第55話 婚約までのいきさつ2
王太子妃からは長い手紙が王と王妃宛てに届けられていた。
「実家に帰ります」
その後、長々とジルベルトの嫌がらせとしか思えない、数々の求婚行為が書き連ねてあった。
実家に帰るのは、もはや仕方がなかったが、後継の男児は残しておいて欲しい。
「このままでは息子の身の上も心配でございます。ジルベルト様は、必ず思うとおりに事を運ばれるお方。息子と私さえいなければ、順当に王位にお就きになられ、そしてきっと賢王となられることでしょう」
気がつかなかったことを文字にされて、王と王妃は驚愕した。
その通りだった。ジルベルトは王に向いている。なんだか変だけれど。
ジルベルトには有り余る施政能力と知恵があった。
ありすぎて怖いくらいだ。
その証拠に、彼はビストリッツに向かって誘拐事件の犯人と被害者の身柄の返還を求めた。
「え?」
受け取った側のビストリッツ辺境伯が意味が飲み込めなくて、機密文書なのに側近に読ませたくらいである。
字面だけを見ると、なんだか犯罪事件の処理のように見える。
ただ、誘拐犯は元王太子妃のことで、被害者とは母親に甘えているまだ幼い彼女の愛息子だ。
「母親が息子を連れて実家に帰っただけだ。これのどこが誘拐事件だ」
至極真っ当なことを言って、交渉に現れたのは、ビストリッツ家の一員で、ダルダネルとの戦闘の時、魔獣を一人で処分して窮地を救ってくれた大恩あるラヴァルスだった。
ジルベルトはラヴァルスを見ると、すごく卑屈な気持ちになった。
堂々とした偉丈夫だ。ジルベルトがあこがれてあこがれて、決して手に入らなかった絶対的なまでの武力と体躯、そして美貌。更に魔力。
「きっと脳筋バカに違いない」
ジルベルトは失礼なことを考えた。
「ヘルデラント王国の王位継承者第一位を拉致した罪は重い」
「ヘルデラント王国の王位継承権第一位はジルベルト殿だろう」
ラヴァルスは、致命的なことを言い出した。
一瞬、妙な沈黙が、両者の間に流れた。
幼子が王になるより、王の実子である彼が王になればいいのだ。
「そんなことはない」
かろうじてジルベルトは返した。
「アストラッドが王位継承第一なんだったら、ジルベルト殿は帰れ。アストラッドの方が偉いのだろ? 彼はジルベルト殿の顔を見るのも嫌だと言ってる。アストラッドは、お母さまに色目を使う男は嫌いだと言っている」
色目……
「子どもがそんな言葉、知ってるはずがなかろう! 嘘だ!」
「ここへ呼ぼうか?」
ビストリッツはヘルデラントの一角にある。
国内の一領地に過ぎない。
それなのに、とても偉そうだ。
王位継承権に関する慣例を説明しても、ビストリッツに利があるとしつこく説いてみても、一刀両断、明快な平民調で切って捨てられる。
「法律なんかどうでもよかろう」
お前はちゃんとした貴族なのか! 法律を守らなきゃいけないことくらい、どこかで教えてもらったはずだ。一体、どこで教育を受けた?
と、言いたいところだが、相手はダルダネルが、おそらくは何年もかけ苦労して作り上げた魔獣軍団を一人で殲滅し、あげくその肉を捌いて、大焼肉パーティを開催した男である。
ちゃんとした貴族かどうか非常に心もとないし、それより怖い。
魔獣は食えるが、人間は食べられないので、危険度は下がるかもしれないが、怒らせたら交渉団の全滅は確実である。
そんなことより、ラヴァルスの言うことは事実だった。
「お前が国王になれば良かろう。向いてそうだ」
ラヴァルスはあっさり言った。
「王子を返せ! でなければ嫁を寄越せ」
「嫁?……なんで嫁?」
それから、延々三時間、嫁問題を巡ってジルベルトは粘り、ラヴァルスを疲れ果てさせ、やむなく帰った後も、書簡を送り、そのあと選りすぐった使者を送った。
その使者とは、頭脳明晰、学校をずば抜けた成績で卒業し、立て板に水の勢いでしゃべりまくり、絶対に相手の気持ちは理解しないと言う特技の持ち主だった。
ラヴァルスは水虫のようなこの男に悩まされ続けた。
主張はこうである。
魔法力に富む、美しい娘を妻に欲しい。
当初の目的(王子の奪還)と違うじゃないかと思ったが、本気らしい。
「我が君は、貴殿のお美しい姉上を見て、ぜひにとの思いを抱いたらしく」
(姉はダメだから。すごく嫌われているから)
ラヴァルスは、その話を聞くのも嫌になったが、書簡を読んでも内容は一緒。
ビストリッツの、特に辺境伯家はどう言うわけが女児が生まれにくかった。
「知っての通り、ビストリッツは女性が少ない。今後、生まれることがあれば、婚家先として考慮しよう」
しかし相手は余計なことを知っていた。
「辺境伯家には五歳の娘御がおいでです」
うぬう。
なぜ、そんなことを知っている。
「五歳児は嫁に出せない」
「もちろんわかっております。婚約者として宮廷でお育ていたします」
それでは、ていの良い人質である。
「十年は先になる。待てないだろう」
「誠心誠意、お待ちします」
「なんでも、側妃が大勢いるそうだ。そんな男の誠心誠意など信じられない」
ここで誠心誠意とは、いかなる意味かについて、小一時間押し問答が繰り広げられたが、結局、無意味だったので、押し切る方針に切り替えた。
「魔力の有無は、まだわからない。魔力のある娘をとのことだな? 一度連れ帰られたら、返品は不可能だぞ? もっと魔力のある娘が生まれたら、どうする?」
使者が悩み始めた。
「それに魔力の教育は、ビストリッツの者はできるが、ヘルデラントでは無理だろう。ヘルデラントに私を上回る能力者がいるのか?」
「おります」
使者はぬけぬけとそう言った。言うのはタダである。真偽のほどなんか、証明の仕様がないだろう。
「よかった。それではその者と勝負しよう。遠慮はいらぬ。死ぬ気でかかってこい。私も手加減など失礼なことはしないから。なにしろ、私を上回る魔力の持ち主だそうだから」
ラヴァルスが歯を見せて笑うと、使者はすぐに手配しますと帰ってしまった。
「いきさつはそんな感じさ」
聴衆二人はルーンの軽妙な(?)語り口に圧倒されて黙った。
「一番の痛手は、しばらくして王太子のお子が、流行病で亡くなったことだ。もう、ジルベルトがビストリッツに介入する理由がなくなった。後継はジルベルトただ一人になってしまったからね。噂では、ジルベルトが毒を盛ったのだと言われている。王座を狙ってだ」
鉄壁のビストリッツの守りを掻い潜ってどうやって実行したのだろう。
だが、王子の乳母が泣きながらジルベルトを暗殺しようとしたことから、王太子のお子の死は明るみになった。
『あんなにお元気で、可愛らしかったぼっちゃまが!』
「さすがに乳母は罪に問われなかった。あんな中年のデブった女では、いくらジルベルトが運動神経ゼロでも殺せない。しかも武器が切れの悪い台所包丁だ。すぐ捕まったが、修道院に送られて、亡くなった子どもの死を弔っているらしい」




