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第37話「国会期成同盟」


 西南戦争、立志社の獄に加え退助の参議復帰により出来たばかりの愛国社は自然消滅した。(第一次愛国社)

 明治新政府以降、不平士族の反乱は征韓論をきっかけに起きた明治6年政変以降、頻発している。


 佐賀の乱(江藤新平)、

神風連の乱(熊本、廃刀令に反発)、

秋月の乱(福岡、神風連の三日後)、

萩の乱(山口、秋月に呼応)。


 そして極め付けが西郷隆盛の私学校が起こした西南戦争。それら不平士族の反乱は政府により、ことごとく潰された。

 それは士族民権運動の終焉を意味し、不平士族たちの武力に頼った運動は、武力によりねじ伏せられ終わりを迎えたのだった。


 しかし、それは民権運動の消滅を意味しない。運動の主体が士族(士族民権)から農民へ移るきっかけとなる。




 士族に代わり立ち上がったのが、何の力も持たない(国民の大半を占める)農民層であった。

 有史以来常に支配を受け、国家の屋台骨を支える税金捻出マシーンとして虐げられた人々である。

 その彼らは退助の呼びかけから僅か数年後、雄々しく立ち上がった。


 そのキッカケと原因になったのは、大規模な内戦となった西南戦争の戦費調達のため、新政府が発行した紙幣の乱発にある。


 お金を発行すれば戦費は賄える。しかし、その通貨である紙幣には発行する国が保有する金など財政の裏付けはない。(不換紙幣)

 裏付けのない紙幣は、妻たちの信用のない退助のようなもの。


 新紙幣は発行された途端、市場原理が働き、お金がだぶつき購買対象物が不足する。つまり物の価値が上がり、お金の価値が下がったのである。



 *蛇足ながら*

この仕組みを狡猾に利用しているのが、現在の中国。国家経済の実態に於ける実力以上のお金(電子マネーを含む)を湯水の如く発行しても、インフレにはなりにくい。

 それは似非えせ市場原理を共産党政府が統制し、上手くコントロールしているため。他の資本主義諸国が真似できない国家的詐欺行為の成せるワザなのだ。



 横道に逸れたので、話を明治政府に戻す。

 正直な明治政府は市場原理の調整能力もその意思もない。その結果インフレーションが発生。

 農民が政府に払う年貢の税額は変わらぬため、(相対的に)実質負担が軽減された。



 更に1876年(明治9)地租改正反対一揆が農民の間で勃発。政府は一連の不平士族たちの乱との結託を恐れ地租軽減策で譲歩(地租を100分の3から100分の2.5に減額)農民層の租税負担が減少し、政治運動を行う余力が生じた。




     *蛇足1*


    地租改正


1873(明治6)に明治政府が行った租税制度改革。

地租改正法(上諭と地代の3%を地租とする)では、江戸時代の年貢率と変わらない。 新政府になって租税軽減を期待していた農民の失望は大きく、不平士族同様、不満が溜まっていた。 



*蛇足2*


 不平士族は日本の総人口の1割に満たない。しかし、農民層は8割超であることから、一揆が全国に広がると、政府は如何に武力で鎮圧しようとしても、それは不可能と云える。政府には懐柔策しか無かったのだ。



 そうした事情から自由民権運動の主体も士族から農民、とりわけ地主と呼ばれる農民指導者層を中心に『豪農民権』へと変遷した。

 退助が士族ではなく農民をターゲットにした意識改革運動は、ここにきてようやく実を結ぶ。


 この情勢を受け退助は、1878(明治11)愛国社を再興、(第2次愛国社)1880(明治13)国会期成同盟の結成を成す。

 これにより政府に対し国会開設の請願、建白書が多数提出される。

 富農層中心の運動は瞬く間に広がりをみせ、政治的要求に民力休養・地租軽減を求めた。

 更に士族民権や豪農民権の他にも、国の施策である殖産興業策の結果興った都市ブルジョワ層や、貧困層までも参加するまでになってきた。



 一方民権運動の盛り上がりに対し、政府は1875年(明治8)、讒謗律、新聞紙条例を公布、1880年(明治13)集会条例などで言論弾圧し対抗した。



  私擬憲法


 国家の弾圧なんぞに負けてはいけない。国会期成同盟は、国約憲法論を展開する。

 即ち『國家の根本法たる憲法は、君主と人民との一致に基づいて定むべく、國約憲法とはこれふなり。(後文省略)板垣退助』



 1881年(明治14)その前提となる試案として、自ら憲法を作ろうと私案を持ち寄ることを決議し、国民に広く求めた。

 これを受け、全国に憲法草案を発表する者たちが多発、1881年(明治14)交詢社は『私擬憲法案』を発行、あの植木枝盛も『東洋大日本国国憲按』起草、発表した。




  *蛇足3*


 昭和になって東京五日市町で発見された『五日市憲法』などは、地方における民権運動の高まりや、思想的な深化がみられた。



 


 退助の活躍の陰に常に象二郎あり。

 活動の裏付けとなる資金調達担当は失業したあの日、料亭『むろと』で他のメンツとジャンケンで負けた象二郎がなった。

「え~!何でワシじゃ~!!」

「ええぃ、象二郎!うるさいぞ!!ジャンケンで負けたんじゃき、男らしく従え!!それにお主にその役はピッタリじゃろ?口先三寸で人から金を巻き上げる天才じゃき。まるで資金調達をするためだけに生まれてきた男ぞ。」

「退ちゃん、それは酷か!それじゃまるでワシャ詐欺師みたいじゃなかか!」

「当たらずとも遠からずじゃろ?人は皆、大風呂敷の象二郎と呼んでおるぞ。まあ、それでワシらの資金を調達したのだから象二郎様々じゃが。ハハハ!」


 実際、象二郎は政治資金を調達するための商社を設立。「蓬莱社」と命名する。

 旧知のジャーディン・マセソン商会から約55万円を借り、その資金で政府から高島炭鉱の払い下げを受ける。

 それを岩崎弥太郎の三菱に約97万円で転売、借りた55万円に利子をつけマセソン商会に返済、転売差額と毎月1000円のマージンを三菱から受け取る事とした。

 つまり自己資金ゼロで悪辣なわらしべ長者のようなからくり錬金術を発揮している。

 そう云う手法は、どこか今の中国に似ているかも?



 退助が愛国社を再興した時、(第二愛国社)全国から有志が集まった。

 その中にあの三春城無血開城で出逢った河野広中がいた。(彼は後に、第11代衆議院議長にまでなっている。)

 あの時から広中は退助に心酔していた。同時に自由民権思想にも感化されている。


 ただ、広中が学んだ自由民権思想は西洋の啓蒙思想家たちのそれであり、特にルソーの『人間不平等起源論』の信奉者であった。


  広中が退助に問う。「先生(退助の事)は自由と平等を説いていますが、その知識は一体何処から仕入れられたのですか?」

「え!そなたも尊王思想の持主であろう?なら、天賦人権の教えも存じておろうが?天子様(明治天皇)から明示された『五箇条の御誓文』にある通り、君主が国を治め、民に幸福を与える。

 そのために必要なのが人権の保障であり、その道筋が自由と平等の確立が必要なのじゃ。

 ワシはソチの聞き齧ったルソーなるものの教えに触れたことはない。

 でもおおよその概要は存じておるぞ。西洋の云う自由とは何じゃ?平等とは何じゃ?


 人の国を侵略しておいて、その国の民を奴隷や虫けら同様の扱いをすることを基本的人権と申すか?それを自由と申すか?平等と申すか?

 お題目なら何とでも唱えられよう。

 ワシらが実現するべきは国民の誰もが幸福を希求できる自由で平等な世の中ぞ。

 だから間違ってもらっては困る。また一緒にされても困る。無意味な西洋かぶれでも困る。

 ワシらが募るのは国の為、真剣に戦う志士ぞ。」

「それを聞いて安心し申した。今後はどうぞ私に東北をお任せくだされ。天賦人権の楽園を造って見せましょうぞ!」

「そうか!その言葉、頼もしく思う。お主は無血開城の時もその目でしっかり見据えて約束してくれたきに。今度も全幅の信頼をおこう!のう、象二郎?」


 大番頭の象二郎は言った。「資金はワシがいくらでも都合するけん、遠慮のう申せ。」 


 そこにどこからともなく、女将の菊が現れる。

「そうですか?それならあの時の(出世払いの)ツケもそろそろ耳をそろえてお支払いいただけますね?」


退助が「それが・・・・、その、象二郎はワシと同じ哀れな失業者で只の大風呂敷野郎じゃき、今はまだ無理じゃ。」

(1875年(明治8)、一度復帰した参議の職を僅か半年後再び対立、10月に辞職、下野している)


「ここにいらっしゃるときはいつも失業中・・・。

ハァ (*´Д`)やっぱり懲りないお方たち。」

あきれ顔のお菊だった。







       つづく


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