第22話 ダンスパーティの後
ダルクバートンは翌日、自邸で父の侯爵に叱られていた。
「夕べは、内緒でバーナート家のマルリータ嬢を見に行く機会だったはず」
その通りだった。いきなり婚約は嫌だとダルクバートンがごねたので、両親の計らいでこっそりマルリータ嬢を見て帰るだけの予定だったのだ。
だから、どこかの貴族の家で行われる正式なパーティではなく、雑多な参加者がいる商工会のパーティに参加したのだ。
「バーナート家も知っていよう。お前が得体の知れない別の娘に夢中になっていたことは」
父は怒っている。婚約話は、昨日今日の話ではない。もっと前から打診されていた。バーナート家は伯爵家だ。マルリータ嬢は一つ年下で、器量もよく賢いと評判だった。ダレン家のお眼鏡にかなった優秀な娘だった。他に貰い手はいくらでもあるに違いない。
「魔法学院を出席で卒業するような魔力の強い方ならと、先方も積極的だったのに、せっかくのチャンスを潰すようでは」
お互い示し合わせての非公式なお見合いだったのだ。
ダルクバートンは目立つ。こっそりなどと言う言葉は彼の体躯では無理だ。それでなくても、ダレン家の御曹司と言うことで顔が売れている。
「ダルク、夕べお前が関わっていたあの娘はどこの令嬢なのです?」
心配そうに母が聞いてきた。
「素性の知れない娘が、当家のような家に関わりを求めて近づくことはよくあることです。一体どのような娘なのです」
これには説明を要した。
魔力の強さと言う問題は、身分の壁さえ凌駕する。
むしろ、魔力が強いと言うことは貴族になる資格があると認められる要因だ。
もし、魔獣狩りの時の娘だとしたら、本当にそうなら、その魔力はいかほどのものなのだろうか。
「そこまで魔力の強い娘が、平民だなんてありうるのだろうか」
話を聞いた父は言った。母も尋ねた。
「その娘はシャンボール校の生徒なのですか?」
両親は混乱している。自分だって同じだ。
お付きのマクシミリも呼ばれた。サーカスを見に行った時に会ったからだ。
「サーカスだなんて、庶民的な」
「魔獣が出ると聞きましたので」
「まともな魔獣なんか出たのですか? 人が魔獣の毛皮を被っていたでは笑い話にもなりませんよ」
「ドラゴスでした。ドラゴンではありませんでした。まあ、ドラゴンだったら、サーカス小屋では無理です。でも、ドラゴスを見れただけでも収穫でした」
「それはとにかく、お前のお気に入りの娘はサーカスも見るのか」
「魔獣狩りで一緒になりました。魔獣に関心があって当たり前でしょう」
あれだけの魔力があるなら。
目の当たりにしたダルクバートンすら信じ難いくらいの力だった。
「魔力の塊というものを初めて見ました。文献には載っていましたが……」
ううむと父は唸った。
「最近では……と言っても十年も前になるか、セーデルダーレンの戦いか」
「人相手に放ったことで、禁固刑に処されています」
「ビストリッツの一族だったな」
「辺境伯一家ですね」
辺境伯の一家。王国の中で、独特の地位を占める一家だった。
「もし、辺境伯の一族だと言うなら、その血は惜しい。だが、王家がうんと言わないだろう」
「辺境伯一家と関係があるとは思えません。それなら貴族として編入してくるはずです。それに男子校に入ってくるだなんて、信じられませんわ」
侯爵夫人が激しい調子で言った。
侯爵も眉をひそめた。
「お前はなぜ、同一人物だと思うのだ」
「それは……私の能力です」
ダルクバートンは、少し躊躇ってから小さな声で答えた。
ダルクバートンの能力、声紋の魔法は、家族にさえ秘密だった。
知っているのは、両親だけ。両親と小さい頃から付き従ってきたマクシミリだけだった。
父の侯爵は驚いて目を見張った。
ダルクバートンが能力で見破ったと言うなら……同じ人物に間違いない。
「それで気に入ったのか?」
一族の中に、その血を入れる事は、願ってもないことだ。息子がその異常なくらいの魔力持ちと結婚したら……たとえ子に遺伝しなくても、孫やひ孫に素晴らしい形質を期待することができる。
魔力の遺伝はどんな形で現れるのかわからないのだ。
ただ、バルクバートン自身も魔力持ちだ。
妻が強力な魔力持ちなら、子どもが魔力持ちになる可能性は高いだろう。
「いえ」
ダルクバートンがうつむき気味に答えた。
「とても美しい娘でした。ブロンドと青い目の。細くて華奢な姿の」
ちょっと呆れて、侯爵は思わず従者のマクシミリを見た。
マクシミリは一度、街でサーカスに行った時、その娘を見ているはずだ。
マクシミリは、コホンと咳をした。
「あの、ええと、顔立ちはおっしゃるように非常に美しい方でした」
「魔力でたぶらかされて……」
「いえ。それはないかと。と言うのは、ぼっちゃまの顔を見て……」
マクシミリはダルクバートンの顔色をうかがった。
「あのう、なんだか嫌そうでした」
侯爵夫妻は固まった。
「え? ダルクが嫌がられたと?」
「侯爵家の御曹司だと知らないのだろうか?」
「ぼっちゃまは、自己紹介しておられました」
ふたりは息子を振り返った。
ダルクバートンはうつむいたままだ。
手が早い……と、褒めるべきなのだろうか?
「まっ、それで侯爵家の跡取りと言うのはわかっていると……?」
「普通に名乗ればお分かりでしょう」
それで嫌そうって……
「お連れ様がおいででした」
「それだ。そのダグラン卿とは何者なのだ?」
「調べてきなさい、マクシミリ」
侯爵夫人が命じた。
その頃、先生は、アレンに叱られていた。
アレンはあの後、蜜のように甘い表情のダルクバートンに連れ回されて、餌付けされていた。
「生クリームに砂糖と卵黄を混ぜて泡立て、冷やしたものですよ。最新流行のお菓子です」
「あ、おいしい」
「製法は外国で作られたらしくって。マドレーユならではですね。侯爵家の料理人にも作るように言ってるんですが……」
「ふふふ」
思わず笑みがこぼれた。
北国のビストリッツでは考えられないデザートだ。冷たいパイさえも、せめて温かい飲み物と一緒に出てくる。
「踊ってみませんか?」
「まあ、いいえ」
「どうして? ダンスはお嫌いですか?」
「あまり踊ったことがなくて……」
「どうしてですか? 社交界にデビューしていないから?」
下手な答えはできない。素性を知られるわけには行かない。だけど、これまで散々自分ではない平民の少年のふりをしてきた。平民の少年はダンスの練習もしないし、音楽の先生もつかない。侍女も女中もいない。料理や洗濯、火の焚き付けも自分でしていることになっている。嘘ばかりついてきたアレンは、それが少し嫌になっていた。
嘘のない、本来の自分がスルッと出てきた。
「兄が練習台として踊ってくれましたわ。あと私の専属侍女が踊ってくれることもありました。侍女の方が厳しくて……」
ダルクバートンは大口を開けて笑った。
「ダンスの練習台にはなってくれませんが、僕の従者も厳しくて、情け容赦なくよく怒られました」
二人は顔を見合わせて笑ってしまった。
子どもの頃からのお付きは、幼い頃から知っているので、愛情深くもあるが厳しい。
同じ様な身分の、同じような育ち。
結局、パーティそのものは楽しく終わりを告げた。
ダルクバートンは終始申し分のない態度でアレンにつきまとった。その間、アレンは他の人々から注目を浴びていたが、考えてみたら、最初に会場に足を踏み入れた時から、大勢の人の視線を集めていた気がする。
だが、アレンとしては、なんのためのパーティ参加だったのか、さっぱりわからない。
単なる時間の無駄だ。
それにダルクバートンには、どうもバレているような気がする。今後の学院生活を考えると、どうしたらいいのかわからない。
本人の供述通り、ダグラン卿の嫁探しの口実にアレンが付き合わされたのだとしたら、全く許せない。
自分がダルクバートンとけっこう楽しく過ごしていたことは棚に上げて、今後、ああいうパーティへの参加の口実に使われてはたまらないので、アレンは渋い顔をしていた。
「ダルクバートンは尊敬すべき人物なのかもしれませんが、あまりああ言う席で話をすると、たとえ変声の魔法をかけていただいていたとしても、今後の学院生活に支障が出るかもしれないと思います」
先生は全く惨めそうな顔をしていた。
(なんだか知らないけど、昨夜の女性たちの中に思うような人がいなかったのかも知れないな)
「ダルクバートンがあんなパーティに参加してくるだなんて、全くの予想外だった」
先生は言い訳した。
「そうなんですか? 彼、結構、パーティ慣れしているようでしたよ?」
「そりゃダルクバートンは慣れてるだろうよ。もう学院も卒業だもの。ちょこちょこあちこちのパーティに参加しているだろう。あの場は、商工会主催の非公式なダンスパーティだった。侯爵家の御曹司が来る訳がない。絶対何か理由があったはずだ」
「知りません」
アレンはそっけなかった。
しかし心配は事実となって現れた。
翌朝、アレンが、いつも通り安物の服と靴で、丈夫な布製のカバンを斜め掛けして学院に現れると、待ち受けていたらしい満面の笑顔のダルクバートンがスッと立ち上がって迎えた。
「え?」
アレンはびっくりした。
「お時間をもらえるかな?」
「じ、時間?」
アレンを待っていたレッドとバートは目を丸くして、入口で繰り広げられたダルクバートンの誘いを見つめていた。




