愛の横糸、死の縦糸
「ねぇ、1番の愛情表現はセックスじゃないわよね。それじゃああまりにも“生”に対して肯定的すぎるもの。」
渋谷の喫茶店の中、二人用の席の向い。彼女はそう言う。
「…それはさっきまで君を抱いていた僕への当てつけ?」
「いやそういうことじゃないよ」
いらぬ勘違いをさせてしまったとばかりに彼女は微笑む。
「なんでそんなことを聞くの?」
「私ね、高校時代は理科が得意だったの」
「うん。」
この女は今日も今日とて支離滅裂だ。頭が悪いわけではない。むしろその逆なのである。自身の頭の中に独特の世界観があり、いろいろ考えているのであろう。それを強烈に他人に押し付ける癖がある。
喫茶店の全面ガラス張りの外には寒空の下、マフラーを巻いたりコートを着たりした厚手コーデの人々が道玄坂を歩く。中年の男性は若い女性と共に登り、とあるカップルは仲睦まじそうに下っていく。
僕の淡白な反応に彼女はコーヒーを一口口に含み、一呼吸を置き続けて
「だからね。理系の大学に進学したの」
「でもね。変わっちゃった」
「うん。」
「進学したはいいんだけどあまりにも人間が無機質に見えてしまったの,,,」
「あなたは人間とロボットの違いをなんだと思う?」
「いやー、わからないな。」
「やっぱそうだよね!」
「あーそういうことじゃなくてね。考えてもみなかったことだなって。」
「あ、そっちね」
少し落胆したように呟く。彼女の態度は実にわかりやすいものだ。嬉しければ声は針元気になる。逆に自分の想った通りにならないときや落胆しているときは単調な暗い声になる。
でもまあ基本的には皮肉屋な部分があるのだが。
「でね、何が言いたかったかというとね。今私が飲んでいるこのコーヒー何が物質として入ってる?」
「カフェイン?」
「そう!カフェイン!」
「このカフェインは小腸で吸収されて、初回通過効果や血液脳関門」
「ちょっとまって、君はいつも人に乱暴に押し付け過ぎだ。さっきから何を伝えたいのかがわかんない。まるで奇書を読んでいる気分だよ。」
「そう?自然文学のつもりなんだけどな」
「ううん、そう。」
「やめる?」
「もっと端的に言ってくれればいいよ。」
「んー。なんて言えばいいんだろうなー。私の頭の中ではね全ても道筋が通ってても人には伝わんないみたい!」
「だろうね。知ってるさ。もう長いし。」
「早い話ね!人間って化学物質で情報を伝達してるでしょ!それがねロボットみたいだなって!」
「コーヒーも飲み終わったし、もう行こうか。」
「待ってよー!もっと話したいのに飽きたんでしょ」
「歩きながら話せばいいじゃん。」
「はーい」
この後私と彼女はその話の続きはしなかった。お互いに話題の目移りには全くの違和感も感じない性格であったので、次どこ行く?とか話していたら忘れてしまっていた。そのあとは歩いて原宿に向かったのだが、何度も歩いている道普段と変わらない道。ただそこにはこの子がいて幸せと安心感がある。
彼女と出会ったのはちょうど2年前。マッチングアプリで出会った。SNSが発達した現代における男女の出会いなんてそんなもので、特に代わり映えはするのものではない。
お互いに家から近かったこともあり渋谷で待ち合わせてご飯を食べショッピングをし映画を見てその後は。
多少他と違うのは出会ってから体を重ねるのも、付き合うのも大して時間を要さなかったことぐらいであろう。
付き合ってからの日々は単純で、町でデートをすればホテルへ。家でデートをすれば必ず次の日の朝家を出るような日々が続いた。
始めのうちは1週間にこんなに会っても飽きないのかというくらいに合っていたが、私が求めるものははじめは体であり、彼女はおとなしく話を何時間も聞いてくれる私ような人物は今までにいなかったらしくとても感嘆し「いい彼氏いい彼氏」と嬉しそうに話していた。でも今思うと彼女は私で寂しさを紛らわしていたのかもしれない。その塩梅がなんだかんだ心地いいのである。
始めは何を言っているかもわからなかった会話も、彼女が趣味嗜好を勝手に話してくれるので会話に出てきた本を読み、絵画や画家、作家の知識を入れればなんとなく理解できるようになっていった。
「あなたはよくも知らない小娘の為に、興味のない本を読んで来れるわね」
「いや興味あるからじゃないか。」
「あっそ!」
今思えば私自身が彼女の好きな本や絵画への興味をしっかりと持ち次の会うときにはその話が伝わっているようになっているもんだからうれしかったのであろう。端的に返事したかと思えば、彼女は決まってそういう時は目をまん丸く見開いた後にこっと嬉しそうな顔を見せる。この顔はとてつもなくかわいいものだ。
会話の中心は、よくある女性らしい小洒落たカフェの話でもなければ身長が高く白のTシャツにジーパンを履けばモテるような俳優の話でも無く、ミーハーな女子たちが好まないようなマニアックかつ教養深いものであり好事家としての面が強かったので、同性の友達はほとんど皆無であった。
友達と遊ぶことはしないのかい?と聞いたときは「だってあなたといる方が楽しいし、私は基本的に話すのが好きだけど、結局現状報告が主で同じような話しかしないし私と趣味が合う子なんていないよ」と語っていた。
また性質上男性と友達になろうとも、セックスフレンドにはなれど彼女の話を芯から聞いてくれましてや何時間もその話に興味を持って対等に語り合えそうな存在など今までいなかった。要は知識欲という鎧をまとった寂しがり屋という本性を見抜くのが私は早く上手かったのだ。なのでずっと長いこと一緒にいることができたし彼女も私を必要としたのだ。
だがそれだけであるのならば、私自身にはそこまで彼女と長くいて話を続けるための知識を能動的に得るメリットなんてない。どんな女性も基本的には知識があるだけでは付き合うことはうまくいかず最終的には男性側が飽きてしまうからだ。しかし彼女は違った。深い知識欲からなのか自身の見た目にもしっかりと気を使っており化粧やボディメイクにも長けていた。常に美しいヴィーナスのような細い体形に、乳白色の儚く透き通ったみずみずしい肌をしており彼女を抱いたときには何度抱いても飽きず彼女のことを今ここではく製にして飾れたら何億もの価値がつくことだろうかと考えたものだった。
そんな魅力的な彼女を私が放っておくことなどするはずがなく、資金的にも安定していたためちょうどのころあいだと思い冒頭の会話の頃にはプロポーズの計画を立てており、その数週間後には実行した。
お互いの仕事には特段と影響はなかった。彼女はアパレルで従業員をやっており頭はいいわりに今の若者特有か特に昇進意識もなく結婚のことは匂わせていた。直接的に伝えてくるような子ではなく、遠回しでもないそして言葉ではない二人の間だけの特別な空気感がそこにはあった。
もちろん彼女からの回答は”不束者ですがよろしくお願いします”というものであった。その日はいつもならホテルに泊まるところを止まることはせず、お互いに以前から同棲を始める話も立っていたので一度家に帰ることにした。
私はスキップをするかのように帰路につき(この時の私はとても浮かれていたように思う。帰ってからはワインセラーからシャンパーニュ地方の高いものを持ち出し一人で飲み切った。)、そして彼女にいつも通りメールを送り今後の幸せを思いながら眠りについた。自宅にあるいらないものはかたずけ始めた。それは私が一人暮らしで同居先は私の家になるだろうという話を前々からしていたからである。何度もと増しに来ているし、今更不快感も覚えるわけではないが、彼女が暮らし始めものが増えるのであれはそれはおのずと必要な行為であった。
次の日に彼女からの連絡はなかったが、何の心配もしていなかった。そんなことは良くあったからだ。厳密にいえばプロポーズをしたのだし両親に挨拶をしに行き正式に彼女と同居する許しをもらいに行く日程について予定を立てたかったのだが、お互いに仕事があるのでそこはどうしようもできない、そして私自身メッセージを返してほしいとメンヘラを起こすようなタイプでもなかった。
だが状況が変わったのはそのプロポーズしてから二日後のことであった。彼女の母親から連絡があったのだ。彼女が「自殺」したと。
***
彼女の葬式の日、それはとても少数で行われたと聞いた。まだ、両親にも挨拶に行っていなかった私は彼女に対し心の傷をつけた何かあったのではと親族に勘違いをされ出席することは叶わなかった。
実際、話をしたことのある母親は信用してくれていたがそのほかが懐疑的だったのだ。愛する娘のいきなりの死だった。父親はその責任をどこかに擦り付けたかったのだろう。一切そんな事実がないのは私自身はわかっていたのだが、彼女と過ごした日々は携帯に残る数枚の写真たちと一応彼女の両親に渡しておいた自宅の住所のおかげで届いた私宛に書かれた”遺書”のみが私の手元に残ったのであった。
それから私は大変酒に溺れた。
自宅に無数に転がるアルコール類の缶に着信やらメッセージで鳴り続けていたが電源の切れた携帯。虚無感。
確かにあの時、幸せの絶頂にいたのだ。そこから急激に転落した。しかも自殺?到底許容できる内容ではない。今でも信じられない。この世のどこかにまだ彼女がいるのかもしれない。死んでいたとしても心のどこかに一緒にいるのかもしれない。
彼女の母親から自殺の報告を聞かされた時は、ひどく動揺し、狼狽えた。彼女はプロポーズされた日とても幸せそうに帰ってきたらしい。
私からプロポーズをされた話をとても喜んで両親に話したそうだ。母親自身もとても幸せだったと語っていた。しかし次の日仕事の時間になっても部屋から出てこない彼女を心配し部屋に入ると自殺しているのが発見された。すぐに救急車を呼んだそうだがその場で死亡が確認され、後の報告では首を吊ったのはその日の早朝であったらしい。
遺体は一度検視に回され、そのタイミングで私の電話番号と住所、そして遺書を発見したと。私はすぐに遺書を読めなかった。勇気がなかったのだ。読むまでには検視はすべて終わり、遺体は戻され葬儀も進み遺体は焼却され墓に入れられた。私はまだ手を合わせに行くことができていない。そのころだ、歯かに行くより先に遺書を読んでしまおうと思ったのは。
以下が遺書の全文である。
遺書
これをあなたが読んでるころには私はもういない。というかいたくない。これでもし私が自殺に失敗してしまったのならばとてつもなく恥ずかしいし、幸せな感情に泥をかけてしまうことになるわ。
これはね、あなたにプロポーズをされた後家に帰ってそのままの流れで書いているの。でもね、つい嬉しくてお母さんには報告しちゃった!本当にうれしかったのよ。まあお母さんにもつらい思いをさせちゃうのはわかってるんだ、本当は誰にも話さないつもりだったのには私は頭が悪いわよね。それは無理だったわ。
だからねこの手紙は読みやすさなんて考えてないし、言いたいことだけ言うことにするよ。日が明けちゃうから。朝になっちゃたら私の愛が安っぽいものになってしまうから。
あなたは私が道玄坂のカフェで行ったこと覚えている?1番の愛情表現はセックスじゃないわよね。それじゃああまりにも“生”に対して肯定的すぎるもの。って
あれね。そういうこと。私にとっての愛情表現の最上級は”死”なの。
あの時あなたは私の言っている意味が分からないといったよね。それはね全て今まで私と付き合ってきた馬鹿な男たちと同じ。私のことを体でしか見ていないのよ。それはわかっていたの。
でもね、あなたはまし。唯一結婚してもいいわって思えたの。それはあなたもわかっていると思うけど私の話に一生懸命ついて来ようとしてくれたこと。すごくうれしかったよ。
別にあの時理解してほしかったわけではないのだけども、知っていてくれたらなと思って話したけど仕方ないよ。誰にも理解されようとは思わないし理解されるとも思っていない。だけど、あなたが理解してくれようとしたことに対して甘えただけなの。
ここまでで自殺した理由とかはわかってもらえたと思うの。でもね、あの時の話の続き、私を理解しようとしてくれるあなたなら、理解できると思って伝えたいと思って。
私ね、高校時代理科が得意だったの。(理科って中学生みたいだよね。本当は理科じゃないの。化学、物理、生物ってあるんだけどその中でも化学と生物が得意だったわ)
だからね。理系の大学に進学したの。でもね。変わっちゃった。
進学したはいいんだけどあまりにも人間が無機質に見えてしまったの,,,
あなたは人間とロボットの違いをなんだと思う?
まあ、あなたは今もそんなこと答えられないでしょうけどね。素直にあなたの嫌いなところだわ。浅いの。
まあいいやでね、何が言いたかったかというとね。カフェインってさ小腸で吸収されて、初回通過効果や血液脳関門を受けながら脳のアデノシン受容体を遮断してそのアデノシンの作用を抑えるの。それはねドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質の活動を間接的に抑える作用を抑える。いわば脳を興奮・覚醒させるわけよ。それってさ、あまりにも無機質的だと思わない?
人間の覚醒や睡眠すら1つの物質だけでも左右されてしまう。このね作られた感じがすごく無機質なのよ。人間の体がねもし機械でできていたとしたらそれは人間?ロボット?差なんてないわ。金属か有機か。それだけの違いでしかないんだから。
でもね、愛だけはそこと完全に異なるの。なぜならね、ロボットは愛を理解できないし、愛の為に自分を死なせることができるとは思えないのよ。ロボットが生を受けたとして、その生は愛より重いものとプログラムするはずだもの。私ならそうするわ。
だからね、私は愛をもって自分は生物だった。生き物なんだって証明がしてみたかったの。
あなたたちはみんな私を”奇書”と呼ぶだろうね。でもね、私は一生懸命自然文学を詩っていたのよ。
あなたは今とてつもなく荒んでいるわよね。すごく苦しい時間を過ごしているわよね。その辛さ苦しみこそが私なの。私の生きた時間、私の生きた喜び、私の生きた意味。死してなお生き続けるのよ。あなたの中で苦しみとして。それの苦しみでこそあなたと1つになれたのよ?
あなたとどんなにキスをしてもセックスをしても愛しているといいあってもあなたと私の距離は0になることはなかったわ。私が物質としてこの世に存在している時点でね。
でもね私がこれから縄に首をかけ、椅子を蹴り飛ばし自身の自重でその首の骨が折れ魂と肉体が分離しこの世から解き放たれたとき、あなたの魂と融合し始めて距離が”0”となるのよ。
これこそ永遠の愛じゃない?他の機械どもじゃ決して表せない“愛情表現”よね。
じゃあね。ではこれからも
末永くよろしくお願いします!
ここで遺書は終わっていた。読み終わったころには何もかもがどうでもよくなっていた。耳に聞こえるキー―――ンとした静寂だけが私と共にあった。
最後まで閲覧いただきありがとうございました。処女作でした。
理解をしていたら、彼氏は果たして彼女を救えたのでしょうか。男性の手のひらの上で転がしている慢心した感じ嫌ですよねぇ。他人はそんな簡単に推し量れないというのに。
もし次回があれば。また。