幕間 かつての戦い 永遠の死霊軍団vs誰も止められない暴君
ピカリと稲光が光る。
風雨は荒れに荒れ、周辺の木々は大きく揺さぶられているのに、文句ひとつ言わず進軍する軍勢をなんと例えればいいのか。
不敗にして腐敗の軍勢、死の兵士達、あってはならない兵団……か。
「オオ……」
「グガ……」
「ウウウウ……」
肉は削げ、腐り、骨は剥き出しになっている死者達、総数五万が進軍し続ける。
錆びた鎧、剣、槍、盾を握る死霊軍は、ただ言われたままの命令を実行し、人を害する悪意の勢力だ。勿論こんなものを人の世は許容しないのだが、悪いことに世界は落ち着きがなかった。
聖典国を筆頭とする三大大国は混乱し、各地では戦乱が絶えなくなった。そのため世界秩序は乱れ、死霊を操る者達が好き勝手出来る環境が整い過ぎてしまったのだ。
しかしながら、その元凶は彼らの味方ではなかった。寧ろ明確な敵意を持っていると言っていい。
「おいコラ。臭いんだよ」
若い声が風雨に負けず轟いた。
二十代になったばかりの年頃。短い金の髪は雨に濡れ、ギラギラと光る青い目が死者の軍団と、それを操る死霊術師の集団を睨みつける。
若き日の暴君セシルが。
「噂に聞く暴君か!」
「所詮は一人! 殺してしまえ!」
「さあ行くのだ!」
死霊術師の集団が号令をかけ、死者の軍勢がセシルに群がる。
腐敗し切っているくせに、常人の脚力とそう変わらない死体はまさに濁った流れ、濁流と化して暴君を玉座から引き摺り下ろそうとした。
まだ……彼に対する認識が世界に広がりきる前だからこそ起こった参事だ。
「くたばりやがれ」
軍対個。誰がどう見ても勝敗など明らかなのに、セシルの呟きは苦し紛れの悪態ではなく、事実になる言葉だ。
彼は近くにあった木に近寄ると、軽く蹴飛ばすように小突いた。
すると大人が手を広げても、五人は必要な木の根元が。
爆散した。
それだけにとどまらず、そこらの城壁よりも高い木に手刀を突き刺したセシルは、勢いをつけてぶん投げた。
比喩ではない。本当に単なる腕力で巨木を投げたのだ。
しかも速い。枝葉が生い茂り、空気の抵抗をもろに受ける状態にも拘らず、小石のような気軽さで飛翔した巨木が、死者の軍にぶち当たるとどうなるか。
実に簡単な話。
「ガっ⁉」
なんとか原形を保っているだけの肉体をまとめて粉砕した。
痛覚も出血もない生きる死体を黙らせるには、メイスなどの殴打武器を使用するのがいいと言われている。
だがセシルはそんな細かな作業をするつもりがなく、巨木という質量で押し潰すことにしたのだ。
「え?」
生と死を冒涜する死霊術師達が、非常に人間らしいポカンとした声を漏らす。
極稀に防衛戦で発生する、坂道から丸太を落とすどころの話ではない。轢き殺すという表現が相応しい程、勢いのある巨木が死霊軍に直撃する光景など、誰だって我が目を疑うだろう。
しかも次弾に困ることが無いときた。
二つ、三つ、四つ、五つ、六つ。
まだ続く。
次から次へと飛翔し続ける巨木は死者達を粉砕する。粉微塵にする。破壊する。
「こ、こんな……こんな!」
「ど、どうしてこんな! あんな奴が許されるんだ!」
人生を捨てるような研鑽の果てに死霊術を極めた者達が呻く。涙を流す。
研鑽、修練、努力。その全てを無価値に貶める究極極限の暴力が吹き荒れる。技術など欠片もない単なる暴力が……力が全てを圧殺する。
暴君こそ、この世界で超高度な戦闘技術が衰退した直接の原因だ。
どんなに、どんなに、どんなに研鑽しても、力が強いだけの男を止められない術に、いったい何の意味があるのだ?
本当に一握りの天才が努力してようやく形だけの勝負に持ち込めても、相手はそんなものを欠片も持たない天然の力である。
しかもそれら天才すら結局は敗れた天災に、人々は一つの結論を導き出すしかなかった。我々の積み重ねてきたものは、真の強者にはなんの意味もない。と。
それと同じだ。死霊術の奥義に等しい死の軍勢は、木をぶん投げる暴力に歯が立たない。
「なんなのだお前はああああああああああああああああ! どうしてそんなに強いのだああああああああああ!」
「どいつもこいつも難しく考え過ぎなんだよ。強さにも正しさが必要か? 正義が? 大義が? 理由が? 意味が? 意義が? めんどくせえ。そんなのが成就しないのは、俺ですらガキの頃には分かってたぞ」
死霊術師の絶叫が聞こえたセシルが口角を吊り上げ、皮肉に満ちた表情を浮かべる。
「そんなのがきちんと機能してるなら、村の連中が、親父が、助けようとしてくれた外の奴らだって、流行り病でくたばることはなかっただろうよ」
ただ一人、肉体の頑強さで生き残ってしまった孤独な男が自嘲する。
彼を制御出来た身内や付き合いのある人間達は、陰謀や策謀などではない、純粋な自然の流れでこの世におらず、ただひたすら彷徨い続ける暴力装置だけが残された。
本当にそれだけの話だ。
この点に関しては幸いと言うべきか。もしなんらかの陰謀が関わっているなら、至ってしまった暴力は暴走と表現出来る域を容易く乗り越えてしまい、明確な復讐を行っただろう。
つまり暴君は、ただ彷徨っているだけで世界を崩しかけているのだ。
「ば、化け物……」
小国なら国落としすら達成したであろう死霊術師達が最後に見たのは、聖なる剣や邪悪を打ち払う聖槍でもない。
単なる巨木が目の前に迫る光景だ。
後年、極限の個には軍隊すら歯が立たないという、世界の価値感すら砕いた戦いの一つは、あまりにもあっけない虐殺で幕を閉じることになった。
ただ、頭目だけは違った。
「ひいい⁉ 離せ! 離せえええええ!」
顔色が悪い五十歳ほどの男が、セシルに足を引き摺られながら足掻くもののびくともせず、川に連れて行かれる。
「てめえらがこれ以上進んだら、村の墓が暴かれるところだったんだわ」
キレかけ青筋が浮かんでいる暴君は、過去から何も進めていない。どこにも歩めていない。
養い親、仲が良かった友人知人、近隣の者達。その死後の安寧が脅かされたことで、久方ぶりに生まれ故郷に戻っていたセシルは、その頭目を絶対に許さないと決めていた。
「し、死霊術には死者蘇生の技もあるぞ!」
それが分からない頭目は、少しでも助かる可能性に縋ろうと、最悪な単語を口にしてしまった。
「おい……踏んだぞ……」
静かな暴君の呟きだったからこそ一層恐ろしい。
死霊術師は尻尾をこれでもかと踏みつけたのだ。
「ごぼぼぼぼぼぼっ⁉」
首を押さえつけられた頭目は川に頭を突っ込まれ、息を吸うために暴れるが全くの無駄である。
血走り始めたセシルの瞳には欠片も慈悲がなく、手を緩める気配もない。
「死にかけた奴に自分の命を移す術があるのは俺も知ってる。代わりにその術者は死ぬが、ギリギリ有効な手段だってこともな。だが完全に死んだのを蘇らせた場合は、そのギリギリを飛び越えてるだろ。魂に傷が入った別人の出来上がりだ。ああ? そうだろ?」
「ごぼおおおおお!」
馬鹿げた話だ。
生と死を冒涜し続けた死霊術師が、首根っこを引っ掴まれて溺死しかけているなど、永久に恥の代名詞として語られるに違いない。
だが結局は……力尽きて息絶えた。
単に死を操るだけでは暴君を止められない。死霊術師が残せたのはそれだけである。
「……」
何も背負っていない暴君が死霊術師の遺体を放り投げる。まだ彼にはここから十年近い放浪が残っていた。