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第31話「征韓論」


 岩倉使節団の洋行中、西郷、板垣たちの留守部隊は次々と新たな国造り施策を実行してきた。

 彼らの仕事は国内政策に留まらず、列強諸国との外交諸般の他、近隣諸国との新たな条約締結にも及んだ。

 

 そこで、まず最初に取り組まなければならない国、それが隣国『李氏朝鮮』である。

 当時李氏朝鮮は、摂政の興宣大院君が極端で過激な鎖国・攘夷政策を取っていた。


 

 好むと好まざるとにかかわらず、一番厄介で縁が深い国。


 特に江戸時代の李氏朝鮮は、日本の将軍が代替わりする度、朝鮮通信使を送ってきた。(計11回)

 一回に470人から500人と云う規模で、随行に対馬藩の役及び、警護役1500人ほどが加わる。

 

 通信使接遇には一度に約100万両1両=1石換算で幕府の直轄領約400万石の1/4に相当する)かかった。

  


 当時通信使の行列は、異国情緒漂い、庶民の見物の対象としての娯楽の一面があったが、その一方、通信使の中には国使としては相応しからざる者も多数存在した。


『屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする、酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す、席や屏風を割る、馬を走らせて死に至らしめる、供された食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませる、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求、予定外の行動を希望して、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかける、といった乱暴狼藉を働くものもあった。

 警護に当たる対馬藩士が侮辱を受ける事もあり、1764年(宝暦14)通信使を殺害する事件も起きている。

 「今時の朝鮮人威儀なき事甚し」と、儒学者菅茶山は朝鮮人が伝聞とは異なり無作法なことに驚いている。


 更にロシアの南下政策により、樺太・千島へ触手を伸ばすと、朝鮮に圧力をかけ、スパイを送り込み、対日戦争に加担させようとしているとの風説まで流れていた。


 日本の朝鮮通信使に対する印象は決して良くはない。

 また朝鮮側の日本に対する印象も良くはない。

 1866年(慶応2)末、清国の新聞に、日本人八戸順叔による「征韓論」の記事が寄稿され、清・朝鮮の疑念を招いた。(八戸事件)


 それ故、摂政・興宣大院君による鎖国・攘夷策に対しては、早急な対応が求められた。


 ロシアによる朝鮮半島への覇権は、隣接する日本の安全が脅かされるのだ。


 勝海舟は欧米列強に対抗するため、『我邦より船艦を出だし、弘くアジア各国の主に説き、横縦連合、共に海軍を盛大し、有無を通じ、学術を研究」しなければならない』と説いている。

 一致団結して列強に対抗しようと呼びかけているのだ。


 日本の留守政府は、李氏朝鮮に対して、新政府発足の通告と国交を望む交渉を行った。

 しかしその外交文書は江戸時代の形式と異なることを理由に国書受理拒否という回答を喰らう。


 その理由は従来、日本の代表の大君(将軍)と、朝鮮国王は対等な関係であるとしてきた。

 そこに朝鮮国王の上の位置にある清国皇帝が使用する「皇」「勅」などを含む国書は、到底受理できない。(朝鮮国王は清国の外臣との位置づけのため。)


 朝鮮は清国の外臣ではあるが、日本に対する臣ではない。先の八戸事件もあいまって、朝鮮側の非難の論調は過激さを増し、天皇、皇族を侮辱する態度まで示す。


 佐田白茅外二人帰朝後見込建白の記録にも『朝鮮は皇國を蔑視して、文字に不遜ふそん有りとう、以って耻辱を皇國にあたう。』と記されている。

 その後の交渉に於いても頑なに拒む朝鮮であった。

 

 排日の声ますます強まり、ついに釜山にて官憲先導のボイコット運動が起きた。


 更に大院君が「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん、我が国人にして日本人に交わるものは死刑に処せん。」という布告を出す。

 ここに日本国内において、征韓論が嵐となり沸騰。


 1873年(明治6)年、釜山日本公館駐在外務省広津弘信が外務少輔上野景範に宛てた報告書により、閣議にて朝鮮問題が取り上げられる。


 この閣議の出席者は、太政大臣三条実美、参議の西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、大隈重信、大木喬任であった。

 退助は居留民保護のため、一大隊の兵を送り、その上で使節を派遣して交渉をすべきだと主張。

 それに対し西郷は「まずは責任ある全権大使を派遣し交渉すべき。」と主張する。

 退助は自説を撤回し西郷の提案に賛成、象二郎、江藤新平ら、出席者全員が同調した。

 ただし、結論は岩倉使節団の帰国を待って決定する事とする。



 1873年(明治6)9月13日、岩倉使節団が帰国した。

 10月14日朝鮮問題関係閣議開催。西郷は遣使即行を主張、しかしそれは交渉失敗を予期する主張であり、交渉が失敗した折は、開戦をも覚悟するものであった。

 それに対し、西欧列強の進んだ産業、国力を目の当たりにし、日本の現状に危機感を覚えた遣欧使節団組の大久保、岩倉、木戸は、内治優先論の立場から反対、当初西郷案に同調していた三条や大木らまで大久保案に同調する。

 その後も賛成、反対論の間で攻防を繰り広げたが、当初せめぎ合いの末、西郷の即時派遣を決定した。

 しかし、これに反発した岩倉・大久保らが辞表提出するなど紆余曲折を経て、10月24日、明治天皇に裁断を仰ぎ遣使を延期する最終決定をみた。


 破れた西郷は23日辞表を提出。即、東京を離れる。

 二十四日退助、象二郎、江藤らは一斉に下野、それだけにとどまらず、近衛将士などの軍人、官僚約600人も一斉に職を辞する大規模な政変に発展した。


 これが世に言う『明治六年の政変』であり、翌年1874年(明治7)1月12日、退助らが愛国公党を結成、自由民権運動の素地を作り、更に同年、江藤新平の佐賀の乱や、1877年(明治10)に勃発した国内最後の内戦となった西南戦争など、不平士族の乱が多発、日本史に多大な影響を残した。




 政争に敗れた退助が千住の自宅に帰ると、ハイハイの鉾太郎が待つ。鉾太郎はもうそろそろ立ち上がる時期に来ている。父、退助を見ると「あ、あ、」と声を出す。まるで「お帰りなさい。」と云うかのように。


「あら、旦那様、お帰りでしたか。」いつものように鈴が奥から出迎える。

「お勤め、お疲れ様でございます。」退助の表情に気づき、「何だか本当にお疲れの様でございますね。」

「ああ、今日は負け戦じゃ。こんなにボロ負けしたのはワシがまだボンズの頃以来じゃ。

いや、殿の豊信とよしげ公にも負け続けておったわい、ハハハハハ。」

「そうでございますか?それはお珍しい。疲れた表情の割には、スカッとしておられますね。」

「おぅ、そうよ!負けた腹いせに、参議の職を辞めてやった。」その言葉に仰天した鈴は

「い!」と目をまるくして言葉にならない声を発した。

そして「話には聞いておりましたが、旦那様は本当に浮き沈みの激しいお方でしたのね。」鈴は最初、顔を引きつらせていたが、ふいにそんな状況が可笑しく感じたのか、退助の屈託ない笑いに釣られたのか、

「ア~ハッ、ハッ、ハッ、」と豪快に笑った。

 キョトンと二人を見つめる鉾太郎。やがて自分もと云わんばかりに「えへ、えへ、えへ!」と言葉にできない笑い声をあげた。


 失業したこんな危機的状況に、家族みんなで笑い合える事で、何とも温かい感情につつまれた退助。

 後先考えず、下野すると息まき、辞職した自分。

 己は失業者のくせにこんな時幸せを実感するなんて、ワシは何と恵まれているのだろう。

 すると退助の心にみるみる力が湧いてきた。

 そうだ!ワシはこれから自由に動けるのだ!政府の役人なんぞやっていては、面倒なしがらみばかりで思うようにこころざしのために働けなんだ。

 これからはワシの理想だった自由と平等を実現するため、思う存分働いて見せようぞ!


 退助の目は輝き、勇気凛々、まるで「少年ジェット」や「まぼろし探偵」みたいな正義の味方の少年ヒーロー並みに力がみなぎった。(例えが古い!古すぎる!若い人は知らないだろうな~因みに著者は、もう少しだけ後の世代です。)



 その退助の変化に、いぶかし気な表情の鈴が、「旦那様、如何なさいましたか?」と聞く。

「おぅ、鈴よ!ワシは今日から正義の味方だ!空を飛ぶし、光線をも発する!ワシの活躍を見よ!!」

「・・・・旦那様ぁ~、やはり大そうお疲れの様でございますね。『下町のナポレオンⅢ世』でもお飲みになって今宵は早うお休みくだされ。」


「おう、そうするか。ではお鈴、こっちへ。」と云いながら鈴を奥へ誘い、ポポポポ・・・・、と口を窄めて迫った。


「馬鹿!」







       つづく


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