第62話 ビストリッツの必死のおとぼけ
「ルーン・リヴォアがどんな人物かわかりませんが」
蛇の話は続く。
「大都市リンツでの教会の要職に就くほどの人物。並の魔力ではありますまい」
辺境伯が非常に気乗りしないと言った様子で返事した。
「そのルーンとか言う者を、私は知らないな」
「そうですか。それなら、それで別に構わない。いや、逆に結構なことだ」
蛇は笑った。
「我々がどのようにその娘を探し出し、何をしようと、ビストリッツ家は関係ないと言うことだ」
張り詰めた緊張感が極限まで高まっていく。
「それから、そのルーン・リヴォアも知らぬと言うのだな」
「知らないな」
辺境伯は気がなさそうに答えた。
「そのような田舎の地の司祭など、聞いたこともない。しかし、そんなに魔法力のある娘なら興味がある。我が一族と縁がある者ではないだろうか。よければ、こちらで引き取ろう。魔力の強い者の教育はヘルデラントでは、そうそうできるまい」
「娘をオーグストス魔法学院に入れておいて、そのセリフはなかろう」
バートが暗い声で言った。
「それに娘を見捨てるようなその発言、自分さえ良ければ、娘の命などどうでも良いのか」
「お若いの」
辺境伯はバートを軽蔑するかのように言った。
「その娘は辺境伯の娘ではないと言ったろう。私は好意で教育しようと言っただけだ。魔法力のある逸材は惜しいのでね。それはさておき、使者殿。この部屋はちと寒くないか? 別室に食事を用意してある。我々は平気だが、南の地方の者たちは寒さを嫌うらしくてな」
「毒でも仕込まれていては困る」
「貴公らにここで死なれては、ジルベルト陛下が何をおっしゃることやら知れたものではない。そのようなこと、気になさらずとも、我々はその気になれば……」
使者の横にいたバートが突然、首元を押さえて膝から崩れ落ちた。
「あっ、うぅ……!」
辺境伯は笑っていた。
「空気を止め、命を途切らせることなど、容易いことなのだ。そこの若者」
バートは涙目になって辺境伯を見上げた。
「うぬは使者殿ではない。連れてこられたただの魔力持ちに過ぎぬ。口の聞き方には気をつけるようにな。命永らえたければ」
バートは黙っていた。苦しくて口が利けなかったのだ。
傍らの蛇の使者が苦笑した。
「…だ、そうだ。では、ご好意に甘えていただこうか。温かいものだと助かる」
「さあな。終われば帰れ」
「残念ながら話は終わっていない。その娘は、ヘルデラントの威光をかけて探し続けている」
蛇と呼ばれるジルベルトの腹心は言った。
「早晩、捕まることだろう。その時、どうなろうと構わぬという言質は取った」
「チザム様……」
バートが喉を抑えながらかすれた声で言った。
「そうだ。その娘がどうなろうと我々は構わぬ」
辺境伯は妙に光る眼で返答した。
「血も涙もない親子だ」
「だから知らぬ娘だと言って居ろう。当家の娘は、ここにいるフローレンただ一人。ただ、あいにく魔法力がないので、国王陛下のご意向に沿いかねる」
「娘の居場所を知らさぬなら、探すまでのこと。見つかれば知らせを寄こそう。万一死体で見つかった場合は、マリア殿を王妃に迎え入れる」
「その場合、マリアは不要であろう」
「魔法力のある娘との婚姻はかねてよりの約束。今更の翻意は納得できない。ビストリッツが寄こした花嫁なら丁重にふさわしいもてなしをしよう。マリア殿におかれては、何も心配には及ばぬ」
それからチザム殿と呼ばれた蛇のように狡猾そうな使者は、今度はマリアの方を向いた。
「あなたの従姉妹の行方を教えてくれれば、あなたはヘルデラントの王都に行かずとも済む。そして、あなたの従姉妹のフローレン嬢はビストリッツ辺境伯の令嬢として堂々と嫁ぐことが出来る。このままではフローレン嬢の身の上が心配だ。あなたは心配ではないのか?」
一瞬の沈黙ののち、マリアの声が大聖堂に響いた。
それは笑い声だった。
「まあ、ヘルデラントの使者様ともあろうお方が、何をおっしゃるのかと思えば……フローレンはここにおりますわ。ご承知の通り、魔法力がないので、代わりを私が努めることとなりました。けれども、もっと良い候補者の方が見つかったとのこと。お祝い申し上げます。これで、私のような者が代わりを務める必要はなくなりました」
「ご冗談を。我々はあなたのことを決して忘れたりしない」
「お食事の用意が整いました」
蛇のようにしつこく話を続けるヘルデラントの使いの話をさえぎるように、ビストリッツの体格の良い給仕たちが割り込んだ。
零下になっているのではないかと思われるほど冷え込んだ石造りの礼拝堂から、食事を用意された部屋が廊下の先に見え、肉を焼くいい匂いが流れてきた。
辺境伯はもう、嫌気が差してきたのだろう。
「今日中に王都に向けて出立すると聞いた。話はこれまでだ。同席はせぬ。気安く酒と料理を堪能するが良い」
蛇は、目の前を通り過ぎる辺境伯一行をうやうやしい態度で見送った。
身分の差があるのだ。
帰りの馬車の中でバートは一人苦しんでいた。
彼の取った道は正しかったのだろうか。
「何を気にしているのだ。フローレン嬢が見つかったところでジルベルト様が粗略にするわけがないではないか。だが、どうやら城にもいない様子だな?」
バートをわざわざビストリッツ城へ連れて行った理由は、フローレンがオーグストス魔法学院にいたことを証明するためではない。
ビストリッツ城内に、フロ-レンがいるかどうかを確かめたかっただけだ。
「お前の感知の能力はどうなのだ? フローレン様らしい気配はしたのか?」
バートは首を振った。
「ございませんでした。ただ、フローレン様は、常に隠蔽の魔法をかけ続けておられました。それはみごとな魔法で、途切れることなく、薄く硬く少量の魔法量で存在の探索をはじいていました」
「で? 私は魔法力がないので、お前の説明で効果のほどはわかるのだが、今の状態どうつながるのかわからん。魔法が素晴らしいので、結局、場内にいるのかどうかお前には判断つかないというのか、それとも……」
「おられません」
バートは簡単に言った。
「ご本人様の気配は感じ取れないので、私は隠蔽魔法の雰囲気を探すしかありませんが、あの場にフローレン様らしき魔法はありませんでした」
「一人一人の魔法がわかるのかね?」
ちょっと驚いてチザムは尋ねた。
これは、バートにとっては、痛い質問だった。
どうしてわかるのかといえば、フローレンの魔法だからだ。
フローレンのことなら、何もかもが残っている。もうすでに思い出だが。
もう一度、会いたい。
どうしても会いたい。それは、砂漠の中で毒の泉に出会ってしまうようなものだとわかっていた。飲めば死ぬ。それでも、その命の水を求めて彼は旅しているのだ。
チザムは何事か察したらしく、急に言った。
「まあいい。お前が腕のいい感知の能力者だと、遠見の者たちが口をそろえて言っていた。魔法力のない私は信じるしかないからな」




