幕間 かつての暴君と犯罪組織 裏
何もない。何も持ってない。
意味も、意義もなく強くなり過ぎた。
まだ二十代半ばなのに、一つの到達点に辿り着き、自分を止められる存在がいないと確信した暴君が世界を彷徨う。
世界にとっての幸運、もしくは不幸。それはセシルが、鈍ってはいたものの確かな感情を持っていたことだ。
「……うん?」
「きゃああああ⁉」
「誰か!」
フードをすっぽりと被り、目的もなく街を彷徨っていたセシルは、鋭敏な聴覚が捉えた悲鳴が気になり足を向ける。
そして若干歩くと、手当を受けている子供と成人がいた。
顔を手で押さえている十歳ほどの子供は目から血を流し、ゴロゴロと転がっている男は顔が焼け爛れ、周囲には刺激臭が漂っていた。
「なにがあったんだ?」
「赤蛇があの親子に突っかかったらしい」
「示威行為か?」
「なんだ、あんたよそ者か……そうだ。定期的にああやって俺らを脅すんだよ」
セシルが住人に尋ねると、理不尽な返答があった。
流石に暗国の主要都市ではこのようなことは起こらない。しかし、閉鎖的な地方都市は犯罪組織の力が強く、定期的な示威が行われていた。
(まあ、聞いたところで……)
人生の目的がないセシルはそれを聞いても、医療や癒しの術はなく、なにかしらの行動を起こすことはなかった。
「お父さん! お父さん!」
ただ、恐らく失明しているであろう。大きな刀傷を右目に負っている子供の姿と、薬品を浴びたらしい男の姿に、自分と養父を重ね合わせ、苛つきの度合いが一瞬で跳ね上がったのは確かだった。
もう一度述べよう。
世界にとって幸であり不幸だったのは、暴君が単なる機械ではなく人間だったことだ。
「おい、なんだテメェこら。俺が赤蛇のモンだと知ってんのかオイ?」
セシルは人目を避ける目的で裏路地を歩いていただけで、きっかけは単なる偶然だった。
しかし、腕に赤い蛇の刺青を持つチンピラに因縁を付けられ、ナイフに付着している血までしっかりと確認してしまった。
「おいコラ。赤蛇つったか? 名前出して喧嘩売って来たってことは、そういうことなんだな?」
あくまで自分個人の喧嘩であると思うことにしたセシルは、チンピラの頭を軽く小突いて吹き飛ばし、残っていた男二人の首を持ち上げる。
「ぐえっ⁉」
「ぎゃっ⁉」
「俺をてめえらの兄貴分か、仲間が集まってるとこに連れて行け。それか死ぬかだ」
(一人いたらいいか)
その内の一人から、薬品のような刺激臭を感じ取ったセシルは、案内係は二人もいらないかと思い直し、僅かに握るような動作で刺激臭を纏う男の首を粉砕する。
「いいな?」
「ひっ! ひっ!」
脅す訳ではなく淡々と作業のように話すセシルに、これ以上ない恐怖を感じた最後の男は、涙を流しながら何度も何度も頷いた。
しかし、案内した場所がこれ以上なく悪かった。
よりにもよって最下級の人間を売買する……つまり人をゴミのように扱う場所に案内してしまったのだ。
「さあ次の商品は⁉」
中央の監視から逃れるため、地方都市で行われていた売買はこの時、試し切り用の人間が取引されていた。
言葉通り、家にある剣の切れ味を試そうと思ったような者。もしくは自分が作った武器の性能を試したい者などが訪れ、売られた人間は数日後に死んでいただろう。
そんな取引を行う司会だったが、飛翔してきた人間砲弾。つまり暴君をこの場に案内したチンピラと衝突し、合体したような奇妙な肉塊になり果てた。
「とりあえず……死んどくか?」
苛つきが最高値に固定されている暴君が、首の骨を鳴らすような動作をして宣言する。
直後、血が降った。
警備の剣? 無駄、無意味。絶対に突き刺さらないのに、軽い動作で人体をひき肉に変える暴君を、単なる犯罪組織の人間がどうにか出来るものか。
「金持って里にでも帰れ」
「あ、あ、赤蛇が……」
僅かな時間で惨劇を引き起こした暴君は、売買されていた人間達を解き放ち、残された金を押し付けた。
しかしこれは、犯罪組織赤蛇の金であり、報復を恐れた人々は素直に受け取ることが出来ない。出来なかったが……最初だけだ。
「今日か明日には、この世にいねえよ」
淡々と虫を駆除しているような暴君は更に恐ろしく、それこそ今日か明日には死んでいたであろう人々は、命を長らえた。
「おい、お前らの関係者がいる場所に案内しろ」
「ひいいいいいいいっ!」
だが、店の責任者はその限りではない。
奥で蹲っていた肥満の男は暴君によって引き摺られ、次の場所に案内してしまう。
これまた最悪だった。
無理矢理借金を背負わせた女を働かせる娼館は扱いが悪く、一年か二年後に生きていれば御の字のような場所なのだ。
窒息死したり、顔がはれ上がった死体が付近で見つかるのは日常茶飯事で、またセシルは苛つきを維持する羽目になる。
「徹夜だな」
娼館でも皆殺しと、人間の開放を繰り返したセシルはイライラしたまま嘆息したが……暴君の進撃が止まることはない。
殺して、殺して、殺し続けた。
ひたすら殺した。涙も、鼻水も、命乞いも関係ない。
たった一人による根絶やし。根切りが街を覆う。
「お前ら……一応精鋭……なんだよな? ボスの居場所を知ってるなら吐け」
「があっ……」
「うっ……」
「っ……!」
敵対する人間を一家丸ごと殺害して恐れられた赤蛇の部隊が、何とか手加減したセシルの目の前で苦しんでいた。
手加減と言っても手足は別の方向に曲がり、血反吐を吐いているが、それでも一応精鋭なのか、セシルの問いには答えることがない。
「なら一人ずつ聞いてくか」
気負わないセシルは呻いている男の手を掴むと、小石でも投げる感覚で上へ投げ飛ばした。
「あ?」
痛みに悶えていた男達もこれにはポカンとするしかない。
仲間は冗談のように高く、高く、城壁すら容易く超える高さまで投げ飛ばされ……そして落ちた。
ぐしゃりという音だけがやたらと響き、もう何も映していない瞳だけが仲間を見つめている。
「次」
「あ⁉ ああああああああああ⁉」
喋る気になったか? などとは聞かない暴君は、次の男をぶん投げて同じ作業を繰り返す。
「待て! 待ってくれ! 話す! 話すから!」
こんなものは人間の死に方ではない。
赤子を殺し、幼児を殺し、男を殺し、女を殺し、老人を殺した。
家畜の餌にした。生きながら犬の餌にした。
拷問の果てに殺した。
ありとあらゆる残虐な行為をした筈の殺しの部隊は、物のように処理していくセシルの行いに耐えきれなかった。
「領主の館にいる!」
「ありがとさん」
「え?」
決定的な裏切りを働いた男だが、セシルは口だけの感謝を述べると変わらずぶん投げた。
「あ、あいつの言ったことは、ほ、本当なんだって! 領主の館にボスはいる! 信じてくれ! 頼むよ!」
「いや、吐けば助けるとか言ってねえ」
「は?」
本当のことを言ったのに墜落死した仲間を放っておいて、命乞いをした最後の一人だが、別に何の約束もしていないセシルは、構わずその男も空へ投げて作業を終えた。
「さて」
相手が領主の館だろうと関係ない。国家だろうが関係ない。
ドラゴン。深淵の巨人。果ては悪神すら関係ない。
「一緒にするな! 何人殺したんだよ! 三人⁉ 四人⁉ ちげえだろ! 俺らは軽く千人以上はいたんだぞ! それが! それが全員!」
「まさか俺が正義の味方に見えるのか? お前らと一緒だよ。喧嘩を売ってきた奴、邪魔な奴、気に入らない奴を殺しただけの話だ。正義やら大義やら言ってないお仲間だろ?」
歩き、粉砕し、殺す。
まさに暴君でしかない男は止まらない。止められない。
平の平和。暴力装置。無理矢理の天秤。世界の大きな混乱と引き換えに、世界そのものを救うことになる男は暴れ回る。
「宝石か……てめえんとこの馬鹿がやらかしたから、ガキと親父の治療代に貰っていくぞ」
ただ、暴君の手で助けられた者達がいるのは純粋な事実だった。