第二話「漆黒の呼び声」
廃漁村へと続く道は、舗装もされていない荒れた砂利道だった。
バイクを慎重に進める優希の視界に、朽ちた木造の家々が次々と現れる。
波に打ち上げられたのだろう、小さな漁船が横倒しになり、錆びた網が絡みついている。
まるで時間が止まったかのような光景に、優希は思わずバイクを停めた。
潮風が、湿った土と腐敗した木の匂いを運んでくる。
かつてここで暮らしていた人々の営みが、波の音と共に消え去ったことを物語っていた。
しかし、その廃墟が醸し出す独特の雰囲気は、写真家としての優希の心を強く惹きつけた。
日が傾き始め、夕焼けが空と海を赤く染め上げる頃、優希は廃漁村の奥、岬の陰に隠れるように存在する「鳴き砂の入り江」に辿り着いた。
浜辺は、その名の通り、歩くたびにキュッ、キュッと乾いた音を立てる。
白い砂浜と、両側から迫る断崖絶壁が、外界から隔絶された秘密の空間を作り出していた。
荒々しい自然の造形美に、優希は思わず息をのんだ。
都会での息苦しさも、写真家としての重圧も、この雄大な景色の中ではちっぽけなものに感じられた。
夕暮れが終わりを告げ、漆黒の闇が入り江を包み込む。
テントを張り終え、持参したコンロで湯を沸かしていると、不意に潮騒とは異なる、微かな音が耳朶を打った。
それは、まるで遠くから聞こえてくるような、しかし確かに人の声のような響きだった。
ゲンさんの言葉が脳裏をよぎる。
「どこからかこの世のものとは思えないような美しい歌声が聴こえてくる」
優希の耳に届くその音は、ゲンさんが語った通り、信じられないほどに澄み切って美しかった。
その底知れないほどの美しさが、優希の心を強く捉え、好奇心を掻き立てる。
恐怖を感じながらも、優希は歌声の源を探ることを決意した。
ヘッドライトを頼りに、音のする方へと慎重に足を進める。
廃漁村のさらに奥、入り江の波打ち際に、岩陰に隠された小さな洞窟の入り口を見つけた。
内部は漆黒の闇に包まれ、波の音が不気味に響き渡る。
入り口に立つと、歌声はさらに鮮明に聞こえてきた。
その歌声は、まるで優希を洞窟の奥へと誘い込んでいるかのようだった。
優希は深呼吸をし、意を決して、洞窟の奥へと足を踏み入れた。
ヘッドライトの光が、足元に広がる濡れた岩肌を鈍く照らす。
波が打ち寄せるたびに、洞窟の奥から響く歌声が、一層強く、優希の鼓膜を震わせた。
しかし、足元の岩場は想像以上に滑りやすく、闇も深かった。
これ以上奥に進むのは危険だと判断した優希は、一旦引き返すことにした。
明日の朝、明るくなってから再び来ることにしよう。
そう決めて、彼はテントへと戻った。