表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~【完全連載版】  作者: 米森充


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/45

第25話「会津戦争~孤独な戦い~」

 

 会津戦争は1868年(慶応4)6月15日の白河口の戦いに始まり、9月15日の二本松城の戦い等を経て若松城(鶴ヶ城)籠城戦にて結末を迎える。


 上野戦争に於いて彰義隊殲滅作戦を立案、指揮を執った大村益次郎は、仙台藩、米沢藩への攻撃、その後完全に孤立化させた会津藩への総攻撃を主張した。


 それに対し、退助と伊地知正治は会津藩への直接攻撃を主張、退助たちの案が採用され会津若松城への進軍が開始された。

 新政府軍は10月6日主街道を避け、脇道を通り母成峠にて会津守備隊と激突、撃破した。

 その後約40㎞の電撃移動を敢行、10月8日会津若松城の前に姿を見せる。


 会津領各地に守備隊を分散配置していた会津側は虚を突かれた。

 実は会津藩側も兵員不足を認識し、対策を取っていた。少年兵で構成した白虎隊の他、領内の農民などの庶民たちが次々と徴兵されている。

 しかし彼らは領主への忠誠心は無い。徴兵しても逃亡を繰返し、士気は低く、全く戦いに協力しなかった。


 後の世のテレビドラマなどを見ると、勇猛な会津藩の戦いの描写が見る者の感動を誘っている。

 しかしその実態は藩士である武士だけが戦い、殆どの領民は藩に対し、恨みしか持っていない。

 その結果の非協力的態度だった。


 勿論会津戦争を含め、戊申戦争は武士の戦争。武士以外の庶民に関りは無い。


 しかし近代の戦争は総力戦であり、農民や商人にとって「あっしには関りの無い事でござんす。」とはいかない。

 そういった意味で戊辰戦争は武士中心の最後の戦争と云える。


 その後勃発した西南戦争は、薩摩藩側は武士が主体だが、 政府軍は平民からも徴兵した混合軍であり質的な違いがあった。


 武士が国民皆兵軍に負けた。時代の転換点と云えるのが、この会津戦争と、その後戊辰戦争を終結させた函館戦争なのだった。


 会津戦争で会津藩が負けた原因。それは領民全体の協力を得られなかったから。 近代兵器云々より、まずそれが一番まずい。


 人心掌握の点で会津藩はうまく行っていなかった。付き従うべき領民にそっぽを向かれては、勝てる筈はないのだ。


 では何故領民たちが非協力的だったと云えるのか?私が指摘する論調は「聞いた事がないよ!」という人がほとんどだろう。でも史実は残念ながらそうなのである。

 その根拠は年貢にある。農民たち、町人たちの立場に立ってみると分かる。


 一般的な幕府天領は五公五民であるが、会津藩は53%(資料に残る会津藩年貢率)であり、しかも京都守護職に任命され、多数の藩士を派遣するに至り、更に徴用金が課せられ、会津戦争時町人たちは資産の殆どを徴発されている。


 年貢で53%徴収され、農民の殆どが小作であるため、更に小作料が上乗せされむしり取られる。

 汗水流してようやく収穫した米の何と6割以上が自分のものでなくなる。

 誰がそんなにたくさん差し出したいか?


 そうした背景もあり、侵略してきた新政府軍を官軍様と呼び、会津軍藩士を『会賊ども』と呼び捨てにしている。


 更に開戦前夜、家老西郷頼母の母や妻子など21人が自刃したが、当の頼母は敗戦後行方不明になっている。

 敵前逃亡した頼母。

 総大将の松平容保は罪一等を減じ謹慎処分となる。全ての責任者として切腹するべき人が、その責任を取っていない。

トップとナンバー2がその有様。


 白虎隊の悲劇など壮絶で悲惨な部分のみが脚光を浴びているが、実情を見透かした庶民の間では逆に支配者が変わることにより希望を見いだし、喜んでいる。


 その証拠に会津藩の降伏を契機に、重税に苦しむ農民たちが、1868年(明治元)11月16日~翌1月13日ヤーヤー一揆(会津世直し一揆)を起こしている。


 また養子の喜徳とともに東京に護送された容保。

 しかし庶民は何の関心も示さず、見送りにも殆ど現れていない。


 勇猛な戦いぶりとは裏腹に、言葉にならない程、無様な戦後を見て退助は思った。

 

 実は無様だったのは会津だけではない。鳥羽伏見も、甲州勝沼の戦い、二本松、上野戦争など、どの戦いも共通して幕府軍は無様であった。


 支配する領民の協力を得られず、冷徹な視線を浴びながら士分のみの孤独な戦いを強いられた。




 江戸時代は世界史全体から鳥瞰図的に俯瞰したら分かるが、有力列強と比較・競争的観点から評価すると『停滞期』と言える。

 だが決して江戸期に発展性が見られなかった訳ではない。



 

 江戸時代の長所として独自文化の熟成や、武士階級の藩校以外にも庶民に普及した寺子屋等を中心とする読み書き・算盤等、当時の世界最高水準教育と言える驚異的な教育システムの展開・進んだ治水・集約農業などをあげる事ができる。その反面、被支配者層である農民階級は度々起きる飢饉、過酷な年貢と小作制度に苦しみ、特に人口の大半を占める小作農民にとって江戸時代は地獄の時代だったとも言える。

 当時の日本は欧米と比し、決して文化・文明で劣っていない。ただ軍事力・大量生産手段の分野で産業革命伝播の遅れから後手に回っただけなのだ。

 だから江戸時代の厳しい身分制度は欧米との弱肉強食の世界での競争上、産業構造の近代化の足枷あしかせでしかない。

 だから近代化を目指す新政府が布告した富国強兵・殖産興業政策を推し進める政策が列強に追いつくための絶対条件であり、必要なのだ。




 江戸時代もうひとつの停滞の根拠





 江戸時代の人口統計を見ると、終始総人口は伸びていない。

 人口2700万人に達した途端、飢饉に合い2500万人台に減る。

 飢饉が終わり徐々に人口が増えるとまた飢饉、2500万人台に戻る。

 

 餓死と間引きの人口減少。


 徳川家康公の発した言葉。『百姓は生かすべからず、殺すべからず』それが江戸幕府の方針だった。


 過酷な年貢や厳しい身分制度。武士に許された特権『切捨て御免』のような理不尽。やむに已まれぬ一揆でも死罪。260年も虐げてきた支配層に対し、一体誰が自らの命を投げ出すというのか?



『武士になりたい』との一念で結成した新選組のような例外は、その後当然現れない。


 しかし列強の覇権争いが激化し、侵略の意図から日本に進出してきた世情の中、神戸事件や堺事件が頻発する。

 

 不平等条約を強要され、国際緊張に晒された日本。


 外国勢力の圧力に屈しない強い国家をつくるには、旧態然とした幕藩体制、非合理的で非生産性に満ちた社会制度を根本から変えていかなければならない。


 いち早く中央集権国家を打ち立てたイギリスやフランスに習い、近代国家に変貌させなければならない。

 イタリアやドイツのようにいつまでも封建制度から脱却できない国は、近代化が遅れ、活路を植民地獲得に求め再分割の悲惨な戦争の渦中に自ら飛び込む事となる。

 

 ましてやアジアの遅れた技術と意識しか持たない国は尚更。

 日本はセポイの乱やアヘン戦争で負けたインドや清国のように植民地化されてはいけない。


 多くの民が笑顔で暮らし、外国の圧力など簡単に跳ね返すことができる国家。


 退助は考える。


 不条理な身分制度を廃し、誰にもチャンスの門戸が開かれた平等な社会。

 不平等条約を撤回させる強力な国家を造るため、殖産興業、国民皆兵、富国強兵の実現。

 自由な言論、及び経済的生活の保障による貧困からの脱却と幸福の希求。

 五箇条の御誓文の目指す精神を推進する事こそ、自分のすべき責務であると改めて思い、決意するのだった。


 戦争や国民皆兵を礼賛しているのではない。当時の国際社会は弱肉強食のそうした時代だったのだ。

 生き残るためには強くなければならない。そうした時代だったことに注意を払うべきである。



 その点で云うと退助はただのいくさ馬鹿ではない。いくさそのものより、その後の手当を大切にしてきた。


 その結果、退助を慕っての断金隊、護国隊などの結集。日光の戦いを避け東照宮の文化遺産を保護して以降、民衆の人心を掌握。

 三春藩の名誉を守る無血開城により、その感謝の気持ちと退助の人柄に心酔した者たちを中心にした(後に表す)自由民権運動の活発化。


 そして会津藩では敗戦後の傷ついた藩士の心情を慮り名誉回復に努めた退助。

 またヤーヤー一揆に対し、積極的鎮圧行動には出ず、会津藩の旧役人を交渉の矢面に立たせ、多くの要求を実現させた。

 その戦後処理の温情と対策に感謝し、多くの会津人が土佐を訪れている。


 それとは対照的に、(信じられない事に、)戦争後150年以上経過しても、未だに恩讐に取り憑かれている会津人と長州、薩摩人。 退助の戦後処理が如何に卓越した行為であったかを如実に物語っている。










      つづく


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ