第41話 ビストリッツの戦略
「マリアはお前のことをよく知っている。だから、決してその魔法力のことを他言しないだろう。喋った途端、花嫁はすげ替えになるか、もしくは離縁されるか、あるいはビストリッツ家との全面的な対立となる。マリアはビストリッツに家族を残している」
「ひどい……」
「マリアは王妃の地位を承諾した。マリアを手放し、お前を残したのは一族の総意なのだ」
「え?」
「他の誰を敵に回しても、お前だけは敵にしたくない。味方であってほしい」
「お父様とお母様が?」
「辺境伯はビストリッツの命運を委ねられている。王国内の力の均衡、ダルダネルとの関係もそうだ。背後にビストリッツがいる限り、ダルダネルは容易に手出しできない。それほどの力だ。この先、万一、王家とビストリッツ家がことを構えることになった場合、誰が戦うのか。それは、フローレン、お前なのだ。そんな最終兵器をむざむざ王家に渡すわけにはいかない」
フローレンが知らないだけで、実はフローレンは実家ではめちゃくちゃに高評価だった。
「お前の意思を尊重すると言ったが、それは王以外の花嫁となる場合のことだ。王家以外の家へ嫁ぐことは自由だ」
隣でダルクバートンが勢いづいたが、ダグが打ちのめした。
「あの王を黙らせるような結婚相手か、あの王がどうでもいいと思うような結婚相手が望ましい」
微妙な言い回しである。
「ダメな例で言うと、ダルクバートンだ」
「ダレン侯爵家が失格だと言うなら、王を黙らせることができる家などないだろう!」
ダルクバートンが吠えた。
「それは、まあ、その通りだと思う」
ダグは悠々とワインを飲み干した。
「あのバートくらい小物ならいいと言うのか?」
「フローレンが好きだと言うならね。感知の魔法で、女の子だとわかっていて、くっついてきたような男だぞ?」
女性の嫌悪感を煽るのはうまいらしい。
フローレンは嫌な顔をした。
「さあ、食事も済んだ。帰ってゆっくり休みたい」
ダルクバートンは頷かなかった。
「ちょうど下では、ダンスパーティをやっている。ホテルの主催だ。一緒にでかけてもいいだろう?」
「こんな田舎のホテルが、そんな催しを?」
「大したものではない。面白い物もないだろうし、楽団の質も怪しいものだ。でも、ダレン侯爵家が、辺境伯令嬢を誘っても構わないだろう、ここでなら」
ここなら……。
ヘルデラントの外でなら。
「誰にもわからない。知っている者などいない」
ダグは仕方ないと言うように頷いた。
ダルクバートン……というか、ダレン侯爵家がヘルデランド国内で自由に振舞うことなど不可能だった。
ダレン家は、王家への届出なしに勝手に結婚できるような家ではなかった。
魔力ゼロの娘だと、証明できれば、ありえない話ではないかもしれなかった。そのために、できるだけのことをした。城から出してしまい、魔力の痕跡はビストリッツに残さなかった。
行き先にはオーグストスを選んだ。絶対に女性が行かないところだ。男子校だなんて、普通の女性には危険すぎた。
自分の能力が認められなくて不満だったフローレンだが、両親はその能力を認知していた。
フローレンなら、近づく男子を滅多打ちにできる。最強だ。
そして、どんな身分の男でも彼女が気に入ったなら、ビストリッツに連れてきてくれて構わない。
オーグストス校の男子は全員魔力持ちである。
ビストリッツ家は、魔力さえあれば出自なんか細かく言わなかった。
ある意味、オーグストス校は狩場だった。
逆に、ダルクバートンは知らないが、相手が彼だったとしてもビストリッツ家は気にしない。気にするとしたら、ダレン家の方だろう。王家と対立とまでは行かないが、不味くなることはあり得るので、そんなリスクを好んで取るかどうか?
とはいえ、なにしろフローレンは最強だ。彼女さえOKなら、ダルクバートンは世界最強の力を手に入れることになる。
「国王だって、平伏するかもしれない。だが、そんなこと、教えてやらん」
テーブルに一人ポツンと残されたダグは酒のグラスを握締めながら、つぶやいた。
「さあ、フローレン嬢、こんなところのダンスパーティなんて、お気に召さないかもしれませんが、今宵は少し兄上には外していただいて、お話しをしませんか?」
兄上、なし! これ、重要。
実兄はどう見てもフローレンを可愛がっている。
ダレン侯爵家が役不足だなんて、聞いていて不愉快だった。
だが、ダルクバートンはそのキラキラした黒曜石の瞳の奥に知能を備えていた。
つまり、フローレン嬢の決定次第と言うことなのだ。
ビストリッツもヘルデラントも。
ならば挑戦したい。
相手が辺境伯の令嬢では、侯爵家の身分が、ちっとも武器にならないが。
「お手を」
ダルクバートンは若く、十分に美男子と定評があった。成績だって、主席卒業だ。
アレンの細い指先が触れた時、ダルクバートンは嬉しくて、緊張で身が震えるようだった。
下のダンスホールはにぎやかだった。
全く知らないこの街の住人たちが、笑ったり、お酒を楽しんだりしている。
散々魔法力を使った後だったので、二人とも万全の体制ではなかったが、踊るのではなく、眺めているだけなら、十分だった。それに、ダルクバートンは、ダンスをしたかったわけではなくて、話をしたかっただけなのだ。
フローレンは少し考えたかった。
それにはダグはいない方が都合がよかった。
今日、初めて聞いたことがたくさんあった。
ダグはリーバー先生として、オーグストス学院に住んでいた。
フローレンは彼の正体を知らなかったが、ビストリッツの一族の誰かであることは間違いなかった。
両親が全幅の信頼を寄せていたくらいだ。
有能で面倒見がいいことも、確かだった。
だが、それだけにフローレンは自由さを全く感じなかった。両親の手のうちにいるような、安心感とともに息苦しさを感じた。
「兄上の話を聞きましたか?」
本当に実兄だったとしても、全く違和感がない。フローレンを押さえつけるような、既定の路線を歩かせようとする足かせだ。
「ええ」
「すべては、あなた次第」
ダルクバートンの目が光った。
「あなたの兄上は、ダレン家はヘルデラント王家に対抗できないだろうとおっしゃいましたが……」
言いたいことはわかる。
ダグの話を聞いた後では、フローレンはなぜ今まで、実家の侍女たちが、彼女が本当にしたがっていた魔法から興味を逸らそうと必死だったのか理解できた。
魔力の量を知られてはならなかったからだ。
王家との約束は生きていた。
破ることは許されない。
だが、フローレンを王家に渡すことは危険すぎた。
(それでも、まだ両親は私の力量をわかっていない)
フローレンの力を知っているのはフローレンだけだった。
自分がどれだけのことを成しえるのか、自分でも見極めはつかなかった。
だが……魔法学院に行ったことは、経験だった。
フローレンは知ったのだ。
個々の能力では、例えばバートの遠見の能力にフローレンは勝てない。
だが、戦闘能力に関しては……圧倒的なまでの力だった。誰も勝てない。先生すら。
武器を学び、その物理の、あるいは魔獣や人間の体に及ぼす影響を学ぶことは、どのように魔力を使うかに役立つ。
もっともっと経験が欲しい。
「あなたを得れば、王家すら怖くない」
耳元で、ダルクバートンがささやいた。
「あなたが好きだ」
ダルクバートンは、愛おし気にその整った顔を見つめた。




