第30話「我が子」
1869年版籍奉還の勅許が下されると廃藩置県の準備段階として国民皆兵制度確立のため、人民平均の理を布告した。
その後退助は新政府の参与として重要案件に次々と関わる。
1871年(明治4)8月29日、廃藩置県断行。その始末が済まないうちに政府要人を中心とした洋行使節団派遣の計画が持ち上がった。
即ち『岩倉使節団』である。彼らの目的は西洋諸国の諸制度の研究、及び不平等条約の改正にあった。
使節団の政府要人の主なメンバーは正使岩倉具視、副使に大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などであり、その他、各分野の専門家育成に適した人物、女子高等教育を見据えた人物などが選定されている。
当時のアメリカ、ヨーロッパの情勢を見ると、1865年アメリカ南北戦争終結、1867年プロシアを中心にした北ドイツ連邦成立。(封建的に分断された地方分立から国家統一へ)
1870年普仏戦争、フランス第三共和政宣言、南ドイツ諸邦プロシアへ合邦、翌年ドイツ帝国成立。
ドイツと同じ封建分断国家のイタリア統一など、激動と混乱の時期であった。
日本が他のアジア諸国が次々と侵略されても無事だったのは、巨大国家である隣国『清国』があまりに広く、侵略に時間がかかったのと、欧米諸国がそうした力の微妙な均衡の上に辛うじて保つ時期だったせいもある。
しかしそれでも不平等条約や、神戸・堺事件に見られる列強の横暴、金銀交換レートの違いからくる経済混乱など、すでに目を覆うばかりの弊害を被っている。
列強侵略の脅威阻止と、殖産興業・富国強兵の早期達成のための制度・技術習得は待ったなしの状態であり、極めて緊張感の高い時期とも言えた。
岩倉使節団の洋行前、残留組の西郷隆盛、板垣退助、井上馨、大隈重信江藤新平との間に、重要な人事変更、新制度の積極的導入は控える事など、釘を刺される。
しかしそれでも地租改正、学制新設、太陽暦採用、徴兵令、断髪令など、矢継ぎ早に発布された。
退助はそういう明治維新草創期に多くの重要案件に関わった人物なのである。
しかしそんな重要な時期、東京千住の板垣家に大きな出来事があった。お鈴に待望の嫡男が誕生したのである。名を鉾太郎と命名された。
後に鉾太郎は従四位となり、教育家となっている。
「鈴、でかした。よく無事に産んでくれたの。これでワシもようやく父になれた。心から礼を云うぞ。」
そこに生まれたてで、まだ目も見えず、耳も聞こえぬ我が子に「ベロベロバ~!」と何度も何度も繰り返す親パカがいた。
「旦那様に喜んでいただけて私もホッとしました。嬉しいのは分かりますが、そんなに顔を近づけ声をかけても、赤ちゃんを起こしてしまうだけにございます。
せっかく眠りについたばかり故起こさないでくだされ。」
「おお、そうか。でもこんなに可愛くては声を掛けずにいられまい。(せっかく父のワシが声をかけているのじゃ、起きているこの子の顔が観たいのよ)この子はきっと、ワシに似て良き男子になろうぞ。」
「よしてくだされ!この子が旦那様に似てしまったら、将来ろくな子になりませぬ。
暴れん坊で、勉強嫌いで、女泣かせで、むこうみずの男になってしまうなんて、この子の将来が可愛そ過ぎます。」
「こりゃ!鈴!!それはあまりに言い過ぎではないか?失敬にも程がある。」
そう言いながら、退助の目は笑っている。
「あら、そうでございましょうか?私の認識の何処か間違っていましたかしら?え?え?え?」
こんなめでたいときでも、容赦なく退助を追い込む鈴。
でもそう言いながらも心の中では、多分人生で一番幸せなひと時だったのかもしれない。そんな鈴の心を知ってか知らずか、
「分かった、分かった。お鈴大権現様、大魔神様。私めが悪うございました。」
脛に傷持つ退助は、こんな時に地雷を踏むのは何としても避けたい。大魔神様の顔が怒りの面相に変わる前に、早々と平伏するのだった。
そして(本当にこの子の母が鈴で良かったのだろうか?)と未熟な父に過ぎない自分の事を棚に上げ、疑問が頭をよぎる父であった。
鉾太郎が将来教育家になれたのは、実は奇跡だったのかもしれない。
でもやっぱり自分の子は可愛い。口を窄め、微かに「ポッ、ポッ、ポッ、」と口吸いをするような声を出し、鉾太郎の顔に近づける父。
「あら嫌だ、旦那さまったら、私に迫るときと同じ仕草をするのですね。」
「何を言う!ワシがソチとこの子を一緒にしていると申すか?この子は食べてしまいたいくらい可愛いが、ソチは神仏に差し出したいくらい可愛い。その差は大きいぞ。」
「何を言っているのか分かりませぬ。神仏に差し出すとはどいう言う意味でしょう?」
「あまり深く考えるな。それほどソチは神々しいとの言葉の綾じゃ。」
「そうでございましょうか?何だか都合よく言包められているような気がしますが。」
「そんな事はありはせぬ。ソチは可愛い可愛いワシの嫁ぞ。一番の宝物じゃ。」
眉間に皴を寄せ、目を細めながら疑いの目を退助に注ぐお鈴。
ああ、こんな時お里や、展子や、菊の事は、鈴の頭を過らないで欲しい。そう心から願う退助であった。
いつまでも、いつまでも、この幸せが長く続いて欲しい。いつの世も、誰もがこんな時感じる幸せ。
大切にしたい、守りたい退助であった。
だがこの直ぐ後、退助を巡る政治環境に暗い「李氏朝鮮」の影が覆い始める。 世に言う『征韓論』の始まりであった。
つづく




