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第18話「堺事件」

今回は描写に残酷な表現が含まれています。

苦手な方、嫌いな方、15歳以下の方には刺激が強すぎる恐れがあります。

 1868年(慶応4)2月6日深尾成質総督、乾退助大隊司令率いる迅衝隊が土佐を出陣した。 

 そこに丸亀藩、多度津藩が参集、讃岐の国高松藩(旧幕府方)に進軍した。

 鳥羽伏見での幕府方の敗退に衝撃を受け、丸亀藩、多度津藩の寝がえりに、もはやこれまでと家老二名が切腹、降伏した。

 残る伊予松山藩も2月27日も無血開城。四国全土の無血統一を果たした。



 退助らが率いる迅衝隊が美濃大垣に到着したのは3月11日。

 しかしその3日前の1868年(慶応4)3月8日 和泉の国、堺の港でフランス水兵と土佐藩士による殺傷事件が起きた。

 それは迅衝隊じんしょうたいの進軍経路上でもあり、ひとつ間違えば迅衝隊じんしょうたいが事件の当事者になる筈の極めて危険なニアミスだった。


 事件の概要はこうである。


 鳥羽伏見の戦いを皮切りに始まった戊辰戦争。

 幕府方の敗走により一時無政府状態となった堺を、土佐藩兵が臨時警備を担当する事となる。

 戦乱と共に、攘夷の機運も未だ衰えぬ中、(この年、畿内だけで三度の外国人殺傷事件が起きている。即ち、神戸事件(2月4日)、堺事件(3月8日)、パークス英国公使襲撃事件(3月23日)である。)

 午後3時頃、フランス海軍コルベット艦デュプレクスが、フランスの神戸事件の後処理に出向いた領事と艦隊司令官らを迎えるため、日本国内を当然のように無許可で入港した。

 堺入港と同時に港内の測量と、水兵の上陸を勝手に行う。

 その上、上陸した下士官以下数十名の水兵が市街にて、したい放題の乱暴狼藉を働いた。

 神社仏閣に無遠慮に立ち入る、勝手に人家に上がり込む、婦女子を執拗にからかう、などである。

当時列強の圧力によって開港された港の中に堺港は入っておらず、町人たちは外国人に慣れていない。

 結果、傍若無人なフランス水兵たちに恐れおののき、逃げ惑い、戸を閉め籠る者たちが続出し、警護に当たった土佐藩兵に助けを求めた。



 フランスを含め、当時の白人たちは偏見と優越感の塊りであった。(今でもさほど変わらないが)彼らにとって日本人は他のアジア人同様、サルに等しい劣等種族に過ぎない。

 何をしようと自分たち優秀な白色民族の勝手であり、お前たちサルの指図を受ける筋合いなど無い。

 それ故、丁寧に注意の『お声かけ』をする土佐藩兵に対し、口笛を吹いて挑発、からかい、罵倒した。

 云う事を聞かない彼らを藩兵隊はやむなく逮捕、連行しようとした。

 しかし突然、水兵のひとりが藩兵の隊旗を奪い取り、逃亡する暴挙に出る。


 隊士たちにとって旗を奪われると云う事は、死を以って償わなければならぬほどの大失態である。

 当然、『えらいこっちゃ!!』である。


 当時土佐藩兵の中には、とび職人も存在した。

(注:退助が町人袴着用免許以上の者に砲術修行允可の令を布告している。第17話参照)隊旗を取り戻すため、梅吉というひと際足の速い鳶頭が必死で駆け、隊旗を奪い逃亡するフランス兵に追いついた。

 隊旗の取り合いが始まり、悪ふざけの極みから、返す意思を見せない犯人に対し、やむなく手に持った鳶口で応戦、はずみで水兵の脳天に打ち降ろしてしまった。

 水兵は断末魔の叫びをあげ倒れ即死、梅吉は隊旗を取り戻す。

 これを見た水兵が、いきり立ち、復讐に燃え上がる。短銃で一斉に反撃の報復射撃を始めた。


 それに反応し藩兵隊の箕浦、西村両隊長が、咄嗟に「撃て」の号令を発する。

 隊員たちは70丁の銃口から一斉射撃を開始、11名の水兵が死亡、その中には下士官もいた。


 この事件はまかり間違えば戦争に発展するほどの大事件である。

 どれくらい深刻な事態だったか。


 事件を知った現地の幕府側敗残兵が「どうぞ私たちが設置した砲台を使ってください。この後報復攻撃のため、攻めてくるであろうフランス艦隊に応戦するときのお役に立ててください。」昨日まで敵側だった幕府方藩士にそう言わしめさせたほどの極めて危険な状況に陥っていたのであった。


 しかしこの事件はどう見ても非はフランス側にある。

 しかし、彼らは自分の非を棚に上げ、日本人をサルと見下し、土佐藩士が自軍の兵士を殺害した罪のみを厳しく追及してきた。(現在のウクライナに対するロシア兵たちと何ら変わらないケダモノである)しかしさすがに戦争まで事を荒立てるつもりはない。当時のヨーロッパ情勢は、微妙なパワーバランスの上の薄氷を踏むような平和の中にあった。

 フランスもその例外になく、いつ本国が隣国から攻め込まれるか知れないのに、こんな極東の地で兵力の迂闊な浪費はしたくない。


 結局フランス側駐日公使レオン・ロッシュは解決条件として武力ではなく、交渉による妥協の道を選んだ。

 その要求は

・下手人たる土佐藩隊長以下隊員を暴行の場所に於いて、日仏両国検使立会の上、斬刑に処する事。

・賠償として、土佐藩主は15万ドルを支払う事。

・外国事務に対応可能な親王がフランス軍艦に出向き謝罪の意を表す事。

・土佐藩主もフランス側に出向き謝罪する事。

・土佐藩士が兵器を携えて開港場に出入りする事を厳禁する事。

の五ヵ条の抗議書を日本側に提示した。


 当時列強各国公使、及び艦隊は、神戸事件の絡みから大阪湾に集結、一方、明治政府側の主力兵力は戊辰戦争の真っ最中と云う事もあり、関東に集結していた。

 この状況で戦端が開かれれば、日本の敗北は間違いない。

 2月22日、やむなく賠償金15万ドルの支払い、発砲した者の処刑など、すべての主張を呑んだ。

 武力の差は歴然としており、無念極まりない要求だが受け入れざるを得ない。


 土佐藩は警備隊長箕浦、西村以下全員を吟味したところ、隊士29名が発砲を認めた。

 3月16日大阪裁判所の宣告により摂津国堺材木寺町の妙国寺で土佐藩士隊長以下20人の刑の執行が行われる事となる。


「非はフランスにあり。しかし今、日本は建国の大事な時期であり、外国と争っている時ではない。

申しわけないが日本のために死んでくれ。」

 生みの苦しみにあえぐ日本新政府は、土佐藩士20名に申し渡した。

 藩士たちは皆、快く承諾する。


 そしてフランス公使ロッシュ立会のもと刑の執行が執り行われる時が来た。

 即ち切腹である。


 この時点でロッシュは刑の執行=銃殺くらいに軽く考えていた。

 しかし切腹が始まるとたちまち青ざめた。


 まず箕浦猪之吉元章隊長(25歳)。箕浦隊長はロッシュを睨みこう言い放つ。

「よいか!よく聞け!!自分は死ぬがそれはお前たちのためではない!

 お国の為だ!われら武士の最後をよく御覧じろ!」

 彼は迷うことなく、見事な割腹を果たした。割腹とはただ腹を切り裂くだけではない。

 作法により、十字に切り裂く方法、二字に切り裂く方法等があるが、切り裂いた後でもまだ死なない。

 その後の痛みに消えゆく意識を乗り越え、内臓を自ら取り出し、切り刻むのだ。

 そこまでして初めて介錯人が太刀を振り下ろす。


 検分役を自ら買って出たはずのロッシュは恐れおののいた。おろおろと慌てふためき、吐き気を催す。

 次に西村佐平次隊長(24歳)。西村隊長は余裕の表情を見せ、ロッシュから視線を離さず、薄笑いを浮かべながら割腹した。


 こうして淡々と切腹は続き、3人、4人、5人・・・。10人まで執り行われた時、ロッシュは気分の悪さが限界を超えとうとうその場から逃げ出そうとした。


 しかし日本側立会人が言う。

「卑怯なり!お主たちの要求であろうが!この場を逃げ去るとは何事ぞ!最後まで見届けんかい!!立会人が居らぬと刑の執行は成り立たんじゃろ!」

やむなくロッシュは席に戻る。

 しかし次の執行が終わるともう我慢できない。

ロッシュは「もういい、残りの者たちは助けてやってくれ。我が方の被害は11人、そちらも11人。これで痛み分けと云う事で手を打とう。」

何とも身勝手な主張をしながら、船に逃げ帰ってしまった。


 こうして残り9人の命は助けられた。


 この知らせを後日戦場で受けた退助。

 目に涙を溜め、夕日をいつまでも眺めていたという。


 明治新政府の使命は、幕府が結んだ不平等条約の改正など、国際社会に於ける対等な立場の確立にあったが、常に強い危機感と緊張感に晒されていた。

 その決意を一番強く持ったのが退助であった。


 その強い意志を戦場で如実に表す機会がすぐそこにあった。


 甲州勝沼の戦いである









       つづく


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