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第6話 「蟄居」

 

 退助が御前試技を披露した後、お殿様の格別の計らいで江戸勤番を命ぜられた退助。

 

 当時土佐藩は藩主主導の藩政改革により、革新派グループ「新おこぜ組」の中心人物吉田東洋を起用、

新設した「仕置役(参政職)」に任じる。


 そして大胆にも旧体制の総本山的存在の家老を押しのけ財政改革・身分制度改革・文武官設立や西洋軍備採用、海防強化、藩士の長崎遊学など極めて革新的、急進的な藩政改革を断行した。


 豊信とよしげ(容堂)は酔狂人であるが、福井藩主松平春嶽、宇和島藩主伊達宗城、薩摩藩主島津斉彬らと共に

幕末の四賢候と称される名君でもある。



 1年にわたる江戸勤番は退助の世界観を大きく変えた。


 人の多さとその賑わい。


 今で云う初就職の配置先が江戸であったと云う事は、本格的な赴任の前の東京での研修のような感覚か。


 学問以上の「経験」と「見聞」という代えがたい学びが、その後の人としてのスケールを大きく広げたようであった。

 しかし人格を形成する根本がヤンチャ・無謀であったため、帰藩後すぐに問題を起こす。


 正義感と血気にはやる退助は、藩全体が改革を目指すときに、旧態依然とした感覚と態度に染まったままの責任ある筈の一部の上士たちの鼻持ちならない差別意識に我慢がならない。


 特に下の者を小馬鹿にし、見下す態度ばかりか、やたら威張り散らし、理不尽な態度をとる者を許すことができない。


 そして安政3年8月8日(1856年9月6日)街の行商人に無体な因縁をつけ、いたぶる3人組の若い上士たちと遭遇した。


 ひたすら平伏する行商人の男。

 それでもしつこくいたぶる3人組。


 みるみる血の気がのぼり、疾風の如く駆けたと思ったら三発の握りこぶしがさく裂した。


「この!いごっそう(快男児を指す土佐弁)に泥を塗る面汚しが!!」

吐き捨てるように呟くと、その場を立ち去った。

 

しかし、その出来事が大問題となる。


 殴られた三人のうちひとりは、あの家老の縁者。

藩をあげての改革の嵐に取り残された者たちの不満をくすぶらせた不遇の象徴のような彼らにしたら、うっ憤を晴らす受け皿が必要なのだ。


 前歯を折られ、面目を失った彼は、真実を歪曲し訴え出た。

 もちろん本当の事は云えない。


 でも勤番を終え、一人前の藩士となった退助を以前のようなガキの喧嘩として穏便に納めるわけにはいかない。

 身分をわきまえた自覚と、責任ある態度と行動が求められるのだ。


 後日極めて厳しい処分が下った。高知城下四ヶ村(小高坂・潮江・下知・江ノ口)の4年間の禁足、神田村謫居。

 しかも廃嫡の上、追放という重い処分であった。


 その間、退助は同じく別件で一時失脚の上、蟄居を命ぜられた吉田東洋の訪問を受ける。

(東洋もまた浮き沈みの激しい人であった。)

 自ら主宰する私塾への就学を勧める。

 しかし退助は

いやしくもさむらいたる者、山野さんやを駈けるを以て学び、知力を養ひ、武を以て尊び、主君きみの御馬前に血烟ちけむりを揚げて、鎗の穂先の功名に相果て、露と消ゆる覺悟あらば總て事は足れり。」

と言って申し入れを断る。

 東洋曰く、

「およそ侍たる者、忠をつくし藩公の馬前に相果てる心掛けは、申すに及ばず尋常当然である。

 けれども、その限りで終わるのは小兵卒こざむらいであって、汝(退助)は大将の器があり、大業を成すにあたって学問をせずにどうするのか」

と反問する。

 しかし、退助が自説を曲げる事はなく、誘いを断り、東洋の長浜村鶴田にある少林塾に通うことは無かった。


 その小林塾というところは、後藤象二郎、福岡孝弟(以前の喧嘩の相手)、岩崎弥太郎など、そうそうたるメンバーが通っていた。

 退助は吉田東洋の誘いを断りはしたが、その彼の思想と人柄に影響と刺激を受け、独学で孫子の兵法書を学び暗記した。

 またその頃、地元の郷士や町人たちなど、身分の分け隔てない交流を深めている。


 退助の人柄、両親からの教育環境、江戸での見聞による経験などが蟄居先で開花した。


 廃嫡が自分を上士から何者でもない身分に落とされ、人という財産に目覚めたと云える。


 廃嫡追放・蟄居の重い処分により、一時は家督相続が危ぶまれたが、支藩藩主の代替わりの恩赦で廃嫡処分を解除。

 高知城下へ戻ることを許された。


 退助の人となりには、血の気が多いとの問題はある。

 しかし道場の有力な後継者でもあった退助は道場の主、林弥太夫からの婚姻話が復活する。


 退助21歳、里19歳になっていた。


 初夏のある日。退助はいつものように川で鮎を手掴みにて取る潜りの水連に興じる。

 水はまだ冷たいが、鍛錬の成果で冷水ももろともせず、一匹、また一匹と取り続ける。


 その日の成果を串刺しにて焚火たきびであぶりながら、退助は痛む腰のふんどしの結びを緩めた。

そこは前日、一瞬の不覚から、家の中の突き出た家具の金属の角にぶつけた部位である。

赤く腫れあがり、食い込む濡れたふんどしが当たって痛い。


 結びを緩めると少しは楽だ。

 暫く焚火を見つめ、鮎が焼きあがるのを待っていると、背後から聞きなれた声がした。


「まあ、退助様、今日は上首尾でしたのね。」

 里の声であった。

 小娘時代と違い、今はひとりの女性として美しく成長した里は、もう「退助」と呼び捨てはしない。


 数本のくし刺しにした鮎を見て、坊主(獲物が全く獲れなかった状態)を予想し気を利かせ昼食のお結びを持参してきたのだ。


 退助は上機嫌で立ち上がり、後ろを振り向いた。

 その瞬間、結びの緩い褌がずり下がり落ちた。

 結果、すっぽんぽんの退助。

 一瞬の事故を目の当たりにした里。


 どうして良いか分からないふたり。

 お互いが茫然と見つめ合い、視線を逸らすとか、前を隠すとか思いつかない。


 気まずい数秒の時間が経過し、退助は照れ隠しで苦し紛れの言葉を発した。


「な」


 同意を求めるようなイントネーション。


 また無言の息がつまるような、更に気まずい時間が過ぎる。


 里は何も発せず、退助はスゴスゴと褌を巻き直した。

 焚火を囲み、無言で鮎が焼きあがるのを待つふたり。


 やがて呟くように里が聞く。

「『な』とはなんですか?」

「・・・・・。」

わたくしに同意を求めているのですか?」

「・・・・。」

「何を同意して欲しいのですか?」

「・・・言葉の綾である。気にするでない。」


この気まずさは、はるか昔、姉のような存在のお菊の記憶を思い起させる。


 退助はその時、里を本気で嫁にしようと決意した。

 退助の心の中にはお菊がまだ存在し、記憶の上書きはできない。


 しかしこの日、確かに確固たるお里の居場所が確立した。


 その三月後両家の祝言が執り行われた。

 嵐の前の、つかの間の幸せな時であった。






   つづく


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