第61話 ビストリッツ城で
ビストリッツの城内には、ヘルデラントの使者が、何度目になるのかわからない結婚協議のために城を訪れていた。
使者のあだ名は蛇。
「私たちの娘は残念ながら強い魔力を持って生まれてきませんでした」
辺境伯は落ち着き払って、ヘルデラント王ジルベルトの使いに向かって返答した。
そこは、ビストリッツの王城の中の礼拝堂で、荘厳かつ豪華だったが、城内で最も冷え込むことで有名だった。
もう晩秋で、座っていても立っていても、震えがくるほどの室温だった。
ただしビストリッツの連中はまるで平気だった。こっそり火の魔法を使っていたからだ。
蛇め。震え上がって、とっとと帰るがよい。
ヘルデラントからの使者なんか、出来るだけ早くお帰り願いたかったのだ。
「私の従兄の娘である、マリア・トランスベッテを紹介しよう」
辺境伯が、蛇というあだ名の使者に向かって言った。
使者は……寒さがこたえているのかカタカタ震えていたが威厳たっぷりに答えた。
「ビストリッツに住んでいる者だけが、魔力持ちではございません」
ジルベルトの使いは食わせ物だった。辺境伯の言葉を簡単に信じるような男が、その任に就くはずがなかった。
「ヘルデラントの王に忠義を誓った魔力持ちが参上している。その者に判断させていただく」
男が一人、かしこまって入って来た。どうやら身分は卑しい者らしかったが、マリアのそばに近づいた。
「おそれながら、お手に触れさせていただいてもよろしいでしょうか?」
ちょっとためらったようだったが、辺境伯が答えた。
「ジルベルト王陛下が構わぬと言うのなら」
辺境伯も周りの戦士たちも、正体のわからない男の登場に、不審そうだった。
「失礼。私は感知の能力者でございます」
平民のように見える能力者は言った。大きな声ではなかったが、その声は冷え切った聖堂によく響いた。
そして、身を低くして、ほんのわずか、マリアの指の先に触れた。
全員が黙り込んだ。
ビストリッツ出身でもない平民の男に何がわかるのだろう。
「大変に結構な魔力の持ち主、さすがビストリッツ一族の姫君でございます」
辺境伯以下は、全員、息をついた。
マリアの魔力は、ビストリッツ領内ではごく普通の平凡な力だった。
だが、ヘルデラントではおそらく卓越しているのだろう。
感知の能力者はマリアから手を離して立ち上がった。
「時に、ビストリッツ辺境伯のご令嬢はどちらに?」
全員がサッと緊張した。
誰も変わったそぶりは見せなかったが、目に見えない警戒心がキーンと音でもしそうに空気をひりつかせた。
「お会いになりたかろうとは思っておりました。ただ、本人の前で、余り魔力がないことを言わないでいただきたもので。少々気にしておりますでな」
辺境伯は何事もなかったかのように、後ろに控えていた侍女に合図した。
侍女は淑やかに目礼して、一人の少女を連れてきた。
亜麻色の髪と青い目の少女だった。豪華な服を着ていたが、少しおどおどしているように見えた。
「ビストリッツ辺境伯の娘、フローレン・アイリス・バルトマルグでございます」
少女は震える声で、少々ぎごちなく淑女の礼を取った。
「顔をお見せください」
蛇とあだ名された使者は神経質そうに言った。
少女はいかにもおびえたように顔を上げた。
「どうかな? バート。この女性は本物か?」
許しを得ないで、バートはその女性の指先に軽く触れた。
「体中から魔力は出ていない。魔力がないとおっしゃられた辺境伯のお言葉はその通りでございます」
よく響く声で、静かにその平民の異能の男は宣言した。
「ただし」
辺境伯、その夫人、マリア、控えていた辺境伯家の戦士たち、全員が、見たところ何の権力もなさそうな、むしろみすぼらしい男の次の言葉に刃のような視線を向けた。
「この方は、辺境伯のご令嬢ではない」
そのいやにはっきりした否定の言葉に、蛇の使者すら、驚いたようだった。
「なんだと? バート?」
「私はフローレン嬢を知っています」
辺境伯側は、この見知らぬ男の突然の宣言に、ぶるりと震えた。
「辺境伯のご令嬢は銀に見える金髪と、まるで宝石のように深い碧の目をお持ちです。私よりほんの少し低いだけの、女性にしては高い身長。ですが華奢な方です。それから、魔力はまるで渦を巻くような、底知れぬ力です。あんな魔力を私は見たことがありません」
バートは苦しげだった。
辺境伯と、令嬢だという触れ込みの娘と、まるで氷のように冷静なマリアは、バートをにらみつけた。
ビストリッツの戦士の多くは動揺していた。
なぜ、この男は、彼らのフローレン様のことをそんなにもよく知っているのだろう。
フローレン様は、その男の言う通りだった。
うまく言い表している。
うっかり、魔力をのぞき込むとその深淵に引きずり込まれそうな気がして、危険すら感じたものだ。そして、フローレン様の碧の目は、本当に宝石のようだった。
陽気にきらめき、そして……恐ろしかった。
どれだけの力を秘めているのかわからない。この男の言う通りだった。
「まあ、ご冗談を」
落ち着いた声が響いた。
「あなたの感知の能力とやらも当てにはできませんわね。フローレンは、この娘です。おっしゃるように銀の髪と碧い目の持ち主よ。ただ、ビストリッツでは、そうめずらしい色ではないわ。そしてビストリッツですら、魔力のない娘は普通に生まれますわ。魔力持ちが多いことはその通りですけれど、人間、魔力の多寡だけが値打ちではございません」
辺境伯夫人の言葉が急に冷たくなった。
「ジルベルト国王のご意向に沿おうと努力しているのですよ? 魔力より血統を取るというなら、それも結構。もとより情があってのご所望ではないことは存じ上げております。女性にとって、それは悲しいことでございますけれど」
辺境伯夫人は面を伏せた。
「望まれて嫁ぐのが幸せと教えられてまいりましたが、ジルベルト陛下には大勢の側室がおありで、お子も何人もおいでだとうかがっております。この結婚の先行きを思うと……」
ビストリッツの戦士たちは明らかに動揺して、二人の娘たちもしょげかえって、見るも哀れな様子だった。
しかし、どんな風情にも悪意にも非難にも、冷え切った室温にも、動じないのが、蛇というあだ名を獲得したジルベルトの信任厚い使者である。
「私はヘルデラントの感知の能力者を信じています」
「この子に魔力がないのは、その通り。私たちだって、最初に申し上げましたでしょう」
奥方様の冷たい物言いに反応しないところがこの男の売りである。
「私どもが問題にしたのはそこではありません。こちらの娘は、辺境伯令嬢ではないと言うことです」
「なんてことを!」
奥方が青筋を立てた。
「失礼な。うちの娘をうちの娘ではないと?」
「ご令嬢には、オーグストス魔法学院で会いました。何度も何度も」
貧相な平民の男が言った。それは気負った声ではなくて、なんだか諦めたような、平坦な調子だった。
「娘はずっと城におりましたわ。オーグストス学院は男子校。なぜ、女性がそんな学校に行ったのか知りませんが、その女は偽物でしょう。ビストリッツの娘ではありません」
だが、バートははっきり言い切った。
「それは問題にならないでしょう。それほどまでの力を持つ娘が存在すると言うことです」
「まあ、それはそれは」
辺境伯夫人は、優雅に笑った。
「ヘルデラントも大したものではありませんか。そのような娘がいるなら、ジルベルト陛下はその方とご結婚なさればよいではありませんか」
「我々も探しているのですよ」
蛇と言うあだ名の使者が、むしろ下卑たような笑いを浮かべて言った。
「その娘について、唯一わかっていることは、紹介人がルーン・リヴォアと言う、地方都市リンツの司祭だと言うことだけ」
フローレンに、入学試験を受けさせる時間がなかった。
それに、下手に魔力の試験を受けたら、力を抑える練習をしていなかったフローレンがどんな結果を出すかわからない。
ルーンは教会に魔法薬を提供し、生活の糧を得ていたが、そのつながりで顔が利いたのだ。
もう何年も、ビストリッツから離れ、リンツで名を変えて暮らしていた。教会関係者とも、そのフランクな性格が幸いして親しかった。
ビストリッツから遠く、縁もゆかりもないリンツの教会は、名前だけ借りるのには最適だったのだ。
「他の書類は全部なくなっていました」
蛇はニンマリと説明した。
「その紹介状が残っていたのは偶然でした」
震えるほどに寒い礼拝堂に集まった人々が、自作ホッカイロがあるのに、全員が顔色を青くしていた。
「ダレン侯爵の嫡子ダルクバートン殿が、不審を抱き、学校の内部の者からこっそり持ち出させたのです。我々が調査に入った時、その溢れんばかりの魔法力みなぎる娘の資料は、全て失われていました」




