第17話「鳥羽伏見の戦い前夜」
再婚の退助に対し、初婚の展子は家の体面もあり、内輪だけでも婚儀をとの希望もあり、ささやかな式が執り行われた。
「これで退助がフラフラする事はもうあるまい。カッ、カッ、カッ!」
再び身を固めた事を媒酌人の叔父・平井政実は上機嫌で大変喜んだ。
「叔父上!」退助は眉間にしわを寄せ、小声でそれ以上余計なことを喋るなと目で合図した。
鋭い展子はすかさず
「あら、退助様、今までフラフラなさっていたのですか?どうフラフラされていたのでしょう?」
こちらも小声でひな壇の隣にいる退助に聞いてきた。退助の過去の評判を知るにつけ聞きたくなるのは当然である。
それに対し、脛に傷持つ退助は当然とぼけて
「ワシがフラフラなどするはずはあるまい。あくまで独り身男の一般論として言ってみただけじゃろ。」
「そうかしら?怪しい・・・。叔父上様ァ~!」
展子は叔父に向かって問い詰めようとするが、慌てた退助が遮る。
「叔父上、ご多忙の中、本日は大酌人の大任、お引き受けくださり新妻の展子共々、心から感謝申し上げます。
私は明日には登城の上、直ぐに喫緊の仕事に取りかからねばなりません。
つきましては別途ご相談したき儀がございますので、後程お付き合い願いとうございますが、如何?」
「フム、そうか?あい分かった。」
本当は相談など無かった。退助は目配せで政実叔父の昔話を封じた。
「時に叔父上、云々・・・・・。」話題を変える事に成功した退助を横目で見る展子は、大そう不満げであったのは勿論である。
(もっと退助様の事を知りたいのに、恨めしや。今夜は質問攻めにしてあげましょうぞ。)
この時 展子による退助への尋問の刑が確定した。
その日の夜、退助にとって防戦一方の最も過酷な一夜になったのは言うまでもない。
「可哀そうに。」チ~ン!
翌日、またしてもいつぞやの時と同様に寝不足となった退助は、言葉通り久ぶりに登城した。
ここで土佐藩を巡る情勢を若干おさらいしたい。
列藩による四候会議は失敗に終わり、政権内部での主導権争いに敗れた諸侯、とりわけ薩摩藩の西郷隆盛は、幕府を交えた列藩連合政権に見切りをつけ、倒幕に大きく舵を切る決意をした。
倒幕実行の機運の高まりと西郷との密約実行要請を受け、ベルギー製最新鋭銃『アルミニー銃』300丁を手に入れた退助は、それまでの弓隊を銃撃隊に組織を改編、土佐勤王党残党、下士や郷士を加え、武力討幕部隊として後の迅衝隊(隊員数600名)を組織した。
ここで注目すべきなのは、町人袴着用免許以上の者に砲術修行允可の令を布告したこと。
武士以外に門戸を広げ、兵制改革・近代式練兵を行うなど明治維新に繋がる先進的で画期的改変を実行したのである。
(これとは別に、上士で構成し鳥羽伏見の戦いに参戦した(後に登場する)『胡蝶隊』という部隊も存在した。)
しかし7月8日京都から帰藩した後藤象二郎が、坂本龍馬と共に起こした策『大政奉還論』を豊信公に献策。藩論は振り子のように大きく動く。
大政奉還が成されると倒幕の大義名分が無くなる。それでも退助はあくまで武力討幕を主張。
「大成返上の事、その名は美なるも是れ空名のみ。徳川氏、馬上に天下を取れり。然らば馬上に於いて之を復して王廷に奉ずるにあらずんば、いかで能く三百年の覇政を滅するを得んや。
無名の師は王者のくみせざる所なれど、今や幕府の罪悪は天下に盈つ。
此時に際して断乎たる討幕の計に出でず、徒に言論ののみを以って将軍職を退かしめんとすは、迂闊を極まれり。」
(大政奉還論など空名無実である。徳川300年の幕藩体制はあくまで武力によって作られた社会秩序ではないか。であるならば、武力によってしか覆すことはできない。
なあなあの話合いなどで将軍を退任させようなどと、そんな生易しい策では早々に破綻するのは必定である。)
大政奉還論を全否定した退助は、全役職を解任され再び失脚した。
呆れ返る展子。
しかし何故か笑顔を見せてこう言った。「見合いの席での『度々失脚』のお言葉は本当だったのですね。」
その内心は、新婚早々多忙を極めた退助が「恐ろしく暇になる。」と云った退助の言葉を思い出し、是非そうなって欲しいと願ったからである。
ようやく水入らずの落ち着きある新婚生活ができると喜ぶ展子である。
しかし・・・・・それはつかの間の糠喜びだった。
全役職を解任された退助は平然とし、少しもしょげ返ってはいなかった。
京都で合戦が勃発すれば、薩土討幕の密約に基づき、同志と共に脱藩、武力討幕に加わるつもりでいたからである。
1867年(慶応3)11月9日大政奉還成る。
1868年1月(太陰暦 慶応3年12月)失脚中の退助を残し、土佐藩兵上洛。伏見の警護に着任。
薩摩藩西郷隆盛、薩土密約に基づき、乾退助を大将として国許の藩兵を上洛・参戦を求めてきた。
1月27日鳥羽伏見にて開戦、山田隊、吉松隊ら藩命を待たず密約履行のため参戦。
2月2日退助の失脚が急遽解かれる。
迅衝隊の大隊司令として出陣、戊辰戦争に参戦すべしとの命が下る。
これにより退助の脱藩計画は消滅した。大手を振って参戦できるのだ。
展子の願望はあっけなく砕け散り、退助の出征を見送る事となった。
最後の夜。
真冬の澄んだ夜空に浮かぶ月がふたりの姿を映し出す。
展子は退助の胸の中で呟く。
「浮気しないで帰ってきて。」
退助は展子の顔を覗き込み、
「どうかご無事で、とかの言葉は無いんか?」
展子が顔を上げ、退助を見据えて言う。
「あなたが無事でお帰りになるのは間違いないと信じております。ただ、私の見て居らぬところで何をされるのか、そちらの方が心配です。ほら、ご媒酌の叔父上様も言っていらしたじゃないですか。『独身時代、フラフラしていた』と。」
「だからあれは一般論であると申したであろうが。」
「この私にそんな言葉を信じろと?・・・無理!!」
翌朝、やはり涙の出征見送りとなった。
3月11日退助率いる迅衝隊が美濃大垣に到着。
しかしその3日前の1868年(慶応4)3月8日和泉の国、堺港で世間を揺るがす大事件が起きていた。
つづく