第66話 ダグの正体 1
「逃げる……?」
「花嫁として赴く。結婚してもいい。これで、少なくともマリアはキースと結婚できる」
「いや、しかし」
ええと、意味わかってるのか、この娘は。
「私はジルベルト王と話をしてみる。ある程度の条件を飲んでもらう。兵員の提供は可能だ。私が行く。十分だろう」
「ジルベルトは、お前がそんな爆発兵器だって知らないぞ?」
「ルーンさんと同じですよ。実践して見せればいい」
ルーンは見るともなしに、修復が完全には終わっていない例の塔を眺めた。
最初に来た時、フローレンが破壊したヤツだ。
あれ以来、勉強と称してフローレンに修繕をやらせているのだが、フローレンはその手の細かい作業が苦手らしくて、まだ完了していない。
「あとが大変だけどなあ……」
「それはとにかく、納得は納得でしょう。きっと思っていた妻とは違うでしょうが……」
フローレンは力説した。
「違いすぎだ。それではジルベルトの野心に火が付く」
「うむ」
ルーンが同意した。
「ジルベルトは冷静で合理的な男だ。もし、フローレンを使えるとなれば、ビストリッツを人質に世界征服に走るだろう」
「おそらくは。そして、その理由は可能だからだ」
フローレンはマリアとキースを助けたいと言う衝動でこんなことを言っている。
だけど、ジルベルトのような狡猾な大人にかかったら、その力は別な方向に向けて使われてしまう。間違いなく。
ダグは猛烈に不安になった。
「危なっかしい」
フローレンはちょっとムッとしたが、言った。
「では、マリアとキースが結婚したら、私は逃げます。どこにいるかわからない存在としてジルベルトを脅かし続ける。魔獣だらけのノワルなら、追ってこれないでしょう」
「どうやって逃げる気だ?」
「逃げること自体は難しくないと思います。ルーンさんは逃げましたよね? そして見つからないまま過ごしている」
ルーンは微妙な顔をしてうなずいた。
「でもね、ジルベルトは知っていると思うよ?」
「何を?」
フローレンとダグは一緒に聞いた。
「俺が生きて、ここにいるってこと」
二人はびっくりした。
「それなのに、どうして襲ってこないのですか?」
フローレンが聞いた。
「俺に昔ほどの力がないからだ」
ルーンは言った。
「そこまで脅威でないからだ」
「まさか……」
ダグがあっけに取られたような顔つきで聞いた。
「だから、ジルベルトは狡猾だと言うのだ。殺したり、襲ったりしたら、それ相応の戦力を割かれる。今の俺だって、相当な損害は覚悟しなくちゃいけない。だけど、そんなにしてまで殺さなくてはいけない存在だろうか?」
「でもっ……恨みを持たれているのでは?」
「もちろん、恨みはあるだろう。だけど、俺が何もしないなら、きっとこのまま黙って放置されると思う。俺が生きていたら、ジルベルトは何をしていたんだということになる。だけど、殺されたままなら、面目が立つ。一方で、ビストリッツの連中は、実はラヴァルスがジルベルトの目を掻い潜って俺が元気で生存していることで溜飲を下げている」
「しかし、それは、たとえばヘルデラントへ、ダルダネルが本気で侵略戦争を仕掛けてきたら、そして戦況が圧倒的に不利になったらどうなるのですか?」
「ジルベルトが救いを求めなくちゃいけないような事態になった時の話ね。多分、ジルベルトは平然と助けを求めにくると思うよ。あいつの面の皮は厚い」
「それで、ルーンさんはどうされるのですか?」
可愛らしい額に皺を寄せてフローレンが聞いた。
「戦うよ。だってヘルデラントが無事でなかったら、俺たちの食糧はどうなるんだね? ビストリッツで消費される穀物は、ヘルデラントの平原で育てられているんだ」
みんなは黙った。
「知らなかったよ……」
「いや、実際のところは、そうだろうなという俺の想像だ。ジルベルトは俺と徹底抗戦するのが嫌だったんだと思う。腕と足がなくなったことで、魔法をかけるのは不自由になったし、戦力も落ちた。だが、まだまだできることがある。これ以上、異常な魔法力を発揮されてはやりきれないんだろう。一応、今のままだと、天才的な魔力持ちより、王家の方が強いことになっているし、ビストリッツにだって利点はあるんだ」
「一体、何の?」
ダグが嫌そうに聞いた。
彼には、ジルベルトを憎む選択肢しかないらしい。
「魔力を持たないヘルデラントの人々の警戒心を解くことが出来る。ビストリッツも弱いのだと。彼らの王に負けるのだと思わせておくことができる」
「屈辱だ」
「そうとも言い切れない。異端への恐怖、忌避、憎しみを避けることができる。単なる能力だと」
「違う!」
ダグが叫んで、フローレンを驚かせた。
ルーンの前だと、ダグはまるで子どものようだ。
「俺たちはヘルデラントの人間とは違う。力を持っている」
「だが、ダグよ」
ルーンは言った。
「この世で唯一、ジルベルトが知らないことは、お前のことだと思うぞ」
ダグは不愉快そうな顔になった。
「お前もそろそろ、この辺境伯令嬢に、自分の正体をはっきりさせたらどうなんだ」
沈黙があたりを支配する。
フローレンは、ダグの顔を見つめた。
そう言われれば、この男は誰だったのだろう。
濃いめのブロンド、濃い青の目。典型的なビストリッツの男。魔力もそうだ。
だのに、ビストリッツ領内で見たことがない。
「あなたは誰ですか?」
おかしな言葉がフローレンの口から洩れた。
あれほど、ずっと一緒だったと言うのに? 名前も知らない。ダグとしか。
「フローレン、彼はアストラッド・ダグハウスだ。カルマン王太子の遺児だよ。死んでしまったので、王太子の地位を失ったけれど、ヘルデラントの王位継承権第一位だった男だ」




