圧倒的強者
宿を見つけ一泊したセシルは、一夜を明かしながらベッドで横になっていた。
「……お父さん……お母さん……」
「……」
ロイの寝言が聞こえたセシルは、非常に珍しく同情のような感情を抱く。
養父から捨て子だったと聞いていたセシルもまた、実の親を知らずに生き、幼い頃はどのような両親だったのかと思うことがあった。
そしてロイの年齢で、分からないものは分からないと納得させるのは無理だ。いつか……セシルがそうだったように、時間という猛毒が麻痺を招くその時まで付き纏う感情である。
(やっぱり親父ともう少し話すべきだったな……なんで俺を育てる気になったんだか)
セシルは髭面でむさ苦しい、単なる農夫だった養父の顔を思い出すと、もうどうしようもない感情を抱いて天井を見上げた。
「んぅ……」
「よう、起きたか」
「あ、おはよう……ございますぅ……」
「おおっと。二度寝は俺ら中年の特権だから起きろ若者」
セシルが自分の人生を考えていると、ロイが身動ぎして起きたのだが、寝ぼけ眼で再び意識を失いそうだったため、中年は自身の特権だと言いながら阻止する。
「飯食ったら外の解体所で話を聞くぞ。まあ、街中のギルドでもいいんだが、あんまり暇つぶしにならねえ」
「分かりました……ふわぁ……」
セシルが予定を告げると、ロイは世のご婦人が悶えるようなあくびを披露したが、生憎とここにいるのは中年だけである。
(金はまだ大丈夫だ。多分足りる。恐らく足りる。きっと足りる。それに最悪の場合、人里の辺りでうろうろしてる怪物をぶっ殺して売ったらいい。ロイがあれ食べたいとか言った時に、ちょっと財布が……なんて口が裂けても言えねえぞ!)
補足すると、いつも通り若干の危機感を抱いている中年だ。
重ねて妙なところで人がいいと表現しよう。路地裏に寝っ転がって酒を飲むのは苦にしないくせに、子供の面倒を見ていてそんな真似できるかと面子が許さず、なんだかんだと面倒見がいいのだ。
(堅気の生活は大変だなぁ……)
刺客を殺して金品を得る。それを売りつける。ほぼこの流れだけで生活を成立させていた社会人失格の男は、三十歳をとっくに過ぎてようやく、通常の人間生活に戻っている……のかもしれない。
さて、宿での朝食を終えた親馬鹿見習いと少年は、予定通り街の外にある冒険者ギルドの解体所に向かっていた。
「なんか観光でも出来たらいいんだがな」
「あまり聞いたことがないです」
「だろうな。ああ、その点で言えば予定地点じゃ困ることはないぞ。なんせ古さは一二を争うから、見るもんに困らねえ」
なにかしらの暇つぶしを求めているセシルが呟くと、ロイが首を横に振った。
山間部にある小国では観光という概念が希薄なため、整備された観光地もない。しかし、最終目的地である聖典国は古代の神殿だったり、煌びやかな聖地が存在しており、少なくとも時間つぶしで困ることはなかった。
そしてセシルとロイは街の城門を出て、外にある解体所に辿り着く。
「邪魔するぞ。流石に朝は暇だろ? 悪いが少し暇つぶしに付き合ってくれ」
「はは。いいですよ」
ギルド職員を見つけたセシルが声をかけると、巨狼を引き摺って来た彼はよく覚えられていたようで、にこやかに出迎えられた。
朝の解体所は少々暇だったため、セシルに付き合う時間もあるようだ。
「昨日話してた通りお上に話が通りそうな感じか?」
「ええ。ほぼほぼ確定と思います。剥製か毛皮の敷物か。まあ、そんなところでしょう」
「早く話が纏まってくれれば嬉しいんだがな」
「私らも保管に神経をすり減らすので、それを望んでますよ」
肩を竦めたセシルに職員が同意した。
大抵の人間は話が大きくなればなるほど、ストレスが発生するもので、可能な限り単純な作業を望んでいるものだ。
「ギルドに売って、後はお上と好きにやってくれって感じには出来ないか? 長居をするつもりがないんだわ」
「あー……そうですね。可能だとは思いますが……ご領主様との交渉が始まってない現時点では、恐らく本来の金額よりかなり低くなりますよ?」
「そりゃそうなるだろうな。俺に出した金の方が多かったー。なんてことになったら笑い話だ。ま、選択肢の一つとして考えと、く、わ」
セシルが一晩考えた手段を口にすると、職員が善意でデメリットを教えてくれたので納得したが、最後の言葉は首を横に動かしたため妙に途切れてしまった。
「珍しい生き物がいるんだな」
「はい?」
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
脈絡のないセシルの呟きに職員は困惑したが、その珍しい生き物が吠えたことで愕然とした。
街の遠方にある森を突き破って人里に現れた怪物の叫びが街まで届いたのだ。
道中で熊やシカなどを取り込みなんとか命を繋いでいるだけの、狼、肉、骨が合わさった冒涜の獣が、求めていたモノとあり得ざる力をはっきりと認識する。
「ッ!」
冒涜の獣が駆けた。
速い。速すぎる。
大地が爆散するような勢いで駆けるその姿は、ありったけの身体強化を施した最上位の戦士を凌駕する程で、異様な身体能力を感じさせた。
「ここ二、三年じゃ一番マシそうなのが出てきたな。ロイ、ちょっと後ろにいろ」
「は、はい!」
街の防衛が間に合う筈もない突然の事態だったが、セシルだけは余裕を崩さず興味深そうに獣を観察し、傍にいたロイを後ろに下げた。
「あ、あれはいったい⁉」
「どう見ても死霊術師の悪戯だろ。ああ、俺に用らしいな」
職員が叫んだがセシルの返答は気の抜けたものだ。
あまりにも速すぎる獣は、あっという間に常人でも全身が不自然だと気が付く距離に到達し、濁った瞳はセシルに焦点を合わせていた。
「お前も暇で遊び相手が必要か?」
「ガアアアアアアアアアアアアアアア!」
余裕を崩さず僅かな笑みすら浮かべるセシルに、獣は全身をぎちり、ぎちりと引き絞り、大きく振りかぶって拳を彼の顔面に叩きつけた。
轟音が辺りに響いた。
小国が作った街の城壁や城門など、これだけでも容易く粉砕できる人知を超えた一撃を受け、生存可能な生物がどれほどいるのだろうか。
「訂正。ここ五年で一番マシなのが出てきたな」
少なくともここにいた。
一応は有機物同士の衝突なのに火花が散り、炸裂したと表現していい一撃を顔面に受けてなお、顔が吹き飛ぶどころか仰け反らせてもいない暴君が露骨にニヤリと笑う。
難しい話はない。
結局のところ弱者だから争いが長引くのだ。
弱いからあれこれ手段が必要なのだ。
強者でないから傷つくのだ。
「オオオオオオオオオオオ!」
「おいおい。次は俺の番だろ?」
再び大きく振りかぶった怪物にセシルが苦情を入れるのと、怪物の胸がセシルの拳で貫かれるのは同時だった。
「うん? なんだ? こいつの核か?」
そんな非現実的な光景を生み出したセシルは、珍しく確かな感触を拳に感じて首を傾げた。
正解だったのだろう。
胸にぽっかりとした穴が開いた程度では止まらない筈の生きた死体から、どんどんと力が消え始め、先程まであった威圧感もまた無くなっていく。
「ふむ」
核と思わしき物体。地面に転がった胸骨の消失はもっと早く、セシルが地面を見下ろした途端、光に包まれたように消え失せ、彼に僅かな疑問を齎した。
「……オオオオォ……」
勿論、獣も同じだ。
吐息のような息を漏らした獣は、ぐるりと視線を動かすのが限界だったのだろう。その直後、巨体に相応しい音を立てて大地に倒れ伏し、完全に活動を停止した。
比較対象が悪かった。
活動時間さえ気にしなかったら、単独で小国の陥落も実現可能だった背徳の獣は、この世界に存在しない筈の暴君に敗れ去ったのだ。
話が面白いのかつまらないのかの判断基準になりますので、面白いと思ってくだされば、ブックマーク、下の☆で評価していただけると作者が泣いて喜びます!