第36話 義兄との会話
「アレン、外で食事を作ってきてくれ」
もう夕方だった。
「マクシミリに宿をとらせて、夕食も命じている。そんな心配はいらない。できればあなたとフローレン嬢を招待したい」
ダルクバートンは遠慮した。
「アレンの手作りでも?」
ほんのり笑ってダグは言った。
「あ、それはその……」
ダルクバートンが赤くなり、アレンは妙な顔をした。
「楽しみにしている」
うっかりダルクバートンはニッコリしたが、ダグはさらに難しい顔になった。
「俺はこの男と話がある」
アレンが無精無精に出ていくと、ダルクバートンは言った。
「ちょっとかわいそうではないですか? 義兄上」
兄ではない。
こいつに兄上呼ばわりされる理由もない。
だが、先ほどのやりとりで、ダルクバートンの中では、ダグの実兄説は決定事項になった。
ビストリッツ家への傾倒ぶり、アレンに頭ごなしに命令する様子、アレンのブスッとしたダグへの反応、どれをとっても実兄以外の何者でもない。最初は疑っていたが、恋人なんかでは断じてない。
ダルクバートンは一安心した。
事情のあるアレンの、否、フローレン嬢のことだ。ビストリッツ家の兄上と一緒なら、安心できる。
従って、ダルクバートンとしては、この男の機嫌を取るべきと路線が決定した。
部屋が散らかっているくらいは、結婚するのはこの男ではないので、そこは目を瞑ることにする。
「問題は、フローレン嬢が王妃という地位をどう思うかという点に尽きると思うのですが」
「つまり、結婚だな?」
「結婚相手ですね」
ダルクバートンは訂正した。ここが重要である。
彼は、そのためにわざわざ海を渡ってアレンに会いにきたのだ。
ただの平民のアレンでも無論良かった。あれだけの魔力があるのだ。どこぞのハウゼーマン一家ではないが、身分など作り上げて、結婚まで漕ぎ着くだろう。
だが、辺境伯家のフローレン嬢となれば、話は違う。
身分的にはより一層好ましく、どこかの貴族の家の養女にする必要や、礼儀作法を教える必要など全くない。それどころか侯爵家の方が頭を低くして頼み込まなくてはならないだろう。それこそ願ってもない良縁だ。
だが、なんともし難い壁が立ちはだかっていた。
王家の婚約者。
なんだか玉虫色の婚約だが、王家は徹底的に望んでいるのだという。
「何か、条約か規約めいた婚約ですが?」
愛情問題ではないような気がする。
ダグは厳しい顔でうなずいた。
「血の問題なのでしょうか?」
「それもある」
「それなら、王家はアレンの存在をどの程度把握しているのでしょう?」
「アレンが生誕していることは知っている。魔力が半端ないことも。そして十五歳の誕生日を前に、王の正使がビストリッツ城を訪れた。婚約の時は満ち、迎えが来たのだ」
「えっ?」
「度々、書状は来ていた。早くアレンを、城ではレンと呼んでいたが、国王にお目通りさせるため王城へ向かわせるよう」
結婚する気満々ではないか。
ビストリッツ家は無視していたのか……ダルクバートンは、半目になった。大胆な。
ダルクバートン自身は王に拝謁したことはないが、両親、特に父はよく会っていた。
『得体の知れないお方』と言っていた。恐ろしく頭が切れるとも。
「迎えが来たのに、無視したのですか?」
「魔力はないと答え続けていた」
なるほど。結婚の要件に、ビストリッツの娘である事と、もう一つ、魔力があることが条件として挙げられていた。
「しかし、魔力があることを王は知っていたのでしょう?」
「うむ。だが証拠がないだろう。だから登城をしつこく求めてきた。王自身に魔力はなくてもお付きには魔力持ちが多い。魔力持ちは接すればわかる。そのためにレンを王城に来させたがっていた。お前もそうだろう? アレンに会った途端にわかったのだろう?」
「感知の能力持ちではありません。ただ、特に最初の頃は魔力がダダ漏れで、恐ろしいくらいだと思いました」
ダルクバートンは正直に言った。あれが、多分地金だろう。おそらく今は隠しているのだ。底が知れない。感知能力持ちのバートは、魔力が渦を巻いているようだと言っていた。
「アレンを王家に捧げるわけにはいかない」
ブスリとした様子でダグが言った。
「アレンの幸せという問題も無論あったが、それよりもあの魔力だ」
ダルクバートンが、アレンがなぜ逃避行を続けているのか、その解答までようやくたどり着いた瞬間だった。
「あんな顔をしているが、俺でも勝てない」
兄でも勝てないほどの……
ダルクバートンはギクリとした。前回の戦闘の時、わずか二十名のビストリッツ軍が何をしたのか、ダルクバートンも父から聞かされていた。
「王家に渡したらどうなると思う」
もし、アレンが望むなら、王家に嫁いでもよいだろうと、ダグは語った。
「だが、そうでないなら、意志を尊重したい」
ダルクバートンは、このいかにも兄らしい発言に悩んだ。
正直、彼はアレンを口説こうと思って海を渡ったのである。
OKしてもらえるかどうかはよくわからないが、ダンスパーティの感じではそう反応は悪くなかったと思っている。二人とも、家族に愛され、大事にしてくれる出来た使用人に囲まれて大きくなった。
裕福な大貴族な出身で、家庭の雰囲気も似ている。
学院内で、完全にほぼ同じ階級出身は少ない。ダルクバートンもアレンも、話してみるとその点は気楽だった。
相手の家が格下だと気を遣うことがある。学院内では平等と言う建前があったからだ。
相手が欲しくてたまらないものを子どもの頃から当たり前のように与えられている場合だってある。何気ない会話の中で相手を傷つける可能性があった。
更に剣の腕も魔力も恵まれすぎているダルクバートンは、それでなくても嫉妬を買いやすかった。体格もよいし、男前だ。大貴族の嫡子でもある。
気にしないふりをするだけで、陰で高飛車だとか権力を笠に着ていると言われている可能性はあった。
アレンの家なら、そんな心配はない。
気を遣わなくて済む。
アレンもドレスを着て、令嬢らしいふるまいの時は自然だった。いつも仏頂面がなくなっていた。
この人は、本当は、ただのお転婆な令嬢だったのだと気がついた。身のこなしや会話は、どこの夜会にも現れるごく普通の令嬢と差はなかった。
ただ、尋常でない魔力がほの見えるほかは。
それはダルクバートンほどの魔力の持ち主にあって、初めて気がつくほど巧妙な隠し方で用心深く隠されていた。
「あとになって、そこまでして、何から逃れているのかわかった時は、感無量でした」
ダルクバートンはダグをまっすぐな瞳で見つめて言った。
ダグの方は、心を打たれた。
ダルクバートンの恋心に心を打たれたのではない。
それはどうでもよかった。むしろ、この男の帰りの船が嵐にあって沈没すればいいなと思っていた。いや海峡は狭い上に海流が穏やかなので、まず嵐はなさそうで、むしろ衝突を期待した方が確率としてはいいかも知れない。
ダグは、アレンは仏頂面をしている理由に気がついたのだ。
「やっぱりあの年頃の娘を男子校に入れて、剣や馬術や魔法での戦いばかりをさせていたのは重荷だったろうか? ドレスや宝石、他の女性と同じようにお茶会やダンスパーティに出した方がよかったか。かわいそうなことをしたかも知れない」
「義兄上がご心配されるのはわかりますが、あの美貌ではすぐに王家にバレてしまうと思います」
絶対にダメである。他の男が殺到するに決まっているではないか。
「例えば、ノワルの王都などで豪商の娘として何不自由ない生活をさせておけば、わからなかったかもしれないと思ったが、家長の命令だったので。オーグストスに入るのが確かに一番安全だと、俺もその時はなるほどと思ってしまったものだが、夜会で楽しそうだったと言うなら」




