第54話 婚約までのいきさつ1
ジルベルトはヘルデラントの第二王子として生を受けた。
そして、三歳上に兄がいた。
少しだけ大きくなって分かったことは、ジルベルトに魔力はなく、兄のカルマンには魔力があると言うことだった。
こればかりは生まれつきのもので、どうしようもなかった。
そしてジルベルトは父に似て、いかにも平凡な顔立ちだったが、兄は絶世の美女と称えられた母によく似て、華やかな金の髪と、男らしい美貌の持ち主だった。
体格も違っていた。
兄は誰もが見惚れる美丈夫だった。ジルベルトは、比べられると辛かった。貧相としか表現しようがない。一応は、王弟なので、誰も貧相だなどと失礼な口は利かなかったが、内心思うことは同じだろう。
兄弟は分け隔てなく、一緒に育てられたのだが、逆にそれが良くなかったのかもしれない。
ジルベルトは学問は出来たが、武芸や乗馬になるとさっぱりだった。
そして兄には天賦の才があった。
剣の教師などは、ついうっかり、夢中になってカルマンを褒め称えた。
「カルマン様は天才です。素晴らしい。この年齢で、私の剣を弾き飛ばすとは!」
兄のカルマンは王子として必要な全ての資質を満たし、さらに光り輝いた。
すらりとした体躯と美貌、見事な剣の腕、学業も優秀で申し分がなかった。
そして、魔法!
彼の放つ魔法は華やかで、いつも人目を引きつけた。
そのくせ、言うのだった。
「一人だけの魔法なんか意味はないと思う。僕は確かに魔法が使える。でも、だからと言って僕一人で国が助かるわけじゃない。皆の力が必要なんだ」
何をきれいごとを、とジルベルトは思った。
だが、そう言うきれいごとを表に出すことは必要なのだ。裏で何をしていようとも。
もし、裏も表もなく、そんなことを信じているなら、ただのバカだろうとジルベルトは思っていた。
「カルマン様とビストリッツの姫君との婚姻の話が持ち上がっていて……」
「そうなんですか……」
ジルベルトは、むしろ忘れ去られていた。年齢の差は如何ともしがたく、兄は両親の思いつく限りの全ての野心を満たしながら、年長者として当然王太子になった。
カルマンは婚約した。相手は、ビストリッツの姫君だった。
婚約の話が出ていた頃、ジルベルトは流行り病に罹って、一時的に離宮に隔離されていた。他の王族にうつしてはならないからだ。病気がようやく癒えて宮廷へ戻った時には、すべてが終わっていたことを悟らないわけにはいかなかった。
魔力持ちの女が貴重なことは知っていた。だから少々無理をしてでも、魔力持ちを好んで娶る貴族は多い。
だから、きっとどこか無理のある女だろうと、やっかみ半分期待して、少女の顔を見た時、ジルベルトは奈落の底に突き落とされたような、しまったという気持ちに支配された。
なんという美しい少女だろう。
彼の、ジルベルトの理想というか好みを詰め込んだような少女だった。
それが、すっかり兄のカルマンに夢中になっていた。
しかも素晴らしくお似合いの二人だった。
ジルベルトには、二人の行く末を祝福してやる(ふりをする)しかなかった。
やがて兄は結婚して息子が産まれた。
王位後継者に不安はなくなったので、ジルベルトは公爵位を賜った。自由にしていいと言われたが、それはそのまま、ジルベルトは不要だという意味だった。
隣国ダルダネルが魔獣の軍団を操って襲撃してきた時、王太子は周りの反対を押し切って従軍した。
「兄はバカだ」
誰か王家の者が参戦すべきだったが、死んで惜しくないのは、ジルベルトの方だった。だが、彼は意地でも行く気はしなかった。
「まったく武芸に才がないと、さんざんバカにされてきたのだ」
王太子殿下に比べて、才能がないとずっとこき下ろされてきた。
そんな人間に行けと言うのか。
妃殿下はビルトリッツの出身だった。彼女は自分の兄を呼んだ。ヘルデラントの人間は魔力を持つ。
やって来たラヴァルスを見たジルベルトは内心驚いた。
偉丈夫とはこういう人物のことを言うのだろうか。
兄のカルマンすら華奢に見えるくらいだ。
だが、ラヴァルスは間に合わなかった。
カルマンは死体になって戻って来て、王家全体が悲嘆にくれた。
子を残してくれたことがせめてもの幸いだ。
ラヴァルスはダルダネルの魔獣をいともやすやすと片付けてしまって、なんだか余計ヘルデラントは意気消沈した。
ほぼ一人で片づけてしまったのである。
魔力には魔力で対抗せよと言うことか……
教訓を得たのかもしれなかったのだが、何もかも遅すぎた。
唯一、何も感じていないのはジルベルトだけだった。
かくなる上はジルベルトが摂政になるほかなかった。王位は兄カルマンの遺児が継ぐべきだった。
ジルベルトも特にその点について異議はなかった。
立太子式が済み、ジルベルトは正式に摂政の地位についた。父がもう高齢だったからだ。
驚いたことには、ジルベルトはこれと言って特徴のない痩せた小男で、なんとなく陰気な雰囲気のある親しみにくい人物だったが、政務を執らせると巧みだった。どこからも苦情が出なかった。
傷心の王と王妃にとって、これほど安心できる話はなかった。
いつも怒っているように見えるが、別に時々不機嫌になるだけなのだと家臣も悟ったので、だいぶ安定してきた。
そして、彼らは遅まきながら妃を勧めてみた。
摂政と言えば、権力者である。そこは家臣、抜け目がない。
しかし、ジルベルトからは意外な返事が返ってきた。
「甥の王子の行く末を見守る所存である」
これで目が覚めたのが、母の王妃様だった。
これまで、この息子のことをないがしろにし過ぎたと反省したのだ。
何を今更、ウザい限りである。
だが、そこはさすがにジルベルト、陰湿で根暗で冷酷と言う噂は、根も葉もないものではなかった。
彼は密かに兄の元妻を狙っていたのだ。今はフリーだ。
残念ながら、亡くなった夫のことを忘れられず、愛息子だけを相手に暮らす貞淑な妻に言い寄った件で、ジルベルトは、元々あまりよくなかった評判の上に、節操のない男と言う評判をも勝ち得てしまった。
「なんということをしてくれるのです。どこのご令嬢でも、よりどりみどりでしょうに!」
母の王妃からまで叱られた。
ジルベルトにしてみれば甚だ心外だった。
「何をおっしゃるのです。兄上に相応しいほどの女性なら、弟の私にはもったいないくらいです。良縁だと思います!」
なぜ、自分の妻とならなかったのか、なってもおかしくないと思う。確かに向こうのほうが三歳ほど年上だが、当時はとにかく今となっては自分だって一人前の立派な男だ。
ジルベルトにはお手付きの侍女が何人かいて、庶子までいる。王国は安泰だろう。万一の場合は庶子をどうにかすればいいだけで。
正妃にはそれなりの女性がいい。
「あなたをずっと好きだった」
王太子妃は震え上がった。
「そんな所も好きだ」
ニコリと笑ったはずが、ニタリに見えるのは日ごろの人徳のなせる業だろう。
そもそも、どうしてそこで笑うのだろう。
ジルベルトのは、一応、真摯な恋心である。お手付きの女中と王太子妃への気持ちは種類が違う。……と本人の中では整理が付いている。誰にも、同性にもわかってもらいにくい理論構成なので、多分王太子妃に理解は無理だと思われる。
「わかってもらう必要はないと思っている。あなたを一番大事にすることだけ、わかってもらえれば」
ぐいと迫るジルベルトに、王太子妃は、とうとうさめざめと泣き始めた。
泣かれるとは心外である。
どこかトチ狂った恋物語だったが。さすがはジルベルト(と言うべきか)、すべては秘密裏に行われた。
つまり、王太子妃の周りをすべてジルベルトの手の者で囲いこんだ上での求婚だった。
人聞きの悪いような口説き文句も、押せ押せ一辺倒の攻勢も、王宮の外に噂として流れることはなかった。
「もう少しお待ちになられた方がよいのでは? ご夫君が亡くなられて、まだ1年もたたないのですから」
側近中の側近が、見るに見かねて助言した時、ジルベルトはぼそりと言った。
「私は十年近く待っている」
それは兄上の結婚前からの、婚約時代からの通算期間であって、なんだかヤバい。他人の妻に向かってそれはなんだ。
そして、ある晩、ジルベルトは万全を期して元の王太子妃のもとへ忍んでいった。
……忍んでいった割には協力者が多すぎる。
周りを囲めば囲むほど、成功率が上がると言うのがジルベルトの持論だったが、周りはこの件に関してだけは、炯眼のジルベルト様が脳みそに支障をきたしていると判断していた。
「自由にさせてあげて、優しくしてあげれば、いずれ気が変わるものでございます」
「ダメだ。カルマンとは違う。……私は女性に好かれないから。時間をかけているとトンビに油揚げをさらわれてしまう」
余りに致命的な真実を言われて、側近は言葉を失った。
それが本当だろうと、思い込みだろうと、触れてはいけないことに触れてしまった気がする。
「明日は絞首刑になっているかもしれない」
助言した側近Aは震える手で遺書を書いた。ジルベルトは確かに有能だが、その分容赦ない。側近Aには家族がいる。
しかし、結論から言うと、この度の勇敢な試みは不調に終わった。
「あなたを初めて見た時、打ち震えた。なんて美しい方がいるのだろうかと」
ジルベルトは言葉を続けた。
「必ず、ものにしてやりたいと」
(どうして後半を付け加えるのだろう)
側近Bは思わずつぶやいた。あんなに頭が回るくせに、いざとなるとこれである。
無理矢理関係を迫ろうとして、王太子妃殿下の寝室の押しかけたはいいが、妃殿下の魔力によって、ジルベルトの方が吹っ飛ばされて、ドアに頭を打ち付けると言う結末を迎えてしまった。
さすが相手は魔力持ち、計算外の失態である。
事情を聴いて失笑しない者はいなかったが、面と向かっては、宮廷の誰も、王と王妃ですら、摂政ジルベルトが額にこしらえた傷の理由を聞く者はいなかったと言う。
やり方が間違っていると誰かが指南してやればいいのだが、摂政閣下に物申すとなると、遺書の準備から始めなくてはならないので、なかなかそんな勇者は現れなかった。
部屋をバラの花で埋め尽くしてみたり、多種の香水の詰め合わせを贈って屋敷の者全員を匂いの不協和音で頭痛に陥れてみたり、自分の血をインク代わりに恋文を書いて送ったりと、ユニークな方法で気持ちを伝えようとしたが、余りうまく行かなかった。
幸いなことに、厳重に箝口令が敷かれており、関係者以外に知る者はいなかったが、この物語はある日突然終焉を迎えた。
王太子妃殿下の失踪と言う形をとって。
そして、後継の息子も一緒に王宮から姿を消していた。
ジルベルトの嫌がらせ、否、熱烈な求婚に耐えられなかったのである。




