんて考えられない。もちろんいつかは卒業するからお別れは来る。それでもフィオナさまにとって幸せな旅立ちなら、わたしは耐えられる。

 でも、でも。これはだめ。わたしが生きていけない。この先の永い時間を、フィオナさまがため息と沈鬱のなかで生きていくなんて考えたら……。


 「……考えろ、ノエラ。なにかある。必ずある」


 木張の床にがりりと爪を立てながら、背中に本を載せながら、わたしはぐいと首を上げた。こち、こち、という大時計の音だけが静かな室内に反響している。その音に掴まるように、わたしは深く深く、思考の水底に沈んでいった。

 考えろ。

 すべては、原因と結果。因果律だ。

 望みに届かないという結果があるのは、障害という原因があるからだ。

 障害とはなんだ。

 取り巻き。公爵令嬢。憎き女たち。

 そこまで考え及んで、わたしの脳裏に短剣とか毒矢とかが浮かんできたので慌てて首を振る。そうじゃない。そこじゃない。


 最大の障害は、想いびとに気づいてもらえないこと。フィオナさまを見てもらえないこと、その輝きを知ってもらえていないこと。

 気づいてさえくれれば、視界にさえ入れれば、フィオナさまなら必ず、お相手の心に触れることができるはず。


 では、どうすれば気づいてもらえる。

 大声を上げさせる。奇抜な振る舞いをしてもらう。だめだ。変なひとがいるね、で終わりじゃないか。

 実力行使、ぐいぐいと取り巻きに割り込む。腕力で。いやいや、それができるフィオナさまなら苦労はない。

 どうすればいい。気づいてもらい、好意を含んだ視線を向けてもらうためには。


 「……誰かが、気づかせればいい」


 ふと降りてきた言葉に、わたしは目を見開いた。

 誰が。彼に話を聞いてもらえそうなひとが。どうすれば聞いてもらえる。目立てばいい。変人でも構わない。でも、ただの変人じゃあ駄目だ。目を引いて、興味を持ってもらえて、なおかついずれはすっと彼の前から消えるような、そんな存在。


 「……当て馬、だ……」


 本の山をどさどさと背から落としながら身体を起こす。

 かつて読んだ恋愛小説を思い出す。

 あざとさで、ずる賢さで、あるいは力づくでヒーローに近づいて、やがてはあっけなくヒロインに取って代わられる女たち。悪役令嬢と呼ばれることもあれば、ヴィランと罵られることもある。

 彼女たちがもがけばもがくほど、ヒロインが輝いてゆく。ヒーローの目が向く。気持ちが、動く。


 そんな女が、ライエル殿下のそばにいれば。

 そんな女が、フィオナさまをライバルとしてあげつらえば。


 だん、と立ち上がった。

 書棚に走る。どこになにがあるかはすべて把握している。

 王国史。王宮の女たち。陰謀、策謀、権力闘争。美しい悪女たちの伝説。

 何冊かの本を抱えて執務机にどんと置く。灯りを手元に寄せて、わたしは全神経を目の前の文章に集中させた。数刻ほどで読了する。次。

 服飾と装飾の歴史。美容と化粧、令嬢の心得と振る舞い。次。

 薬品の調合。魔法技術の応用による化粧品の生成。次。


 深夜にはすべて読み終えていた。

 そのぜんぶが頭に入っている。

 ふう、と息を吐く。

 やるしかない。

 わたしが、なるしかない。

 悪役令嬢に。

 当て馬、に。


 大書庫には本の補修や書類の編綴のための道具がたくさんある。

 隣接している作業室に入り、戸棚を開ける。ふわんと漂う薬品の匂い。いくつかの瓶を取り出す。頭のなかで組み合わせてみる。うん、いける。

 柔らかい刷毛も、スポンジもある。紅に使う蝋もある。


 ないのは、素材。

 悪どく美しいご令嬢の、その本体だけだ。


 「……いい。それで、いい。笑われればいい。なんだその顔は、道化師かよって、指さしてもらえればいい」


 深く被ったフードをゆっくりと持ち上げる。ばさり、と、髪が落ちる。

 銀を帯びた真っ白の髪。

 鏡の前に立つ。なんども迷ってから、ろうそくの灯に揺れる姿に目を向ける。髪と似た銀の瞳が見返してきた。

 おもわず、怯む。顔がくしゃりと歪む。怖い、気持ち悪い、って、子供のころから言われ続けた、白の顔。暗いところでしか生きていないから、肌だって気味悪いくらいに真っ白だ。

 俯いて、ぎゅっと胸を抱く。要りもしない人並み以上の発育、伸びた背丈。


 それでも。

 おもいきり下の唇を噛み、顔を上げた。

 鏡のなかの白い女に、妖艶に微笑みかけてみる。

 そう、さっき読んだ悪女伝の、二百八十五ページ。上から三行目のとおり。

 できてる、よ。

 ちゃんと、気持ち悪くなってる。

 ちゃんと、笑ってもらえる、と思う。


 笑ってもらえれば、いいな。



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