第36話「愛国社」
退助が征韓論で敗れ下野した時、実は彼に対する批判が多くあった。
曰く「板垣が民撰議院の設立に対し、本気で取り組むつもりなら、何故参議の職を辞した?政府部内に残り、いわば強引にでも改革の旗振りをすべきではなかったか?」
大阪会議を受け、退助は旧愛国公党設立時の同志たちを再結集させた。
民撰議院設立建白書を退出するために設立した愛国公党は政府による拒絶により一時、自然消滅したが、その機運までもが消滅した訳ではなかった。
退助は性懲りもなく愛国公党に代わり「愛国社」を設立する。
<おさらい>
退助が下野してからいくつもの政治結社を結成している。
東京に愛国公党、(1874年)
土佐に立志社、(1874年)
大阪に愛国社。(1875年)
(日本史上、退助が結成した愛国社は後述するが、その直後また自然消滅。その後退助と、その意を継いだ立志社により1878年(明治11)4月、愛国社は再結成される。(そのくだりは別の回で)それとは別に同名の愛国社(1928年右翼団体が結成)も存在したがそれは全くの別物である。)
実にややこしく、面倒くさいが、後の自由党結成までの紆余曲折が退助の自由に対する情熱と、決意の本気度を示しているのではないだろうか?
愛国社に参加した者たちは主に士族であった。その運営は退助が顔となり、土佐の立志社が中心となる。
本社は東京。愛国社に加盟するそれぞれの地方政社からは委員を本社に送り、情報収集などの「報・連・相」に当たることになっていた。今までになく、本格的大規模な組織である。
しかしこの愛国社も(愛国公党同様)長くは続かない。
退助が参議に復職すると次第に求心力が失われた。
更に1877年(明治10)、鹿児島で西南戦争が勃発すると、立志社内部の武闘派が内戦に乗じて挙兵する動きを見せる。(実際、西南戦争に参戦する者も多数出ている。)
その結果、幹部が逮捕される事件があった。(立志社の獄)
これらの事由、及び資金難に陥るなどにより、退助が造った結社『愛国社』は自然消滅した。
先に参議復帰により東京に戻った退助は、自由民権派から背信行為であると糾弾され、愛国社創立運動の失敗の釈明に追われる。
下野したら批判され、復帰したら批判される。
退助は嘆く。「どないしたらええねん!!」 帰宅した退助は吐き捨てるように呟く。
自分がしてきたことは決して無駄ではない。大阪会議の合意に基づき、4月14日に「漸次立憲政体樹立の勅書」が発せられる。これにより元老院・大審院・地方官会議を設置、段階的立憲政体樹立を宣言した。
民撰議院設立の下準備が決まり公布されたのだ。
立派に目的は果たしたではないか!なのにこの批判。ああ、理不尽じゃ!ふてくされる退助であった。
それでも父が帰り、喜ぶ鉾太郎。退助の周囲をトコトコ駆け回る。
妻の鈴が「あなた、最近関西弁が多くありません?」
「あぁ?そうじゃったか?自分じゃ、よう分からん。」
「全くあなた様には呆れます。偉いお役人になったり、すぐ失業したかと思うと良く分からない人たちを集めて騒いだり。そうかと思うと、また直ぐ帰ってくるし。 一体何をしたいのか私のような者には全然分かりませぬ。挙句の果てにその関西弁。大阪にまた女子でもできましたか?」
「そんな訳なかろう!!ワシが鈴一筋なのはしっておろうが!」
「あら、土佐の展子様にも同じ事言えますか?」
「だから!展子の事は口にするでない。」
「ほら、やっぱり!旦那様はそれだから信用できません。」
「信用?」ようやく言葉を喋ることができるようになった鉾太郎。「信用ってなに?」父に聞く。
(ワシに聞くな!)と思い乍ら、「信用ってな、この家では母の次に大事なものじゃ。よお覚えておけ。」
「母の次?じゃぁ、父上は?」
「母の次が鉾太郎じゃろ、その次が犬のクロ、その次が猫のミケ。その次がこのワシじゃ。どうじゃ?可哀そうな父上じゃろ?」
「あなた!鉾太郎にいい加減に教えないでくだされ!」
「だからワシは自由と平等と民権を説いて回っておるんじゃ。我が家にも自由と平等を!」
「何を言いたいのか良く分かりませぬ。あなた様の口はいつもろくな事に使われていませんね。女子を口説いたり、屁理屈を吐いたり。あの世に行ったら、閻魔様に舌をちょん切られましょうぞ。」
「いいや、そんなことはないぞ!ワシの口はいつもそなたのためだけに存在するんじゃ。知っておるくせに。」
またいつものように厭らしい目で口を窄める。
「バカ」と鈴。
「バカ」と鉾太郎。
つづく