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第12話「8月18日の政変」

藩主の父豊信とよしげ公の側用人として江戸藩邸総裁を命ぜられた退助は、1863年(文久3年)豊信とよしげ公に付き従い江戸へと旅立った。


 江戸に到着すると退助は精力的に動く。

 まず薩摩藩の重鎮大久保一蔵と接見、豊重とよしげ公との会見の橋渡しを果たす。

 その結果、豊信とよしげ公は薩摩藩国父である島津久光との交渉ルートを確保、福井藩松平春嶽、薩摩藩島津久光と共に佐幕派代表としての活動の足掛かりを築いた。

 早速豊重は京に上洛、容堂、春嶽、久光の三者会談を行う。


 その年、京では歴史を揺るがす政変が起きた。

 8月18日の政変である。

 我が者顔で京の都を席巻してきた長州。

 それを会津藩と薩摩藩が結託し武力を背景に長州追い落としを実行した。

 長州側が一触即発の事態を回避したため、長州を中心とした討幕派が後退、佐幕派(幕府協力派)が勢いを盛り返した。

 これにより、有力な佐幕派の豊信とよしげ公は安政の大獄以降続いた謹慎が解かれ、藩政の実権を再び握る。

 早速藩に戻り、体制を立て直す豊信とよしげ公。自ら藩主の父として実質的権力を掌握。

 まず吉田東洋暗殺の報復に、再び攘夷派の弾圧を始めた。土佐勤王党大粛清である。

 直前に急進的な勤王党とたもとを別った坂本龍馬と中岡慎太郎は幸か不幸か難を逃れる。


 豊信とよしげ公と逆に尊王攘夷・討幕派として失脚し、帰藩した退助。

 そこで家の変化に遭遇する。


 妻のお里の実家である林家の跡継ぎ問題が発生。兄の政護(益之丞)が病により早世したのだった。

 嫡男を失い、家と道場を継ぐ者がいない。

 林家は遠回しに、唯一の実子である里を実家に戻して欲しいとの要望を、遠慮がちに乾家に伝えてきた。

 一度他家に嫁した娘を返せとはいくら何でも厚かましい。

 だが、家と道場を守るには、娘お里を林家に戻し、養子をとって存続させる以外ない。

 乾家の退助の母賢貞(幸子)はどう思っていたのか?

 彼女は未だ子を成さぬお里をあまり快く思っていない。

 退助に対する、ズケズケと遠慮ない物言いや、乾家の家風に合わない切り盛りに不満を持っていた。

 藩の要職を渡り歩く退助は不在がちであり、当然子などできる筈もない。

 しかも、お里に頭が上がらない退助が、お家の家風に合わせるよう説得したり従わせるなど論外であった。

 かくして林家と母賢貞(幸子)の利害は一致。まだ若く、子を成さぬうちにお里を離縁させ、林家に婿養子を迎える算段はついた。


 退助が家に戻ると、顔面蒼白で精気を失ったお里が今にも倒れそうに退助を迎えた。

 退助を見るなり、自然に涙を流すお里。

その只ならぬ様子に退助が「如何した?」声をかけるとお里はついにその場に泣き崩れた。

 事の次第を聴き退助は怒りに震えた。

 しかし泣き続けるお里をあやすうち、冷静になって考える。


 一体誰を責めようぞ?

誰が悪いというのか?

母を責めれらるか?

それとも「それはお里の実家の問題であって、夫である私は知らん!」

と突っぱねる事ができようか?


 林家の道場は退助にとっても大切な場所。

青春時代の全てを道場で過ごし、大変なご恩のある林家に報いる時ではないのか?

 退助にとって大切な女性を失うのはこれでふたり目。

 初恋のお菊を失い、次はお里。

 退助の意思とは関わりなく去ってゆくのを、成す術もなく見過ごすのは、あまりに辛い。

 離縁し、実家に帰るお里には、もう婿養子の相手が決まっているという。


 何と云う残酷!無常・無情とはこのことであろう。

 お里につられ、退助も人知れず涙を流した。

 そうしてお里が家を出る日、今度は退助がお里を見送る。

 去り際、最後に見せたお里の笑顔は、やはり美しかった。

 両手のこぶしから血が滲む程握りしめ、唇を小刻みに震わす退助。

 お里の姿が見えなくなっても、暫くはその場を離れられなかった。

 もしその場から一歩でも動き、家の中に帰ろうとしたら、その瞬間からお里との別れの時間が終わってしまい、永久にふたりの縁を葬り去る事になる。

 心の中に孤独と空洞の世界が始まり、悲しい戦いが待っている事を知っていたから。


 別れは人を成長させる。

 別れは人に痛みを教え、優しくさせる。 お里を失い氷のように心を閉ざし、その逆に哀れなる人に施しを贈る。

 退助は氷の心で思想に立ち向かい、尊王攘夷の志を先鋭化させる。


 その一方で領内の民や不遇の郷士により一層近づき、温かみの増した接し方で向かい合った。

 傷心の退助のそばにはいつも象二郎がいた。

 象二郎は退助とは逆の立場(佐幕派)として殿を支えるべく謹慎から復活、復帰した。

 即ち大監察、参政として藩政に返り咲いたのだった。


 退助の帰還と離縁を耳にした象二郎はまるで何事もなかったかのように、獲れたてのカツオを持参し、

「よぉ!退ちゃん!!久しぶり!!」と屈託のない笑顔で勝手知ったる玄関の敷居を跨いだ。

 象二郎の退助に見せる人懐っこさは、おおよそ大監察様、参政様の威厳はない。

 退助は象二郎の来訪を心から喜んだ。


 有難かった。離婚した後の弱り切った女々しさは他人には見せられない。

幼馴染で普段通りの象二郎が、退助に僅かながら笑いをもたらせた。

 「退ちゃん、覚えちょるか?ふたりで昔通った居酒屋「平助」の看板娘を。」

 「おう、よく覚えちょる。 あのひと際ベッピンなお千代坊の事であろう?」

 「この前、忍びで久しぶりにひとりで行ってのう。 驚いたことに、お千代坊は嫁にも行かずまだ居ったんじゃ。」

「何と!まだ居ったんか!!しっかしおまんも好きよのう。酒も飲まんと何しに行ったんじゃ?

まさかお千代坊に逢うためでもあるまい?その頃はまだ蟄居中じゃったんじゃろ?」

「蟄居も糞もあるかい!!わしゃ飲みたいときに番茶も飲むし、喰いたいときに串焼きイワシも喰うわい。納得せん仕置きに従う程、やわじゃないきに。たまたま気晴らしにいったんじゃ。」

「ほお、そうかい?気晴らしのぅ・・・。」

「何じゃその疑いの目は?」

「わしゃいつも感じておったんじゃ、おはんがお千代坊に気があるんじゃないか?と云う事を。・・・で?」

「で?って何じゃ?」

「おはんが持ち出した話題じゃろ?当然お千代坊との事じゃろが?」

「・・・・実はそうなんじゃ。」少々恥ずかし気に、気まずそうに象二郎は話しだす。

「お千代坊がまだ嫁に行ってないのに驚いて、思わず「まだ嫁に行ってないんか!」と大声で聞いてしまっての。」

「そりゃまずいわ、象二郎!おまんにはデリカシィと云うものは無いんか?」

「やかましいわ!おまんにデリカシィの事で指摘されとうないわい!所でデリカシィって何じゃ?」


 *時代考証上ありえない会話だがお許しを。

この後の会話は現代風に意訳したと思ってください。


「そんでもって、お千代坊に聞いたんじゃ。

『お千代、おまんの好いた男はどんなタイプか?』っての。

そしたらお千代坊、『そりゃ勿論顔のいい男に決まってます。』

 それじゃ、三浦春馬のような顔したいい男だが、足がダックスフント並みの短足で貧しい男と、赤塚不二夫の人気キャラ(?)『ドブスの牛次郎』みたいな顔だが、石原裕次郎みたいな足長でスラッとしてカッコよく、大金持ちの男とどっちが良い?」

「・・・・そりゃぁ、そりゃぁ・・・いい男でカッコよく、お金持ちが良いに決まってます。」

「ブッブー!!反則の答えは一点減点!!」



「おまんらは何ちゅう会話しとんねん?大体、男の好みの選択肢の中にこころざしとか、優しさとか、趣味とか、相性とかは無いんか?情け無か~!!おまん達、ほんまに土佐人か?」

「良くいうわ!それと同じ会話を退ちゃんは江戸の店でしておったじゃろ?チャンと同行した同僚からの報告は、耳に入っておるんじゃゾ!」


 退助は目をあっちゃに逸らし、

「何の事やら、知らぬ、存ぜぬ!クワバラ、クワバラ!」

「このシラきり退チャンが!!」

 ふたりは笑い合い、夜が更けていく。



 数日後、少し元気を取り戻した退助は、自宅を訪ねて来た中岡慎太郎と会った。

 中岡は象二郎とは小林塾仲間で深い関りがあったが、入塾を固辞した退助には良い印象は無い。

 しかも少年時代、退助が福岡孝弟との対決時、象二郎と慎太郎は福岡孝弟側に居た。

 その時から慎太郎は退助を良く思っていなかった。

同じ上士でも、象二郎は仲間意識があったが、退助は敵対する存在にしか見てはいなかったのだ。

 そんな中岡がやってきた。当然退助は構える。

 中岡に問う。

「君がここに来たのは失脚した私を見に来たのか?私が何を考えているのか見極めるためであろう?

だがその前に・・・、以前京都で君は私の暗殺を企てたであろう?」

 直球で質した。中岡は、

「滅相もありません!」

 大声でシラを切った。

 鋭い眼差しで退助はすかさず、

「いや、天下の事を考えればこそ、あるいは斬ろうとする。あるいは共に協力しようとする。

そのはらがあるのが真の男だ。中岡慎太郎は男であろう?」

 退助は迫る。

 逃げ場のない中岡は開き直り

「いかにも!・・・あなたを斬ろうとした」

と堂々と正直に打ち明けた。

 退助は正直で信用のおける男を好む。

 しかも豪放無比で、かつての敵でも自分と気が合うと認めると、とことん認める。

 退助は慎太郎の度胸と器量を気に入り、

「それでこそ、天下国家の話が出来る!!」と互いに忌憚ない話ができる仲となった。

 その時から下からの活動を中岡が、上からの活動を退助が行う役割分担が成立。


 その後中岡は脱藩し長州に渡る。64年(元治元年)、薩摩の島津久光暗殺に失敗、禁門の変、下関戦争に参加する。

 そして坂本龍馬と共に土佐と薩摩、長州の大同盟を仲介した。

 退助は上からの活動を行うため、11月14日、要職の深尾丹波組・御馬廻組頭に復帰。

 64年(元治元年)、高地城下町奉行、大監察に就任した。







        つづく


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