第24話「東北遠征」
菊、里、展子、鈴・・・。退助の女性遍歴を見ると、あるひとつの傾向がある。
それは容姿ではなく、退助に対する態度というか、相対的な立場にあった。
好みというより、接し易さが重要なのだ。常に影のように付き従う撫子のような女性は苦手だった。
それは上級武士出身の生い立ちと親譲りの性質にある。
退助の両親も、退助自身も、身分の上下を厳格に守るような人付き合いは好きではない。
常に畏まれ、指示待ちの者は疲れる。
自分の意見や感じたことを正直にぶつけて欲しい。
退助に対し物怖じせず、何でもズケズケ言ってくるような性格。
自分より強い立場で追い込んでくる女性。 つまり最初の女性、お菊に原点があった。
女性に追い込まれると心地よいのだ。
少々変態じみて聞こえるが、追い込むことで自分(退助)という男に興味を示し、言葉のゲームを楽しむようなそんな時間を共有できる女性。そういう人を面白いと思う。そして知らず知らず好きになる。
でもそんな女性の好みを、当の退助は気づいていない。
退助と鈴の簡易婚礼は滞りなく終了したが、新居が決まっているわけではない。
まだまだ江戸の治安は悪く、そんな時なのにすぐ遠征に出なければならない。
本格的な新居探しは、凱旋後と云う事になる。
しかし何故深尾はこんな大切な時期、強引に婚姻を推し進めたのか?
それは退助がしばしば単独行動や少ない供しか引き連れず、危ない目に遭っていたからだった。
指揮官としてあまりに自覚が足りない。無謀な行動や、隙のある行動をとり過ぎる。
まだまだ戦いは続くのだから、もっと慎重に行動させるべく、もう一人妻を持つことで責任感を自覚させようとしたのだった。
深尾の狙い通り二人目の妻を持ち、これ以降の退助は鬼神のごとき獅子奮迅の活躍を見せながらも慎重に行動する司令官の風格を身に着けていた。
深尾の策にまんまとはまる、実は結構単純な退助であった。
そんな退助は休む間もなく迅衝隊を率い、宇都宮戦争第二次攻城戦の援軍として遠征した。
それは江戸城開城以降新設された『奥羽鎮撫総督府』という組織の新政府軍が、第一次攻城戦で旧幕府軍に負け、宇都宮城を奪われたからであった。
壬生城の戦い、野洲戦争を経て退助率いる迅衝隊はここでも当然のように鮮やかな手柄を立て勝利する。
宇都宮城奪還後、戦の舞台は日光に移った。退助ら迅衝隊は、旧幕府軍の大鳥部隊を追う。
その結果旧幕府軍と今市付近で交戦、追われるように大鳥隊は徳川家の聖地である日光廟を背に陣を張った。
決戦準備を整えたその時、日光山僧たちが退助のもとに嘆願書を提出した。
日光東照宮を戦災にまみれさせないで欲しいとの申し入れである。
退助は真摯な態度で訴えに耳を傾ける。
そして日光という土地は初代領主である山内一豊公を土佐に封じた御恩を何代も後に続いた豊信公が未だ忘れていない事。
そんな主君の意を汲み、土佐藩の代表として敬意を表すべきである。
東照宮の文化遺産である建築や宝物を守りたい。そんな聖地を戦災で失うのは愚かな行為である。
故に日光山を戦場にするのは是非避けたいとの思いを旧幕府軍の大鳥に向け使者を送り、日光山を下山するよう説得した。
一方旧幕府軍は多数の負傷者を抱え疲労も限界にある事、また物資不足も深刻化していたため一旦下山し会津での決戦を決めた。
これにより、日光は戦火を免れた。
6月10日会津藩・仙台藩連合軍が白河城を占領。(第一次白河城攻防戦)
退助の新政府軍の別動隊は、長引く白河の戦いの間、1868年(慶応4)6月24日(新暦8月12日)僅か一日で棚倉城落城させ、その後も続き次々と城を落とした。
しかし注目すべきは驚異的な退助の迅衝隊の動きで、棚倉の戦いの前、何と5月15日(新暦7月4日)上野戦争に参加しているのだ。
1868年(慶応4)6月21日宇都宮城の戦い、とんぼ返りで7月4日に江戸にて上野戦争、兵站・物資を補給して更に東北に移動、8月12日に棚倉城戦。
まさに退助が率いる迅衝隊や断金隊はスーパーマンであった。
9月2日三春藩、奥羽越列藩同盟を脱退。
その陰にはある人物の活躍があった。三春藩郷士河野広中である。
河野は棚倉城落城の知らせを聞くと、退助率いる断金隊に赴き直談判をする。
三春藩は東北の小藩。石高5万石でしかない。
周辺の奥羽越列藩同盟への諸藩の参加の動きに抗しきれず、止む無く同盟に引きずり込まれたが、元々勤王の志に重きを置く藩であった。
河野は云う。「奥羽越列藩同盟を脱退、新政府軍に加盟したい。」
そして三春藩の窮状と、そもそも勤皇の藩であることを訴えた。
河野の言を聞き退助は「貴殿の申し出は嬉しいが、それは仲間への裏切りではないのか?」
しかし退助の反応に臆することなく、正面からしっかり見据え、
「錦の御旗に背く事こそ大罪であり造反の極み。 我らの意思は勤王にあり。それこそが三春武士の本懐です。」と言い切った。
ここで退助の側近 断金隊隊長、美正貫一郎が執り成す。
「ひとりで訴えにきたその心意気。この者、信じるに足る人物とお見受け致す。」
すると退助は、
「美正殿、あい分かった。貴殿が言う通り、ワシもこの者の胆力と誠実さを信じよう。」
かくして三春藩は戦禍を免れ、奥羽越列藩同盟を脱退、新政府軍への加入が認められた。
そして河野達三春藩は会津藩攻略のため、最大限の協力を自ら買って出る事になる。
磐城平攻略を果たした新政府軍と断金隊が合流。退助は高らかに宣言する。
「次の敵は三春藩!者ども進め!!」
三春藩の造反を列藩同盟諸藩に悟らせないよう三春藩攻略の進軍のポーズを取り続けた。
三春藩領に到着すると、重臣たちが出迎えていた。
互いに頷きあい、かくして三春城無血開城は成された。
その後河野は退助と行動を共にし、その人柄に惚れ、自由民権運動の強力なメンバーとなった。
でもそれは別の話。
三春藩の案内にて徹底底抗戦にあいながらも二本松城を撃破した。
進軍する度、味方を増やす退助。
いよいよ会津攻防戦に臨むのであった。
つづく




