第8話「象二郎と云う男」
退助の親友象二郎は、退助とお里の祝言の日、限界を超えて酒を浴びた。
本来象二郎は下戸である。
生涯無理して酒を飲んだのは退助の祝言前日と当日だけである。
つまり象二郎は自分のためには一滴も飲まず、退助のために命がけの無理をしたのだ。
実はこの象二郎、その後土佐藩の藩政改革とその後の維新、新国家形成に於いて退助に負けず劣らず多大な功績を残している。
退助の遠縁にあたり、吉田東洋を義理の叔父に持つ、後藤正晴(馬廻格・150石)の嫡男として高地城下片町に生を受ける。
少年期にその父を亡くした象二郎は、後藤の家督を継ぎながら東洋に元に身を寄せ、小林塾に通う。
そこで中岡慎太郎、岩崎弥太郎、福岡孝弟らと共に学ぶことになる。
後に中岡慎太郎は象二郎を称し、「西郷(隆盛)は一日に15里歩むと云えば必ず15里歩み、象二郎は20里歩むと大法螺吹いて実は16里しか歩めない。
しかし結果に於いて象二郎は西郷より1里多く歩む男である」と高く評している。
性格の豪胆さと、不正・卑怯を憎み、身分の上下を気にしないところは退助に似ている。
ふたりの違いはその場の空気を読み、細かい機転と配慮が利く象二郎と、破天荒だがどこか憎めず下の者に慕われる退助。
実はこの物語の作者である私は、主人公を退助にするか象二郎にするか迷ったほどである。
正義感が強いのは二人に共通するが直情的な思考の退助は尊王攘夷の急先鋒であり、思慮深い象二郎は公武合体論者である。
三国志の登場人物に喩えると関羽と張飛の様な関係か?
但し兄貴分の退助が張飛で弟分の象二郎が関羽でありそこが逆転しているが。
しかし考え方の根っこは同じところにある。
つまり藩も日本国も、外国に負けない富国強兵政策を一刻も早く実行し、外国勢力を撥ね退ける事に尽きる。
そのための具体的方策で議論を重ね、時を費やす日々であった。
象二郎は東洋の小林塾に通い、広め・深めた見聞知識を退助に弾丸のように浴びせ続ける。
象二郎の通称は藩主山内 豊信(容堂)が「(重用する)吉田東洋に象れ」との意を込め賜った名前という程である。
その後学問と知識の重要さを肌で感じた退助は、阿波出身の学者若山勿堂に当時の儒学と兵法の最高峰、山鹿流兵学を学んだほどの影響を受けた。
祝言の席上、象二郎は退助への祝辞は「祝着!!」とだけ言い、満面の笑顔でコクリと頷く。
酔った赤ら顔で挨拶もそこそこに、新妻となるお里に向かい、「里殿、この度はお招きにあずかり、誠にめでたく恐悦至極に存ずる。
本日の里殿は目が覚めるほどの美しさ、退ちゃんが羨ましかぁ。
ほんま幸せ者ぜよ。」
とふらつき乍ら上機嫌で言った。
「あら、いつもの私は?」
「・・・そりゃ、そのぉ、・・・あれだ、・・・いつも美しかぁ。」
突然額から汗がにじみ出でる。
声が裏返り、シドロモドロになる象二郎。
お里は目を細め、疑いの眼差しを露わにし、
「取って付けたお言葉ですこと。
ホントにそう思ってくださっているのかしら?まぁ良しとしましょう。
どうせこの後もいつものように朝まで議論を交わすお心積もりでございましょう?
飲めないお酒、あまりご無理をなさらないでくださいまし。」
退助に対するときのような容赦ない追及を象二郎には向けられない。
この辺で許しておこう。そう思った矢先、よせばよいのに退助が口を挟む。
「おまはん(お里)が美しかどうかは、あまりに主観の問題じゃけ、議論にならんじゃろ。
なぁ象二郎!カッ、カッ、カッ!!」
お里の地雷を踏む高笑いだった。
本日2度目の冷たい空気が流れる。
「退助様、どうせ私は・・・」
間髪入れず言葉を遮り象二郎が
「今宵の月のような、楚々とした美しさがお里殿の持ち前の魅力と存ずる。
そこに退ちゃんも惚れたと言うとりましたぞ。」
「あら、今宵の月の事がよくその前にお分かりになっていましたのね?
さすが天下国家の将来を見通すお二人。
頼もしい旦那様で私は幸せ者でございます。」
祝言の席だというのに痛烈な皮肉のカウンターパンチだった。
聴いていたお里の父、林弥太夫が堪らず
「この辺でやめとけ、たいがいにせえよ。」
とお里を窘めた。
白無垢の肩をすぼめたお里。
気の強さと相手を追及する性格は、綺麗な娘と成長し、見た目の姿が変わっても変わらないらしい。
退助が蟄居中、象二郎は東洋の推挙もあり郡奉行に任ぜられている。
本来ならば退助が就任するハズであった。
郡奉行とは、領内の農民衆の訴えの裁きや、徴税、その他諸々の捌きが仕事である。
いわば行政長官と裁判官の役目というところか?
人望と人格と見識と公平なバランス感覚が求められる誰でもできるポストではない。
小規模な江戸町奉行と思い、大岡越前や遠山の金さんを連想するとよい。
退助の就任の内命が下ったのを契機に、ここが引き時と、持病が悪化した父正成が隠居を申し出た。
家督を継いだ退助であったが、蟄居の時の咎がもとで家禄を300石から220石に減ぜられる。
収入が減っても変わらず経費は掛かる。
その状況の変化を忖度し、退助の姉のような存在で初恋の相手でもあるお菊が出て行った後も変わらず奉公していた両親の父太右衛門と母の春が乾家の職を辞し、隠棲を申し出た。
退助にとってお里との婚儀は父の現役引退と、お菊の消息を完全に断ち切る契機にもなってしまった。
お里と所帯を持っても心の奥底に棲むお菊の面影が消えない退助。
心に冷たい隙間風が吹くのを感じる。
しかし時代は容赦なく進む。退助を求めるうねりは立ち止まるのを許してはくれない。
藩主 豊信(容堂)が新婚の退助を呼び出す。
つづく