第35話 いきさつ
ハウゼーマン邸の食事は、二回続けて全品無視された。
客人は、ダグとアレン、完全に部外者のモリス氏、微笑みが溢れ出しそうなダルクバートンと渋面のマクシミリの合計五名だったが、全員が泣き落としにかかるハウゼーマン一家を尻目に辞去した。
唯一残る可能性があったのがモリス氏だったが、全方向において彼は最も残っても意味のない人物だったのと、本人的にぜひとも自宅に帰りたかったので、しっかり辞去した。
ハウゼーマン夫人の魔法は、口を塞ぐという妙な一種だけだったのだが、一行を引き留めようと使用しかけた途端、圧倒的な倍返しにあった。
ダルクバートンの仕業だった。
「無礼者」
冷たい一瞥と共に放たれたその一言と、奥方が椅子にへたり込んだのを見て、ハウゼーマン一家は何が起きたのかを悟った。
その後、三週間ほど夫人の声は完全には復活しなかったのだから、ダルクバートンの怒り、推して知るべしである。
いや、魔法力の差と言うべきか。
ダグとアレンは、ダルクバートンと同じ馬車に押し込まれた。
「あなたは兄上か」
ダルクバートンが、ダグの顔を興味深げに眺めた。
なぜ同じ馬車に乗っているのかというと、人の良いモリス氏が、ダグの紹介役を買って出てくれたからである。
なぜ、モリス氏が紹介役を買って出てくれたのかというと、ダルクバートンが、アレンの手を押しつつみ、自分の恋人なのだと紹介したからだ。
「違います」
アレンは、にべもなく否定したが、モリス氏は意外に懐の深い男で、深い理解と同情を込めてこう言った。
「アレン、男同士でも愛情は愛情。相手を思う気持ちは貴重なものだ」
なにげに誤解を含んだ発言だったが、残り四人は解説する気力?がなかったので沈黙を選んでしまった。
ダグとアレンは、とっととウマに乗っかって、ダルクバートンと、めんどくさそうな顔をしているダルクバートンの従者とは早く別れたかったのだが、モリス氏が事情を汲んでくれて、積もる話もあるだろうと、アレンとダルクバートンを同じ馬車に押し込んだのである。
さらに、若い未婚の男と男を、同じ馬車に詰め込むと、兄が気を病むのは無理もないという超理論で、ダグも一緒に詰め込まれたという次第だった。
「冒険者同士の場合、結構、多いんだよ。一緒に何日も魔獣狩りに出かけるからね」
全く知らなかった、余計な情報だった。明日から、要らぬ勘ぐりをしそうな気がする。
結果、気まずい沈黙の中、三人は馬車の中で向き合っていた。
最初に口を切ったのはダグで、質問は、この馬車はどこに向かっているのですかというものだった。
「アレンの宿」
ダルクバートンは、アレンだけを見つめて、とろける様な微笑みを口元に浮かべて端的に答えた。
ダグは、全く顔色を変えなかったが、心の底にマグマが沸き立つのを覚えた。
(なんだと)
アレンは、ダグと兄弟だという設定をあらためて思い出してボロが出ないように反芻していたし、ダルクバートンはアレンに実の兄が何人かいることを知っていたが、この男はそれのどれだろう、それとも本当の兄ではないかもしれないなどと計算していた。
やがて馬車はアレンの宿に着いたが、ダルクバートンはそのみすぼらしさに一瞬驚いたようだった。
次に、婆さんお手製の、はためくノボリに目をやり、一字一字、目で追って意味を考えていた。
「ライフガード……」
「おお、ライフガードに用事かい?」
シワがれた、しかし一分の隙もない声が横から入った。
「あなたは?」
もの珍しそうに、ダルクバートンは薄汚い婆さんを眺めた。
婆さんの方は、ダルクバートンを値踏みしていた。
一瞬で結果が出たらしい。婆さんはこの上なく愛想の良い、宿のおかみに豹変した。
ダルクバートンは、どう見ても貴族である。それも、相当身分の高そうな。
そのほかに泊り客でないことも理解したらしい。
「なんぞ御用でも?」
「アレンの部屋に案内して欲しい」
それってダメなやつ……婆さんだって、ウチはそんな店ではないと再三再四断りを入れていた。
だが、その時、ダルクバートンの指先からピーンとなにものかが、婆さんめがけて飛んで行った。それは日を受けて、キラッと金色の光を放った。
婆さんは、サッと手を伸ばして金貨を改めると、ご案内致しましょうと声を張った。
「いや、いいよ。アレンに案内してもらう」
婆さんは悟りが早い。アレンの仏頂面とダグの不機嫌に気付いても、懇切丁寧に部屋を教えてくれた上、いつでも歓迎しますと付け加えた。
「ありがとう。それから、アレンの部屋の隣の部屋を私のために用意してくれ」
「あいにく詰まっておりますが、上の部屋とか下の部屋はどうですか?」
上の部屋とか下の部屋とか、どう言う活用方法があるんだろう。
「隣を空けてもらってくれ」
もう一枚、金貨が飛んできた。
ダルクバートンが先導して、アレンとダグの部屋に向かうことになった。
部屋の乱雑ぶりに、ダルクバートンは一瞬引いた。
「なんだ、この部屋は!」
「ダグが悪い」
アレンがボソッと答えた。
「ダグ……」
あらためてダルクバートンはダグと言う男の顔を見た。
初めて見る顔だ。
まだ若いがダルクバートンより、だいぶ年上らしい。
ブロンドの髪、濃い青の目、鼻と顎は真正面から見た時は気にならないが、横顔は彫刻のように整った顔立ちだった。
体つきも同じくみごとなもので、相当に鍛えているとダルクバートンは思った。
本当に兄かも知れなかった。ビストリッツ地方の住人の特長を強く感じる。
「本当に兄上なのか?」
だが、ダルクバートンは聞いた。
「どうして疑うのだ」
ダグが聞いた。
「これは失礼した。だが、あなたが本当の兄なら、なぜここに、アレンが……今は仮にアレンと呼ばせていただこう……が、いるのか、説明して欲しいと思う。そして、兄でないなら、あなたの正体をお聞きしたい」
「こちらからも聞かせていただいていいか?」
ダグが聞いた。
「あなたは、どうしてここにいるのだ」
「質問返しだな。だが私はあなたが信用できる人物でなければ、何も話せない。では、アレンに聞こう。判定してもらおう」
アレンは黙って様子を見ていたが、自分に話が回って来たので、青い宝石のような目をダルクバートンに向けた。
ダルクバートンは、その目に見とれた。うっかり蕩けそうになるのを押しとどめて、尋ねた。
「アレン、この男の前で、私たちが調べたことを話してもいいか? 信用できる人物か? あなたのことを知られていいか?」
「何を」
「あなたの出自を。それから、なぜ、オーグストス学院に入学しなければならなかったのかを。そのことを話す前に、この男の前で話していいのかを知りたいのだ。この男が誰なのか、私たちは知らない」
アレンはダグの顔を振り返った。
ダルクバートンの言葉に驚いたのではない。
アレンは今まで、ダグについて、何も考えたことがなかったことに気がついたのだ。
両親が学校に知人がいると紹介し、その知人だと本人が名乗って現れたからだ。
信用できるかどうかなんて考えたことがなかった。アレンはダグの言いなりだった。そのことに気がついた。
アレンは散々、反抗したり、文句を言ったりしたが、ダグは怒らなかった。憎しみや怒りの感情をぶつけられたことがなかった。
だが、アレンはダグが誰なのか、知らなかった。
本当の名前すら知らなかった。年齢も何も。
出身地もどういう生まれ育ちなのか、学院における立ち位置も、なぜずっと変装していたのかも知らなかった。
アレンが来るから、リーバー先生に扮していたわけではなかったらしい。
その理由をアレンは知らない。
信用できるのかと聞かれて、困ったのはダグではなく、アレンだった。
「構わないけど」
アレンは当惑気味に返答した。
アレンがどうして学院へ行かなければならなかったかを教えてくれたのはダグだ。
「では」
ダルクバートンはあらためて声をかけた。
「ビストリッツ辺境伯フローレン・バルトマルグ嬢」
二人はダルクバートンの顔を見た。
ダルクバートンは調べたのだろう。
そして真実に突き当たった。
「十年前に終結した戦いは、一つの裏切りと犠牲を伴った」
まだ年の若いダルクバートンから放たれる言葉は奇妙な印象をもたらした。
なぜならその話は戦の話だったから。
「ヘルデラント王国に属する以上、ビストリッツ辺境伯は軍を出さないわけにはいかなかった。魔力を持つ国内最強の軍だった。わずか一個小隊、人数はわずか二十名ほど。しかも、ダルダネルに押されてセーデルダーレン地方が踏みにじられようとしていた頃にやっと」
誰も一言も言わなかった。
「国王は怒った。だが、ダルダネルの軍は、彼らのおかげで食い止められ、後退し、国境線へ押し戻された。国王は、ダルダネル軍の殲滅を命じたが、ビストリッツ軍は命を聞かなかった。彼らは十分だろうと言ったのだ」
セーデルダーレン領は敵国ダルダネルと大河を挟んで向き合う。
そのマール川(対岸のダルダネルではゼファー川と呼ばれていたが)は、流れが穏やかで水量があるので、多くの船が行き交う交通の要所だった。
「ビストリッツは甘かった。ビストリッツが引いたばかりに、ダルダネルは別動隊が侵入し、油断していたセーデルダーレンは大きな被害を受けた。セーデルダーレン公は激怒して、これを裏切りと呼び……」
ダグの顔が歪んだ。
「……ビストリッツ出身の当時の王妃を殺害し、これに激怒したビストリッツ辺境伯は、軍を引き上げた。結果、ヘルデラントは大敗を喫し、セーデルダーレン領を多く含む領土の一部をダルダネルに割譲せざるを得なかった。火種は現在も残っている」
「貴公は知らぬから、そのようなことを言う」
ダグが早口で割り込んだ。
「ビストリッツは半独立。ヘルデラントへ義理は十分以上返した」
ダルクバートンは素直にうなずいた。
「私は、その頃八歳くらいだっだろうと思う。何も知らない。人から聞いただけだ。ビストリッツに言い分はあると思う。犠牲と言ったのは、ビストリッツに魔力を持つ姫君が生まれたら、ヘルデラント王との婚姻が取り決められた。それが……」
みんな黙った。
アレンのことだ。
「両家の間の取り決めを具体的に知る方法はないので、よくわからない。辺境伯の娘だったとしても魔力がなければ、嫁がなくて済む。フローレン嬢はまだ五歳くらいだったのではないか。娘がいることは知っていても、魔力量がいかほどかは、誰も知らなかったのではないか」
魔力なしは多い。人口のほとんどは魔力なしで生まれ、死ぬ。
ただ、ビストリッツの人々に魔力なしはむしろ少ない。
まして辺境伯の一族となれば、魔力なしは恐らくいないだろう。
「ラウリス王は待っていると言う」
「あんな男のもとにはやらない」
ダグが激しい調子で言った。
ダルクバートンは、歴史の話を続けているかのようにしゃべり続けた。
「私は、オーグストスで一人の少年に出会った。無愛想であまり口も利かず、いつも人を避けているような雰囲気があった。だのに、剣を合わせると人が違ったようだった。懸命で」
ダルクバートンは、少し赤くなりながら告げた。
「いつしか愛しく思えてきた。自分は男なんか興味がないのに。だが、魔獣狩りに出た時に謎が解けた。アレン……フローレン嬢、あなたがもし……あなたを迎え入れたい」
「ダルクバートン殿、侯爵家がビストリッツ家と縁を結ぶことはできない」
ダグが冷たく言葉を挟んだ。
ダルクバートンは静かに答えた。
「あなたが言っているのは王家との約束だな。だが、たとえばオーグストスの中でずっと暮らすとでもいうならとにかく、それ以外の場所で、どうやって王家の監視の目から逃れるつもりだったのだ。どこかの力のある大貴族の妻になる以外」
どこかの大貴族の妻になる以外?
「そう。王家と十分張り合えるくらいの家……僭越ながら当家のような」
ダルクバートンの侯爵家は強大な財力と広い領地を持つ。
「王の執着がどれほどのものかご存知か?」
ダグが尋ね、ダルクバートンは、首を傾げた。
「王には、何人もの庶子がいると聞く。後継に不自由はないはずだ。誰かふさわしい者を正妃に選べば済む話だ。ビストリッツも王妃の地位を望んでいるわけではないだろう?」
「まさか」
「王家と姻戚になることは名誉に違いないが、ビストリッツの姫君が幸せになれるとは思えない。先代は殺された」
「それでも、強く望まれた」
「お子のためにか? 魔力のある跡継ぎを希望されてると? だが、それだけだろう?」
ダグは首を振った。
「永遠の時を追いかけるだろう」




