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ラストゲート  作者: 仙道 神明


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第4話 風の音、蹄の音

 曇り空の下、朝の調教コースには重たい風が吹いていた。

 スターライトゼリーの蹄が、湿ったダートを静かに叩く。


 ――25戦目の前週、最終追い切りの日。


 「今日は時計を出すぞ」


 沢邦夫調教師の声が鋭く響いた。


 「ゼリーの動き、前回より重いな。唐沢、もう一段階上げてみろ!」


 「了解です!」


 真司はゼリーのたてがみを軽く撫で、息を合わせた。


 「行くぞ、ゼリー!」


 風が、ふっと切れた。蹄の音が一気に鋭くなる。ゼリーの脚が伸び、コースの砂を巻き上げる。


 身体の芯が震えるような、あの感覚――


 “まだ走れる”。そう感じた。


 時計係が声を上げる。


 「ラスト1ハロン、12秒7!」


 沢が腕を組み、目を細めた。


 「……悪くねぇ。むしろ今までで一番いい」


 ゼリーが息を吐くと、白い湯気が立ちのぼった。真司はその首筋を軽く叩き、息を整える。


 「お疲れ、ゼリー。いい動きだった」


 「ようやく目が覚めたかって顔してやがるな」


 沢が笑いながら近づいた。


 「唐沢、勝負に行け。勝つか負けるかじゃない。“生き残れ”だ」


 「……はい」


 その言葉の重さに、真司はただ頷くしかなかった。勝たなければ、ゼリーの命はここで終わる。“勝つ”という言葉が、これほど真っ直ぐな意味を持つのは初めてだった。



 昼下がり、真司は観客席の外れにあるベンチで、コンビニのホットコーヒーを片手にSNSを開いた。


 〈ゼリー、明日の追い切りお疲れさまです〉

 〈風が強かったけど、負けないで。25戦目、信じてます〉


 ――下野愛美。

 彼女の投稿は、いつも明るい。

 だが、そこににじむ不安も、真司にはわかった。


 その時、背後から声がした。


 「唐沢さん」


 振り返ると、愛美が立っていた。


 「え、来てたんですか?」


 「どうしても、調教見たくて……」


 彼女は少し恥ずかしそうに笑った。


 「速かったですね。ゼリー、なんだか今日は違って見えました」


 「そうですか?」


 「うん。目が生きてた」


 真司は少し息をついた。


 「……たぶん、わかってるんでしょうね。自分が次で最後だって」


 「そんな顔、してませんでしたよ」


 「え?」


 「“まだ終わらない”って顔してました」


 その言葉に、真司はしばらく黙ってしまった。

曇り空の向こうに、一瞬だけ陽が差す。ゼリーの毛並みに光が反射して、風の中でかすかにきらめいた。


 「……勝ちます。絶対に」


 「信じてます」


 愛美の声は穏やかだったが、どこか祈るようでもあった。



 その夜、厩舎の灯が落ちるころ。真司は再びゼリーの馬房を訪れた。


 「明日、勝とうな。俺たちの全部を見せよう」


 ゼリーは鼻先を寄せ、真司の肩を軽く押した。まるで「任せろ」と言うように。


 真司は小さく笑った。


 「お前が俺を走らせてくれるなら、もう怖くない」


 外では風が強くなっていた。風の音と、ゼリーの蹄が床を踏む音が重なり合い、夜の競馬場は、静かに次の戦いを待っていた。


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