第31話 ハウゼーマン殿のお屋敷が舞台に決定した話
翌日の午後、バートから手紙が来た。返事だ。
「ノワルに向かった……国外か」
心配そうに見つめていたマクシミリも愁眉を開いたようだった。
「ノワルなら侯爵家の取引先がございます。調査させましょう」
「いや」
ダルクバートンが引き止めた。
「私が行こう」
「え?」
マクシミリは、まるで納得がいかないと言った様子で目を丸くした。
マクシミリが目を丸くするとなんだか意外にかわいらしいのである。しかし、その表情は絶対に困ると言う意味だった。
「むろん、バートには内緒だ。ついて来られても困るからな」
「貧乏学生では、ノワルまでの旅費も出せませんでしょう」
マクシミリは言ったが、バートのことなんか考えていなかった。今、ダルクバートンは自分が行くと言ってなかったか?
ダルクバートンの方は、バートは貧乏学生というくだりに反応して笑った。
「私が謝礼の金をやったんだ。それくらいの旅費ならあるだろう」
顔では笑っていたが、ダルクバートンは内心怒っていた。
「それとこれを、アレン様に届けてもらえればと持ってまいりました」
マクシミリが恐る恐る手紙を押し頂くようにダルクバートンに捧げ持って渡した。
別に手紙が尊い訳ではない。
なんだか、理由はうっすらしかわからないけれど、バート絡みだとダルクバートンの機嫌は悪化するのである。
ダルクバートンは、遠慮会釈なく分厚い手紙をつかみ取った。そしてアレン宛の手紙の封を、断りもなく破った。
手紙の中身は、アレンを思いやる心にあふれたものだった。
急にいなくなって心配したこと。何をしているのか、邪魔をするつもりはないが、元気なら知らせて欲しいと言う言葉、最後に署名があった。
『いつまでも君の友、バート』
ダルクバートンは整った顔立ちの、鼻の穴をふくらませた。
何を言っている。誰が友達だ。
アレンは女の子だ。しかもどう見ても貴族の家の娘。それも相当に高位の。
バートのような平民に毛の生えたような程度の家の息子の手が届くような相手ではない。
辺境伯と言えば、中央の政界には滅多に出てこないが、隠然たる勢力を誇っている。
その領地は国防の要だ。国内最強軍を擁していると言われていた。
彼らがどんな風に戦うのか、それも謎だった。膨大な魔法力を使うと言われている。
辺境伯の一族は、一族内で結婚することがほとんどだが、どの貴族の家庭も、縁があると言うなら、大喜びだろう。なぜなら、子孫に魔力が伝わるからだ。
ただ、男の子が生まれることが多い事でも有名だった。
ビストリッツ領の男子は、皆、無敵の魔法戦士になる。
ふと思い出した。十年ほど前に、最強と謳われたビストリッツ家出身の魔法戦士がいたことを。
魔獣の襲撃をたった一人で避け、この国をヘルデラントを救った救国の英雄だ。
何かの理由で、王家と対立し処刑されてしまった。
だが、最強の戦士だった。
だが、その名は伝わっていない。
ダルクバートンは頭を振った。
貴重な女の子だ。そして貴族として当たり前の育ちで、可憐でかわいらしい。
言われてみれば、ビストリッツ特有の姿形だった。
ビストリッツ領の人間は、ブロンドや灰色の髪色の者が多い。目の色はたいていが青か灰色、茶色でもひどく薄い。
背が高く、男は筋骨たくましく、女は華奢と言われている。
そして、膨大な魔力をまとうと言う。
魔力についてなら、自分の方が劣ることはわかり切っていた。
だが、それだけに子孫に期待ができた。
もし子が生まれたら、魔力と美貌が手に入る。
ダルクバートンとて剣の腕なら国内最強クラスだ。家格も辺境伯家と釣り合う。
「バートには、任務を与えろ」
「は? 任務でございますか? うちの使用人でないのに、どんな仕事を?」
マクシミリは面食らったが、ダルクバートンはさわやかに答えた。
「ヤツは抜け目ない。私の動向くらい探るだろう。感知の能力者なのだ。それくらい簡単だ。本当なら自分がノワルに行きたいくらいだと思う。私が動けば奴に気取られる可能性がある」
「わかったところで、バート殿が何かできるわけでもございませんでしょう?」
「以前はな。船賃を払うだけの金がなかったからだ。今なら、それくらいの金はあるはずだ。もっとも、それでも行くわけにはいかないだろうがね」
不本意ながら興味を持ってしまったマクシミリは聞いた。
「どうしてですか?」
ダルクバートンは愉快そうに笑った。
「剣の腕も魔法力も不十分だ。私なら、魔法剣士でも冒険者でも務まる。だが、あんな男では無理だ」
「それなら、何もご心配になることなどないでしょう?」
ダルクバートンはマクシミリに向かって言った。
「嫉妬心だ」
「は?」
「王家に告げ口されては困る。バートは何も知らない。彼女が辺境伯の娘だということも、王家が狙っていることも。私がノワルに渡ったことを知ったら、恨んで私の行動をしゃべるかもしれない。王家に気取られたら、我が家が危ない。あんな平民に何も知られるわけにはいかない」
ダルクバートンは手元の紙を取り寄せると、スラスラと何かを書いた。
「これを届けるようバートに言え」
「なんですか? これは?」
「依頼だ。しばらく遠くへ行ってもらおう。感知の能力が届かないくらい遠いところへ」
そこには小さな田舎町の名前が書いてあった。
リンツ。
リンツ? マクシミリには、なんの覚えもなかった。
「そこで、教会の神父に会うのだ。そして、何者なのか感知の能力で探れと命じる。費用は出す」
マクシミリには、何が何だかわからなかった。リンツという場所に何があるというのだろう?
「恐れながら……」
「私は明日発つ。お前も付いてこい」
マクシミリは驚いた。
「あの、侯爵様が何とおっしゃるか……」
「父に言う必要はない」
「えっ?」
マクシミリはたまげた。冗談ではない。
「それは……私のクビが飛びます」
解雇されるくらいでは済まない。物理でクビが飛ぶ。
ダルクバートンは、まるで気にしていない様子で笑った。
「大丈夫だ」
「それに、たった二人でございますか? 少々危険かと。それに侯爵家のご身分が……」
「私がいるのにか? 大丈夫だ」
マクシミリはダルクバートンをよく知っていた。
聞き分けの良い育てやすい子だった。
だが、今の場合はどうも全然聞いてもらえそうもなかった。
ダルクバートンがノワルへ行くのは、翌日と言うわけにはいかなかった。準備にそれなりの日を要したからだ。
そして、学院が休みの間を利用して外遊するのだと言ってダルクバートンは、父の侯爵からあっさりノワルへの旅行の許可をもぎ取っていた。
マクシミリはまたもや、その手際の良さに驚かされた。
「歓待するように土地の権力者ののハウゼーマンには書いておいた」
「お手間を取らせて恐縮です」
「そう言うな。お前が行くなら、向こうは大喜びだろう」
「ハウゼーマンは港のそばの領地の領主なのよ。多少の無理も利く実力者よ。何かあれば頼めばいいわ。侯爵家からの願いは絶対に断りません」
両親は完全に物見遊山の息抜きだと勘違いしていた。




