第41話「秩父事件」
1884年(明治17)10月29日自由党は解党した。その2日後の10月31日、秩父事件は起きる。
秩父事件とは、埼玉県秩父の農民が起こした明治一揆である。
その規模は近隣諸県(埼玉県の他、群馬・長野)に及び、自由民権運動に触発された事件としては、参加人員数千人規模の、空前の武装蜂起事件と云えた。
前話でも少し触れているが、1881年(明治14)大蔵卿に就任した松方が執った松方財政(通称:松方デフレ=西南戦争で生じたインフレを是正するための、デフレ誘導の経済政策)は脆弱な農業の経済基盤を直撃、農作物価格の下落を招く。
決して裕福とは言えない下層農家にその影響が直撃、深刻な困窮状態に陥った。
更に生糸の国際市場価格の大暴落が発生、日本の国内取引価格もつられて暴落する。
特に養蚕農家が多い地域はその二重の下落・暴落の犠牲となった。
特に秩父には養蚕農家が多く、当時の直接の取引相手であるフランス国際生糸市場が大暴落の震源地であり、その影響と被害を一番受けた。
そうした背景の中、政府は全国で多発・過激化する民権運動に弾圧強化を以って応える。民権派はそれに対抗「圧政政府打倒止むなし」と考える者が多数出た。
彼ら急進・過激派自由党員は各地で扇動、群馬事件、加波山事件が発生した。
特に加波山事件は「完全なる立憲政体を造出」の実現を目指し、公然と自由の公敵たる専制政府打倒を宣言した。
しかし、その武装蜂起は小規模な政府高官襲撃事件に過ぎない。彼らは力で鎮圧された。
これが風前の灯火の自由党に止めを刺す。
だがそれで終わりではなかった。
秩父の地域では自由党員が増税・借金苦に喘ぐ農民を結集「困民党」を組織する。
彼らは当初、政府に対する請願、高利貸しとの交渉を主な活動としていたが、全く聞き入れられなかった。
止む無く彼らは政府に訴えるため、蜂起を困窮農民に提案する。その結果、我も我もと多数が参加した。二日前、自由党が解党した事実を知らない秩父と周辺農民は、負債延納、雑税軽減を求め未曾有の規模の武装蜂起に打って出る。
蜂起の目的は当初政府に減税を訴える事にあり、高利貸しや当該地域の役所が保管する帳簿を廃棄させることにあった。 一種の徳政令発動を求めたのだ。
*徳政令とは、それまで背負ってきた借金などの負債に対し、幕府などが無効を宣言する事。鎌倉時代、困窮した御家人に対し、救済措置として発令したのが始まり。以降、一揆をおこした農民が徳政令を求めるようになった。
10月31日決起集会が行われ、蜂起が実行に移された。
翌11月1日秩父全域を制圧、役所及び、高利貸しの貸付証書を処分・廃棄する。
その報は電信によりいち早く政府に届く。政府は鎮圧のため迷うことなく即座に警察・憲兵隊を派遣した。更にそれだけでは治まらないと見た政府は、最終的に東京鎮台の兵士も送り、農民たちの秩父困民党は、その武力により鎮圧された。
後日、事件に関わった1万4千名が処罰され、うち首謀者7名に死刑判決が出され終結を見た。
江戸時代と変わらぬ、力による一揆の制圧。
もちろん、現在の法律でも武装蜂起や、その容疑のある集団を許容するわけではない。
しかしそうなる前に救済措置を取るとか、できる限りの方策を尽くし行政として誠意を見せるべきであった。
困窮し、行き場を失った民衆を傍観しておきながら、イザ不満を爆発させると力で押さえつける。
そんな民衆から信を得ようとしない権力は、いつか必ず悲劇を生む。
そんな国家に明るい未来は無い。
自由党を解党し、秩父事件の顛末を目の当たりにした退助は、暗澹たる生活の中にあった。
そこに追い打ちをかけるように、妻、お鈴の容体が悪化、次第に弱りついに1885年(明治18)6月28日に没した。死因も病名も公開されていない。
鈴との最後の別れの時、退助は鉾太郎に云った。
「いいか、鉾太郎。男が泣くときは、人生で一度だけだ。・・・それは愛するひとを失った時ぞ。」
そう言って退助は妻を安置する部屋でふすまを締め、ひとり声を殺して泣いた。
(ただし、退助はもう何度も女性を失い、何度も泣いているが。)
ひとり残された鉾太郎。彼の味方は多忙な父と、犬のクロ、猫のミケだけであった・・・。
だがそれに今は新たに加わった手伝いの絹子もいる。
母の面影を胸に抱いて、気丈にも雄々しく生きる鉾太郎。
絹子はそんな鉾太郎を心から愛おしく思った。
退助に対しては、「変なおじさん」との感想しか持たなかったが、鉾太郎を守りたい。出来れば母となり、行く末を見守りたいとの母性が生じ始めていた。
実はこの時から次第に初めて退助を鉾太郎の父として、男として見るようになってくる。
妻を母を失い悲嘆にくれる生活も、次第に日常を取り戻してくる。
甲斐甲斐しく板垣家の家事をこなす絹子。鉾太郎の世話を焼きながらも、次第に父退助の存在に意識が向く。
背後に誰かの視線を感じる退助。常に誰かに見られている気配を感じる。
ん?鈴の霊か?いや違う。
しかし、不意に誰かが背後から人差し指で背骨を上から下にスーッと触れる感覚。
ゾクゾクっとなり、左右に身体を捩る退助。
誰だろう?ワシにこんな感覚をもたらすのは。
鈴を失い、空っぽになった胸の奥に、誰かが入り込もうとしているか?
その正体を知ったのは、妻を亡くした寂しさから退助がお菊のいる「むろと」で苦い酒を遅くまで飲み、いつものように女将の菊に冷たくされ、千鳥足で帰宅した時だった。
そこに居たのは、母を亡くし退助以上に打ちひしがれている鉾太郎。その鉾太郎が涙の跡を残しながら眠るその寝顔を、絹子が添うようにじっと見ていた。
その様子はまさしく母と子であり、その時初めて退助は気づいた。
絹子は手伝いとしてではなく、母として、家族として接したいのだ。
退助は絹子を初めて愛おしいと思った。
もしかしてその感情は、恋愛とは言えないかもしれない。
それでも良い。退助は密かに、絹子を後添えとしようと決めた。
自分の事を「変なおじさん」と思っているとも知らずに。
そして鈴の一周忌を終えた後、絹子を板垣家に紹介した福岡 孝弟に相談する。
つづく