大人の余裕
「ふむ。可愛らしいのが出来上がったな」
長旅の準備を終え気に入っていた宿を後にしたセシルは、自分が作り上げたぬいぐるみを観察して真面目な感想を口にした。
ぬいぐるみの名をロイ。外套のような布切れと頭巾を被り、旅に合わせた衣服を身に纏っている。と言えば聞こえはいいが、どう見たって布を持て余しており、少年が小柄なことも合わさって、もこもことした可愛らしい物体が出来上がっていた。
「悪い悪い。さあ、行くとするか」
「わっ⁉」
セシルは、年頃の少年として可愛いとかは勘弁してほしいなー。と思っているのがありありと分かるロイを持ち上げて、肩車をすると街の外に向かって歩き出す。
「わあ……これ、皆一緒に移動するんですか?」
「おう。面倒な道は集団で行かなきゃ不安なのさ」
街の外にいた百人程の人間に、ロイはこんなに大勢の人間が一度に移動するのかと驚く。
これから二人が歩くのは、乗合馬車が通っていない少々険しい道だ。そういった場合、安全を求め巡回の兵士にくっ付いて移動することが多く、行商、吟遊詩人、芸で食っている者、商売女などが集まっていた。
「だがまあ、兵士の任務はあくまで道の巡回だ。なんかに襲われても優先順位が低い場合は守ってくれねえから、そこら辺を弁えてないと痛い目を見る」
「人が勝手に付いて行っているだけ、ということですか?」
「その通り」
動き出した集団に注目しているロイだが、集団からは肩車をしたまま幼い少年を連れて行く気なのか? と思われ、同じように注目されていた。
(聖典国で起こってるなんかの事情を知ってる奴がいればなあ……望み薄だが)
セシルは注目に気付いているが、彼には彼の考えがあった。
頻繁に移動している者達はある程度の情報通で、意外なことを知っている場合も多々ある。そして街の中で話を聞くよりも、移動のついでに聞く方が相手の口が軽いため、態々集団に混ざることにしたのだ。
「あら、可愛らしい」
実際、移動中は暇で堪らないのだろう。
河岸を変えようと別の町に向かっている、妖艶な商売女が頭巾を被ったロイの顔を覗き込み、珍しく損得なしの微笑を浮かべた。
百戦錬磨の女だからこそ、金にならない事柄では素直なのだ。
「可愛いは勘弁してやってくれ。後でぷくぷくの膨れっ面になる」
「まあ」
「僕、そんなことしません」
セシルは女の賞賛を素直に受け入れられない、難しいお年頃の少年を庇おうとしたが声には真剣さなど欠片もなく、ロイの抗議も全く気にしなかった。
「親切なお姉さんと話すのも社会勉強だぞ」
「え? えーと……せ、聖典国の教皇様ってどんな方です?」
(いいぞロイ、賢い!)
セシルは何かを促すように、自分の胸辺りで揺れているロイの短い足をポンと叩く。すると幼い少年は意をくみ取りかなり無理がある質問をして、セシルが心の中で賞賛をした。
どうやらこの中年、出会って数日なのに親馬鹿の素質があるらしい。
「聖典国の教皇様? アーウィン様っていう名前しか知らないわね」
(はあ⁉ あの爺まだ現役なのか⁉ もう九十超えてるだろ!)
正直なところ、聖典国の教皇が誰だろうとあまり関係ないと思っていたセシルだが、首を傾げた女の言葉で非常に驚愕する。
「長いよなあ。俺がガキの頃からその名前を聞いてるよ」
「確かにそうね。でも流石にそろそろ代替わりがあるでしょ」
内心で動揺しているセシルに気付かない女が頷いた。
彼女が告げた名は、かつてのセシルとかなりの因縁が存在しているのだが、非常に高齢でもう流石に現役ではないだろうと思っていた。
(三十年以上教皇やってた奴の代替わりだって? そりゃ目の色変える訳だ。次また在位が三十年とかになったら、逃した連中はうんざりするだろうよ)
セシルはロイが面倒に巻き込まれている原因の一端を知った気がした。
四十が七十に。五十が八十に。六十が九十に。
三十年という月日は人間には長すぎる。もしこの教皇争いを逃して、また似たような在位期間が発生した場合、今現役の人間には次がないだろう。
その焦りが血生臭い行動に繋がっている可能性は十分に考えられた。
(まあ俺の知ってる教皇争いは、最後に散々押し付け合ってたみたいだが)
セシルは自分の知っている教皇争いを思い浮かべた。
死、破滅と同義だった教皇の座を巡って争うことなどなく、寧ろその名は忌避されるものになり果て、権威など欠片もない残骸に等しかった。
「そういう僕はお父さんと何処へ行くの? まさかここから聖典国?」
「えーっと、おじさん」
「弟の息子なんだよ。色々ややこしいことになって預かってたんだが、問題が解決してね。聖典国に送ってる最中なのさ」
ロイは興味本位で尋ねてきた女に困り、セシルは適当にでっち上げた話をする。
「随分遠くに……」
(そう、かなり遠い。普通に一年はかかるかもしれん。厳重な隔離と言っていい。それなのに遥々刺客が来るだって? やっぱり厄ネタだな)
今現在セシルたちは、大きな円形の大陸。その東に位置する山間部の小国を歩いているのだが、聖典国は西の果てを中心に栄えている大国だ。
かなりの距離があるため移動は面倒なのだが、それだけロイの隔離が厳重なことを意味している。
(海路……ロイを背負って海の化け物共とやり合うのはちと面倒だな。その途中に船が壊れたらもっと面倒。千渦のタコ野郎に出くわした場合は極限の面倒。やっぱ陸路だな。海は見せるが船は駄目。ほんと、漁師は偉いよ。海岸ならともかく、大海原は人を拒む)
ついでに述べるとセシルは、船旅との相性が異様に悪いことを自覚している。
なにせ三回経験した船旅は全部、海に潜む怪物に襲われて散々な目にあっており、彼の頭の中では船旅と派手な殺し合いがイコールで成立していた。
更にその中の一回を想定した場合、尋常ではない面倒さを齎すため、セシルは遠回りだろうが陸路に拘っているのだ。
それから暫し。
一行が少々険しい山道を進んでいる最中に事件が起きた。
「ほうほう。賢いな。足が遅い弱そうなのを後ろから狙ってる。つまり俺ら」
「おじさん?」
最後尾近くを歩いていたセシルがふと足を止め、面白そうな声音を漏らしながら、山道の傍で生い茂る木々を見る。
「おじさんはお仕事だから、大人しくしてろよ」
「え?え?」
その上セシルは、肩に乗せていたロイを下ろしてポンと頭に手を置いた後、道の端に近づき……。
「来いよワンちゃん。遊ぼうぜ。ほら、お手だ」
パンパンと軽く手を叩いて手招きをした途端。
「ガアッ!」
木の影から真っ黒な巨狼が飛び出してきた。
よくぞ隠れ潜めていたと思えるほどに大きい。
人間の約二倍。牙はそこらの剣よりも鋭く、膂力は人間の頭蓋骨など容易く粉砕できるだろう。
周囲の山間部に君臨する人間を除いた頂点種族の一角であり、最大の脅威とみなされているモンスターだ
しかも知能がそこそこ高く、集団の最後尾を狙い定める程度の発想は持てた。
そして百人の集団だろうが、殆どが常人なら容易く殲滅出来ただろうが……真の強者を嗅ぎ分けられない、野生動物としての欠陥を持ち合わせている。
「その程度じゃあな」
明らかな嘲笑を巨狼は感じ取ったのか。
不遜にも怯えではなく余裕を見せる男に狙いを定め、大口を開けて地面を駆けた。
但し、周囲に響いた音は骨を噛み砕く音ではなく、首をねじ折られた異音だ。
一瞬で細長い上顎と下顎を引っ掴まれた巨狼の首は、常人が認識出来ない速さでぐるりと一回転してしまい、脳からの指示を物理的に遮断されて倒れ伏す。
「旅費の足しになるといいが、街まで引き摺ってる間にボロボロになるか?」
集団が怯えとパニックを起こす前に呟かれたセシルの言葉は、どこか浮世離れしたものだ。
「お、おじさん!」
「なんだ、ちったあ尊敬したか? でも真似すんなよ?」
刺客の件は目を瞑っていたため、初めてセシルの強さを見たロイがなんとか言葉を振り絞る。
ただ、どこまでも太々しく、飄々として、余裕のありすぎる男の笑みは、少年の人生観にかなりの衝撃を与えたのは間違いないだろう。