第57話 追われる者達
間違って二重投稿しているよ~とお教えくださった方、ありがとうございます。
あのう、それで、その貴重な感想を、泡を喰って削除してしまいました。
本当に、返す返すも申し訳ございません。
(そんなこともありましたが(過去形にしてやがる)、また読んでくださいませ。)
もう夕方で、森の番小屋に戻った時には、例のニタニタ笑いのジジイが呆れたように待ち構えていた。
「魔獣に食われちまったかと本気で心配したよ」
そして、フローレンとダグを穴が開くほどじろじろ眺めた挙句、もう荷馬車しかないよと言いだした。
「ウマだけ貸してくれ」
ダグはあっさり言った。
「明日返す」
「体力あるねえ」
下卑た親父は何を考えているのか知らないが、呆れながらもウマを貸してくれた。背骨が浮き出ているような駄馬だった。
「心配するな。ちょうど暗くなってきたところだ。誰にも見えないから不都合はないよ」
彼らはウマを風のように走らせ……と言うか、ウマは不本意だったろうが地面の上を走っているのではなくて滑っていた。ウマはかなり焦っているらしかった。
ウマの悲鳴と言うのを、フローレンは初めて聞いた。
面白かったので声を立てて笑い出してしまった。
今日、フローレンは初めて、子どもみたいなダグの姿を見た。
ルーンの前で、ダグは、小さい子どもみたいだった。
ちょっと唇を突き出し不満そうだったり、焦っていたり、くすっと笑ったりした。
ダグが安心して、のんびりしていることがわかった。
ルーンとファルナとダグの間の空気は……家族のようだ。
そして、フローレンは、彼らの中に入れてもらえたらしかった。
ルーンは厳しい目つきになることもあったが、それは批判的な目ではなかった。
なんだか、昔に習った厳しい家庭教師の目を思い出した。ファルナもそれは同じ。
「うん。頑張ってね、フローレン」
ダグが呑気そうに言った。
「あの二人に俺も習った。厳しい教師だったよ。ついに俺も先生でなくなっちゃったな。ルーンとファルナなら君を任せられる」
フローレンは厳しい目つきでダグを見つめた。じゃあ、ダグは何なんだ。
「君の体裁を整えるのさ。リンツにいる理由を作る。それから、この社会で暮らして行けるようなあれこれを教える方になったんだよ」
ダグは楽しそうだった。
夕食には、立派なレストランへ出かけた。
「人に慣れよう、フローレン」
立派な服のダグが言った。
夕べホテルに言いつけて、朝一番に仕立て屋が来るよう手配した。
お世辞たらたらでやって来た仕立て屋に、何着かを選んでサイズ直しさせた服が、夕方届いていたのだ。
以前にマドレーユでもドレスを着てダグと一緒にパーティに参加したことがあった。
今晩は食事をするだけだが、マドレーユと違って、この場所はずっと気取って洗練されている。
若いフローレンはその雰囲気を鋭く感じ取った。
「ここは新婚旅行が多い」
ダグがのんびりと笑いながら、グラスを傾けた。金色の液体だ。
こうしてみると、ダグは実に見栄えがいい。むしろイケメンの優男に見える。
中身は違うけど。
なにしろ、部屋が汚い。
「新婚旅行に見られれば、心配いらない。誰も寄ってこないからね」
そんなものなのかしら?
「せっかくの時間を楽しみたい」
ダグがフローレンの顔を見つめて、歪んだような笑いでにっこりして言った。
「どういうこと?」
「もう、時間がないんだよ」
「時間がない……とは?」
ダグは答えなかった。
その代わり彼は笑って、明日からは、ルーンからダグでは教えきれなかった攻撃魔法を教わるようにと言った。
「ルーンはもう、魔法が使えないんだ」
「え?」
そんな人が教師を? 驚きが素直に顔に出たらしい。ダグが言った。
「ルーンは、偉大な魔法戦士だった。偉大過ぎて狙われたのだ。魔力はあるが、今は強い魔法は使えない」
「どういうこと?」
「彼は右手右足を失った。膨大な魔力があるので、日常生活程度なら全く問題ないが、戦となるとそうはいかない」
そんな素振りは全くなかった。
フローレンは驚きすぎて口が利けなかった。
「魔法戦士は武器の扱いを勉強するよね。どんなに強い騎士でも素手では戦えない。魔力持ちだって、似たようなものだ」
「でも、そんな偉大な魔法戦士がなぜ?」
「闇討ちに遭ったのだ。犯人は、公式には誰だかわかっていない。だが、予想はついている」
ヘルデラントの国王、ジルベルトなのだろうか。
「間違いなく。相変わらず姑息なことをする男だ。ルーンがジルベルトのことを陰険野郎と歓迎のパーティの席上で放言したものだから、恨みを買ったのだと言われている」
言いかねない。
フランクなお人柄である。
「ルーンは口が悪すぎる。それから軽率だ。俺はそんなところも好きなんだが、ジルベルトの癇に障ったらしい。だが、ジルベルトは少々癇に障ったくらいで、闇討ちなどやらない。本当は怖かったんだろう」
「ルーンさんの魔力が?」
「そうだ。ルーンの力をもってすれば、ヘルデラント全土を制圧できる。人望もある。ただ、やらないだけだ」
「野心家ではなさそうだったわ」
「そうだね。王になるとか権力を振りかざすタイプではない。むしろ、家庭を大事にするタイプだ。だが、彼の力は恐怖だ。ルーンに正攻法では絶対に勝てない。魔法封じの薬を開発して、殺そうとした」
ダグの目がキラリと光った。
「だが、ルーンをそんなことくらいで殺せるはずがない。ルーンが死んだかどうか、ジルべルトは、疑っているだろう。公式にはもちろんルーンは死んでいる。いっそ、死んだ方が都合がいいからな。英雄ラヴァルスは気ちがいの凶弾に倒れたのだ」
ラヴァルス?
ルーンが?
「名前を変えざるを得なかった」
思わずフローレンは周りを見渡した。
「大丈夫なの? こんなところでそんな話をしていて?」
とても高そうな高級レストランだった。周りは静かな会話で満ちていた。たまに小声で笑う声、カトラリーの触れる軽い音がする。
優雅な動きの給仕が、何も聞こえて言ない顔をして新しいグラスをダグの前に置いた。
「ここでは誰も魔法のことなんか知らない。わからない。誰も、ダルダネルの魔獣を退治した人物など知らないんだ」
静かに音楽が流れてくる。隣のダンスホールで準備が整ったことを知らせるため楽団が奏でる低いやわらかい音だった。
「でも、ダグ、それでも、魔石の供給源が魔獣だってことはわかっていなくてはいけないことだと思うわ」
「魔獣を見たこともない人間にそんなことを言ってもね。お金さえ払えば、何でもそろうと思っているんだ」
ちょうど給仕が灯りを点して歩いているところだった。
夜が更けて、夕闇から夜になりつつあった。
灯りは、最新式の魔石入りのランプだった。明るくてローソクのようにしずくが垂れないし、煤や熱を出さない。
「君はドレス姿に変わると口調が変わるね」
ダグがうっとりした目つきでほめた。
「とてもきれいな女の子みたいだ」
「だって、ドレスを着ている女性が、僕なんて言うの、おかしいのですもの」
「とても似合う。とても」
酔ったのかしらとフローレンは不安になった。
自分で遮音の魔法をかけ直した。優秀な魔力持ちでも気がつかないくらい薄いが、丈夫な魔法だ。
ダグに教わった魔法だ。
「フローレンが大事だ。とても大事なんだ。危険な目に遭わせたくない。それくらいだったら、俺が死ぬくらいの方がいい」
何を言っているの、ダグ……と言いかけたが言葉が出なかった。
「明日からルーンのところで型だけでも教わってくれ。俺にはできないんだ。ルーンと君は似ている。最終戦闘になる」
「最終戦闘?」
誰と?
「決まっているさ。俺も君もジルベルトに狙われている。俺はずっと命を狙われてきた。ルーンのそばにいれば、彼の魔法力が莫大なせいで一人くらい魔力持ちが増えてもわからない。だからいつも一緒だった。だけど、明日から君が最大出力で練習を始めたら、王家の遠見は異常事態だと気がつくだろう」
聞き捨てならない言葉を聞いた。
ダグはずっと命を狙われていたの?
「そうさ。名前も何もかも偽って暮らしてきた。ここ数か月は君と一緒で楽しかった。一人じゃなかったからね。実は君も追われていた。同じ運命の二人だったんだ。あのまま、ノワルで二人でライフガード屋をやっていられればと思ったよ。だけどダルクバートンがやって来た。あいつから逃れることはできなかった」
フローレンが手で制したが、ダグは給仕に新しいワインを頼んでいた。
「数日はここで暮らせるだろう。王家の遠見が気づくかどうか」
「王家の遠見は優秀なの?」
「優秀だよ。君の友人のバートが加わったと聞いた」
「え?」
「ああ。君のことが忘れられないらしい。マリアの婚儀が延びた。君が存在するんじゃないかとジルベルトに気付かれたのだろう」
「まさか」
フローレンはつぶやいた。
「君の友達が教えたのだろう」
バートが?
フローレンは衝撃でダグの顔を見るばかりだった。
あんなに親しかったのに、どうしてそんなマネをするの?
信じられなかった。
「どうしてそう思うの?」
嘘だ。何かの間違いだ。
「手紙が届く。行方がバレるといけないので、君のところには誰も出せなかったが、もういいだろう」
ダグが手紙を押してよこした。
あて名はダグラウス卿で、商売の話がいろいろと書かれていた。魔獣の商品に関する話題ばかりだ。
終わりの方に噂話が書かれていた。知り合いの婚儀が延びたこと、理由についても書かれていた。
『もっと良い娘が元気で生きているとわざわざ知らせに来た感知の魔法の持ち主がいるそうです』
全く関係のない第三者からの噂話。
多分、これを書いた人物に他意はない。
「マリアは、喜んで王妃になりに行くんじゃないの?」
ダグは憐れんだような目つきになった。
「いいや。むしろ、一族の犠牲になって嫁いでいく。かつての俺の母がそうだったように」
「どういうこと?」
「マリアはキースと恋仲だった」
「え?」
フローレンは驚いて顔を上げた。




