表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラストゲート  作者: 仙道 神明


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/8

第3話 唯一のファン

 週末の朝、地方の小さな競馬場には、ゆっくりと陽が差し込んでいた。

 観客はまばらで、売店の湯気が風に流れる。


 その隅で、スターライトゼリーが調教後の引き馬をしていた。


 「お、ゼリーだ!」


 フェンスの向こうから聞こえた声に、真司は思わず振り向いた。


 いたのは若い女性――

 カメラを手に、フェンス越しにゼリーを覗き込んでいる。

 肩までの黒髪を風に揺らし、目元はまっすぐだった。その手には、ゼリーの勝負服カラーである青と白のリボンが巻かれていた。


 「えっと……」


 真司が声をかけると、彼女は少し驚いたように顔を上げた。


 「ごめんなさい! 撮っちゃダメでしたか?」


 「いや、大丈夫です。どんな写真撮ってるのかなと思って」


 「よかった……。私、ゼリーのファンなんです。ずっと」


 そう言って、彼女はカメラを胸に抱えた。


 「デビューの時から、欠かさず来てるんですよ」


 「……本当に?」


 「はい。ゼリーって、負けてもちゃんとゴールまで走るでしょ。あの真っ直ぐなところが好きで」


 真司は少し照れくさそうに笑った。


 「そいつは、喜ぶと思います」


 「唐沢騎手も、ですよ」


 「え?」


 「私、SNSに“ゼリー推し”ってアカウントで載せてるんです。唐沢騎手もフォローしてくれてるみたいで……」


 「あ、あのアカウント、あなたが?」


 彼女は頷いた。


 「下野愛美と言います。もしよければ、ゼリーの写真……撮らせてもらってもいいですか?」


 「どうぞ。ゼリーも、撮られるの嫌いじゃないですから」


 愛美はフェンスの隙間からレンズを向けた。

カシャ、カシャ、と静かなシャッター音。

 ゼリーは耳をぴくぴく動かしながらも、大人しく立っていた。


 「優しい顔してますね」


 「そうですね。気の強い馬じゃないけど、人の声によく反応するんです」


 「だから、真司さんの声もきっと好きなんですよ」


 ――“真司さん”。


 名前で呼ばれたのは、久しぶりだった。ほんのわずか、その響きが胸に残った。


 「次のレース、出ますか?」


 「出ます。たぶん……これが最後です」


 愛美の手が止まった。


 「最後って……」


 「馬主さんの意向で。勝てなかったら、引退です」


 「引退……」


 愛美は小さくつぶやいた。


 真司は、少し言いにくそうに視線を落とした。


 「ゼリーみたいな地方馬は、引退しても行き先が限られるんです。繁殖にもなれない、人気もない。……ほとんどは屠畜に回されます」


 愛美の目が、揺れた。


 「そんな……あの子、あんなに優しいのに」


 「俺も、できれば誰かに引き取ってほしいけど……現実は厳しいです」


 愛美はしばらく黙っていた。その表情を見て、真司は慌てて笑顔を作った。


 「でも、まだ決まったわけじゃない。勝てば続けられる」


 「……絶対、勝ちましょう」


 その言葉には、迷いがなかった。


 「応援してます。ずっと」


 「ありがとう」


 愛美は深く頭を下げて、そのまま観客スタンドの方へ歩いていった。


 真司はしばらく、その後ろ姿を見送っていた。


 ――ゼリーが、小さく鼻を鳴らす。


 「……わかってるよ。俺たち、まだ終わっちゃいけないな」


 青空の下、風がゼリーのたてがみを揺らした。その柔らかな光の中で、真司は久しぶりに“勝ちたい”と思った。


 誰かのために。

 そして、自分自身のために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ