第23話「迅衝隊総督 深尾成質の命令」
まだ戊辰戦争の最中だというのに、迅衝隊総督 深尾成質から信じられない言葉を聞いた。
「妻をめとらぬか?」
思いもよらない申し出に、退助は言葉に詰まる。
「しかし私には国許に妻がおります。」
「そんな事は存じておる。それを承知で言っておるのが分らぬか?」
分らぬか、と言われて少々ムッとする退助。
「何故今、私に別の妻なのですか?」
「お主は今や、歴戦のヒーローぞ。土佐の期待とこの国の将来になくてはならぬ男になったというのに、そのお主に未だ子が居らぬ。そんなことで良いと思ってか?」
「別に。良いと思っております。何故いけないのです?」
「お主は先祖の板垣姓を名乗ったではないか。名門の誉れ高い板垣姓を名乗ると云う事は、後々までの覚悟と責任が必要ではないのか?今、後継の者を残さずして何とする。
離れて暮らすお主の妻に子が儲けられると申すか?この戦で明日の身の存続も分からぬのに、何を呑気に構えておるのじゃ?自覚が足らんぞ!!」
そう言われてはぐうの音も出ない退助であった。
「しかし私は、恥ずかしながら妻の展子を愛しております。」
「『愛してる』???このワシの前でよくもいけしゃあしゃあとその面で言ったもんじゃ!」
「この面?(手鏡を持つ仕草で)あら、いい男!」
「な、な、何、ふざけた寝言をほざいておる。(呆れた表情で)・・・たわけた事を言ってないで、現実に戻ってこい!次の戦が始まる前にさっさと見合いのお膳立てをするからそのつもりでおれ。これは国許の殿(容堂公)からの要望でもある。話しは以上。」
「殿の要望?この嘘つき!!」退助は思った。(殿がそこまでお節介を焼くか?無粋を嫌う殿の事。そんな気は絶対に使わぬであろう。)
戦前の駆け込み婚は聞いた事があるが、戦の最中、敵陣中での見合いなど、そんな非常識で破天荒な事、聞いた事無いぞ。しかし弱った、(見え透いた方便とは言え)殿の威光を持ち出されたからには・・・・これは断れない。
上官の深尾成質からの謂わば強制的に近い申し渡しに、途方に暮れる退助であった。
展子に何と言おう?きっと大きな衝撃を受けるであろう。
出来れば傷つけたくない。もう、口をきいてくれぬであろうな。夜も共にしてはくれぬだろう。
しかしさすがに内緒という訳にもいくまい。 何と書こう?迷いに迷う退助であったが、 急ぎ国許の妻 展子に正直に見合いを告げる書を送った。
退助からの手紙を受け取った展子は、案外冷静だった。
この当時、身分の高い者たちが、何人もの妻を持つのは当たり前の時代。
夫の退助だけが例外と思う方が身勝手な独りよがりと、反対に非難されてしまう、女にとって悲しい時代なのだ。
しかし悲しくない筈はない。寂しくない筈はない。
夫は戦場に出て、もう何か月も帰ってこないでいる。生きて帰れるのかさえ分からない。
軍功なんぞ立てなくともよい、立身出世なんぞしなくともよい。
ただ無事であって欲しい。私の元に帰ってきて欲しい。
涙を堪え夫を送り出したが、満面の笑顔で夫を迎えたい。
浮気はするなと言って送り出したはずなのに、まさか私以外に妻を持つ?
今は涙に暮れても、夫の前だけでは気丈でいよう。そう決心する展子であった。
承諾の書を展子から受け取った退助。一言「済まぬ。」と心で詫びた。
数日後、どこから聞いたか制度取調参与福岡 孝弟が退助に皮肉を言った。
「退助殿に近々御縁談があるそうな。おめでとうござる。国許の奥様もさぞお喜びの事でしょう。」
福岡孝弟は古くからの因習、特に多妻を許す権妻制度に反対を表明、廃止を主張している。
そんな孝弟だから、日頃から自由と平等を標榜する退助に対し、情け容赦ない追い打ちの言葉を放つ。
「退助殿の言う自由とは、平等とは、男社会の為だけの志だったのですな?」
反論できず、黙ってその場を去る事しかできない。
(フッ!所詮ワシもただの男。情けないが、今は自己矛盾でも受け入れざるを得まい。孝弟に言われなくとも分かっておるわい。)
3日後、退助は見合いの席に臨んだ。相手は小谷善五郎が娘、鈴と云った。
深尾成質の縁者であり、今は江戸住まいという。
退助の第一印象は、チャキチャキの江戸っ子の正体を取り澄ました見合いの着物という鎧に隠した現代っ子の様だと感じた。
・・・しかし心惹かれる。ハッキリ言って好みのタイプだった。
だから男って・・・
「板垣退助である。」
「小谷鈴と申します。」
「こんな非常時に婚礼話など驚いたであろう?」
「はい、正直大そう驚きました。」
「ワシが何をしているかは聞いておろうな?」
「はい、勿論存じております。とても偉い軍人さんだと伺っております。」
「フム、そんなに偉くはないが、はるばるこの江戸まで出張ってまいった。」
「ご活躍は江戸中の評判でございます。歴戦の勇士であられましょう。 瓦版に描かれたあなた様のお姿とは似ておらぬとは思いましたが。」
「そうか、似ておらぬか?そもそもワシが瓦版?どのように描かれておったというのか?」
「それは男前に。まるで歌舞伎役者市川團十郎の様でございます。」
「歌舞伎役者か。で?実際のワシと比べて、どちらが男前であるか?」
「それはもちろん、市川團十郎でございます。」
「ははは、本人を前にして大胆不敵な答えであるなぁ」
「でもあなた様もご愛敬と、どこか憎めない、人を引き付ける魅力を感じます。何故でございましょう?
何処となく、ほっとけない危うさと言うか、母性本能をくすぐられるようなお方かと。」
「やっぱり和主は只者ではないな。初対面の人物に遠慮なくそこまで言うか?」
「そうでございましょうか?私など、江戸のそこいらに無数に埋もれたパンピー(一般ピープル)に過ぎませぬ。」
退助は、江戸留学の経験がある。だから江戸の女の事はソコソコ知っている。
で、その結論。やっぱり江戸の女は恐ろしい。そういつもズケズケと思った事を言われていたら、こっちの身が持たぬではないか。
「ワシには既に国許に妻が居る。それも知っておるか?」
「はい、それも存じております。」
「和主はワシの江戸での妻と云う事になるが、それでも良いというのか?不満は無いのか?」
「不満などございませぬ。何せ私は団十郎に負けない男前の貴方様に嫁すのですから。後世までの誉れになります。」
「さっき団十郎の方が男前だと申したではないか。」
「団十郎とは違った男前だと申しております。」
「あれぇ?そうだったか?」
「もう、男のくせに細々《こまごま》と・・・。詰まらぬ事にこだわらず、男らしく泰全と構えてくだされ。」
初対面なのに、早くも尻に敷かれそうな退助。
再び戦に戻る二日前、形ばかりの祝言をあげた。
つづく