第5話「祝言」
お菊が去った後、退助の心は虚ろのままだった。
喪失感が招く悲しさと寂しさに打ちひしがれる日々が続く。
お菊を失った痛みは甚大であったが、いつまでも沈んでばかりもいられない。
親友象二郎の存在が退助の立ち直りの手助けとなり次第に前を向く事ができるようになった。
退助は武術の鍛錬に没頭し、兵学にも興味を示すようになる。
自分が世の中を変えなければ欲しい物は手に入らない。
当時まだ自由という言葉は存在しないが、退助の中ではその概念が確立されていた。
自分を律し、世に号令を発する人材になる。
不敵にも封建社会に於いて、絶対に不可能な夢を抱きはじめていた。
そして自ら希望し、無双直伝英信流居合道場の門をたたく。
退助は稽古に没頭したちまち頭角を現すようになった。
しかし象二郎と遊ぶ時は徹底して遊ぶ。
郷士の子たちが釣りをしている傍にわざと石を投げ邪魔をし一目散に逃げる。
その逆に仕返しに合い自分たちが釣りをしているとき石を投げられることも。
それやこれやで取っ組み合いの喧嘩をしたりもする。
そんな日常の中で「昨日の敵は今日の友」との言葉通り、次第に上士・下士の垣根を超えた悪ガキ同士、友達の輪ができてきた。
まだ心に幼さを残す象二郎たちと木の枝を木刀代わりにチャンバラ遊びに興じた時のこと。
退助は遊びの時、居合の技を禁じ手として自ら封印した。
そんな退助は、象二郎を相手におどけた様子で「お主に私が会得した奥義を披露してしんぜよう。
『秘儀、蛇の剣』じゃ!とくと御覧じろ!」
そう言うと、身体をくねくね蛇のようにくねらせ、舌をピロピロ出し入れし、あたかも自分は蛇の化身であるとのパフォーマンスをしてみせた。
あっけにとられた象二郎。
あまりに唐突で滑稽な動作に「プッ!」と吹き出した。
その隙を見せた瞬間、退助は一気に間合いを詰め、象二郎ののど元に枝の先を突き付けた。
「勝負あった!!」
友の審判の声を合図にその場に居合わせた者たちは一斉に笑い合った。
「そんな技、いつ思いついた?」
そんな質問に「まだまだあるぞ、最終奥義『ウナギの剣』だろ、『タコの剣』だろ、『猪の剣』だろ、『キツネの剣』だろ・・・」
「分かった、分かった。もういい、退助殿はやっぱり天才だ!」
誰もが細かい説明を聞くまでもなく、どんな型の剣か想像できていた。
そんな退助でも道場では真剣に、熱心に稽古に励む。
遊びの時とは違う人の様だった。
だが退助にはただひとり調子を狂わす者がいる。
道場主の娘「里」であった。
13歳の里は、15歳の退助から見たら妹のようなもの。
しかし退助の実の妹たちと比べると、甘え上手で人懐っこかった。
「退助、棚の上の小物入れを取って。」
「退助、この栗の皮を剝いて。」
「退助、もう遊び疲れた。」
など、我儘放題である。
だから時々年下の里にいいように振り回される自分にイラッとくることがある。
「里どの、呼び捨てはおやめくだされ。」
いくら言い聞かせても反省の欠片も見せず、従わない娘であった。
しかしどこか憎めない。
ズケズケと人の懐に入り込むところは、お菊の面影を思い起こさせた。
「ボクは僕か?」
自嘲する退助。
そんな関係もやがて大きく変化する。
数年が経過した後、風の便りでお菊がどこぞの家に輿入れすると云うのだ。
激しく動揺する退助。
茫然とするが、苦しさを打ち消そうとするかのように益々剣術の稽古に没頭した。
やがて道場の主である林弥太夫に認められ後継者として目されるようになった。
そして将来娘『里』の婿にとの話が舞い込む。
退助に迷いがでてきた。
返事を保留にして煮え切らない退助。
もう完全にお菊を諦めねばならぬ。
しかし想いを断ち切れない。
どうしたら良いものか?
そんな時、大きな出来事が起こる。
お殿様である山内豊重(容堂)公にお目見えできるチャンスが到来したのだ。
殿様は自らを『鯨海酔候』と称するほど、酔狂を好み、新しもの好きだった。
藩政改革にも熱心で、身分の上下を問わず広く人材を探す人でもある。
そんな訳で藩内に於ける将来の人材発掘と、自ら傾倒する居合術を見分する目的で退助の属する無双直伝英信流居合道場にも白羽の矢が立てられた。
有望な後継者退助は友、象二郎を伴い御前試技を披露する事となり、参内した。
初めて拝謁した退助は緊張の極致にいる。
直の会話は許されるはずもなく、伝令役仲介者が発するお殿様のお言葉にさえ、ろくに反応できない。
お殿様は退助に「得意とする技は何であるか?見せてみよ。」とのご発言であったが、シドロモドロで狼狽する退助。
見かねた象二郎が咄嗟に代わりに応えた。
「奥義、蛇の剣でございます。」
「奥義?蛇の剣?何じゃ、それは。」
お殿様の嘲笑する口調に、緊張の極致にいた退助はその時我に返った。
小声で「象二郎!!」と叫び、どう答えたら良いか途方に暮れる。
お殿様は異例なことだが、伝令役仲介者を介さず、直に退助にせまる。
「乾 退助とやら、答えよ。」
脂汗が滝のように噴き出す退助。
ここで、お殿様の前でそんな不届き極まりない不真面目な行為を見せたら不敬罪で切腹か打ち首は免れない。
「ただ今ここの象二郎が申し上げましたは、幼少の砌の戯言でございます。
もちろん本当の技ではございません。
ここでそんな戯れを披露させていただくのは、平にご容赦くださいますよう申し上げます。」
「ほう、面白い。益々見てみとうなった。
今すぐ予の前で見せてみよ!」
お殿様の厳命である。
その時退助は、象二郎の事を心から恨んだ。
もう、死を覚悟してやるしかない。
しかし象二郎には勝算と確信があった。
豊重公は面白き事を好む。
ただ剣術の腕前を披露しただけでは記憶に残せないのだ。
そんな象二郎の計算を見抜けぬ退助は、追い詰められたネズミのように開き直った。
やるからには中途半端では命取りになる。
真剣に全力を尽くしてやり抜くしかない。
腹が決まった退助。
象二郎を相手に試技を披露するため対峙した。
二三呼吸をし、心を落ち着け胆力を蓄え、蛇を連想するため集中した。
やがて緩やかな動きながら表情は蛇になり切り、舌をピロピロ出し入れ身体をクネクネ動かし始める。
真剣であるほどその仕草は滑稽であり、見る者を唖然とさせる。
久々に見た象二郎さえ、二度目なれどまたもや「プッ!」と吹き出した。
その隙を突く退助。
素早い足捌きで意表をついた象二郎の間合いに入り込む。喉元に木刀の剣先を突き付ける。
「勝負あり!」審判の声。
いかにもふざけた遊び技ではあったが、居合術の達人豊重公には見えていた。
退助の冴えわたった足捌きと素早く滑らかな剣の動き。
並々ならぬ力量を見切った。
「乾 退助、並びに後藤 象二郎、面白きものを見せてもらった。
予の記憶に留め置こうぞ。」
そう言って上機嫌で笑顔を見せた。
安政二年(1855年)退助18歳のおり、豊重公の直々の下命により江戸勤番に着く事となる。
翌年帰藩し、数年後里と祝言をあげた。
つづく