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 第13話「男 中岡慎太郎」

 中岡慎太郎は1838年(天保9)年4月13日(新暦5月6日)生まれ。

 後藤象二郎年3月19日(同4月13日)とは同い年であり、小林塾のクラスメートでもある。


 別の回でも紹介したが、その身分は中岡家は名字帯刀を許された大庄屋であり、上士の一番下位の身分である。

 上士と云っても、郷士に近く、郷士出身の武市半平太の道場にて剣を極め、坂本龍馬との親交も厚かった。


 1861年(文久元)武市が創設した土佐勤王党に加盟、志士としての活動を始める。




  彼の評価


 尾崎旦爾 (熊吉) にして「才略と胆力と人格を有し、而して彼の如く刻苦し、彼の如く忍従し、克く結び、克く尽し、回天の大業を空挙に築き、維新の元勲として功績最も多く、稀世の英傑なり」と言わしめる。

 また板垣退助 は

「中岡慎太郎という男は本当に立派で西郷、木戸らと肩を並べて参議になるだけの智略と人格を備えていた」と評している。


 1862年(文久2)中岡慎太郎が長州の久坂玄瑞と佐久間象山を訪ねていた頃、退助は勤王に忠することを誓い、豊信とよしげ公に尊王攘夷を唱えている。

 退助が失脚し慎太郎が退助宅を訪ねた会見で、象二郎に次いで得た力強い親友=同士を得た退助は、それぞれの役割分担を強く意識した。


 退助が失脚したら象二郎にが復活、藩政を各々が信じる方法(退助=尊王攘夷、倒幕。

 象二郎=佐幕、雄藩による幕府との政治連合形成)で改革。

 近代化と富国強兵、日本国内での発言力強化に努めた。


 対して、中岡慎太郎とは退助が藩政を上から支え、慎太郎が下から諸国を跨ぎ人脈形成と薩摩・長州の同盟形成に寄与する活動を成した。


 退助邸での盟約の後、慎太郎は素早く動く。


 9月に脱藩、長州に身を寄せる。その後島津久光暗殺計画に参加。

 失敗に終わると、禁門の変、下関戦争に参加する。その積極さは鬼神を思わせる奮闘ぶりであった。



 その頃土佐では尊王攘夷派の粛清が始まる。

 武市半平太が捕縛され勤王党メンバーたちが一斉に捕らえられた。

 昨日の権力を一瞬にして失い、一転罪人の烙印を押される。

 勤王党が弾圧を受けると志が近い退助が動く。


 すぐさま藩政に復帰、高知城下町奉行に就任。

 大監察(大目付)を兼任、武市半平太、勤王党関係者を擁護する姿勢を見せ、弾圧を是とする藩庁と対立した。

 しかし藩庁側の逆襲により、2月9日大監察(大目付)・軍備御用兼帯を解任され再び失脚。

 結果、武市半平太は慶応元年閏5月11日切腹と相成った。

 半平太を筆頭に次々と処刑され土佐藩内に於ける勤王党は壊滅状態になった。

 このことが後の維新後の政局に大きく影響される事となる。


 土佐勤王党とは日本全国を見渡しても有数の尊王派一大軍事組織であり、もし戊辰戦争等で組織が健在のまま参加できていたら、土佐は薩長と同等の立場で政局を運営できていた筈と弾圧を主導した張本人である山内 豊信とよしげ公が薩長の後塵を拝する結果を招いた事実を見て、後に後悔し、嘆いている。


 勤王党弾圧の直前に目指す路線の違いからたもとを別った中岡慎太郎と坂本龍馬は、まるで退助と象二郎のように役割分担を徹底した。


 退助と慎太郎は尊王討幕に、象二郎と竜馬は雄藩連合に、精力的に働いた。


 1866年(慶応2)、それぞれの立場と思惑から慎太郎と竜馬が共同作業で3月7日薩長同盟を仲介成立させる。

 1867(慶応3)その功績により慎太郎・竜馬の両名は脱藩の罪を許され藩籍復帰。

その後ふたり各々別々に動く。


 その頃退助は1865(慶応元)4月25日謹慎を解かれ、兵学修行(洋式騎兵術)の命が下る。

 翌66年になっても藩庁より引き続き学問、騎兵修行のため江戸滞留の許可が下りた。

 要するにまだ帰って来るなとの命だった。


 この修行は藩庁にとって目障りな退助を遠ざけ、その間に藩の実権を固める意図が見えてくる。


 目前に迫る倒幕の嵐の前夜、江戸の町には退助にとって運命の出会いが待ち受けていた。


 薩摩藩士の英傑との会食でたまたま入った料亭で思わぬ人に出会ったのだ。







    再会! お菊






「・・・!!  お菊・・・。何故おまんが?」

「退助様!!! お懐かしゅうございます。」

大そう驚いた様子のお菊であったが、

「ご活躍は私の耳にも入っております。もしかして、いつかこの日がやってくるやも?と少し期待もしておりました。」

和主わぬしはここで一体何をしておる?」

「今、私はここの女将を務めております。ここでは何ですので、後で落ち着いたら場所を改め、お話させていただきとうございます。」

「ふむ、分かった。では後程。」

そう言って別れたが、その後の会食での会話の内容は退助にしては珍しく『心ここに無し』の状態がありありだった。

 そんな様子に訝しがる大久保一蔵(利通)が、

「退助どんどないした?」他の側近の藩士たちが調子にのり、「腹痛でごわすか?」「何を呆けちょる?」など散々な言われようであった。


「やかましか!!」鼻の頭を真っ赤にして退助は狸寝入りを決め込んだ。


 その日の会食は早々にお開きとなり、面々が帰った後、ひとりになった退助はお菊が別に設けた部屋に移動する。


 接客がひと段落したお菊がやって来たのは小半時程過ぎた頃だった。







      つづく




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