第10話 免奉行
吉田東洋の強い勧めもあり、退助は免奉行(今で云う土佐藩内の国税庁長官のような役職)に就任する。
今日は藩主 豊信公に就任の挨拶のため謁見する日。
稽古仲間として勝手知ったる仲。
しかし、公ではお互いしかつめらしい顔をする。
「本日、免奉行拝命の段、不肖この乾退助、謹んでお請け致します。」
実は全く出世に対する欲を持たない退助は当初渋っていた。
東洋の説得と半強制の脅しがあって、ようやく渋々受ける気になった。
でもそのうち、考えを変える。
自分は曲がりなりにも志を持つ身。
万人のために尽くす努力と実践を渋って何とする。
自分は自由な世の中を実現させるために学びと鍛錬に打ち込んできたのではなかったのか?
なまけ癖と責任の重さに、つい保身に走り尻込みをする自分が許せない退助であった。
先ほど前日の祝言の場に贈った祝いの品に対し、退助から感謝の言葉を受けたばかりの豊信公は、上機嫌な笑顔で「まっことお前は不肖者よのぉ。
しかしこの『荒くれ退助』でもいっちょ前に嫁を貰ったからには、少しくらいは一人前の男として働く位、できるようになったであろう? 象二郎に色々聞いておるぞ。」
(えっ!象二郎? この、おしゃべり野郎!!)
平伏しながら苦虫を潰した顔の退助は思った。
「何をお耳になされたか存じ上げかねますが、この退助、粉骨砕身の覚悟であたる事を殿の御前でお誓い申し上げたて奉ります。」
平然を装い、取り繕うように退助は応えた。
普段から喧嘩悪行三昧の退助。 叩けば埃の出る身。
身からでた錆のくせに(象二郎のやつ、何を告げ口したか)戦々恐々の冷や汗をかく退助であった。
見透かすように豊信公は言う。
「新しいソチの奥は新婚にして女子ながら、大そう骨のある賢女と聞く。
ソチの通う道場の娘とな?さぞ心身共に剛健の細君となろう。
これで乾家も安泰であるな。ハッ、ハッ、ハッ!」
(チッ!象二郎め、やはり里の事チクったな?)
祝言の晩、象二郎は退助の少年時代の逸話をいくつもお里に語った。
曰く
「ガマの油を塗ると川に潜っても呼吸ができる」と聞いた事があるじゃろう?
本当かどうか実践してみようと云いだしての。ワザワザ蛙を捕獲して釜で煮てみたんじゃ。
そうやってガマの油を作ってみたが、それを体中に塗ったり、飲んだりして、
いつもの鏡川にて潜ってみたが全く呼吸ができない。
そうやってガマの油の効力なんて迷信であるのをつきとめたんじゃ。」
「まぁ!本当ですの」
お里は目を丸くする。
お里の反応に気を良くし、調子に乗った象二郎は、「翌日今度は、なんと罰当たりな事に、神社のお守りを厨に捨ててみたんじゃ。本当に神罰が起こるのか、試してみようと思っての。
ほんでもってその結果、何ぁ~にも起こらんじゃった。」
実践による実証主義者ぶる象二郎。
得意げに話したが、里の反応は意外だった。
「何と罰当たりな!何にも起こらなかったとおっしゃいますが、チャンと起こったじゃありませんか?」
「何と!!何が起きたと云うんじゃ?」
「大人になっても尚、退助様は悪童のまま。全然成長と云うものを感じませぬ。
このままでは永久に手の付けられぬ悪童のまま生涯を通す羽目になるのかと。それこそ神仏の罰と思し召し、改心と精進を尽くすべきでございましょう?」
「これは手厳しい!痛たたたっ!」象二郎は自らの額をペシッ!と叩き退助に向かってひょうきんに笑った。
しかし本当は次に、「「うなぎと梅干」や「てんぷらと西瓜」などの食べ合わせは、食べると死ぬという言い伝えを、わざわざ人を集めて食べて無害なことを実証したこともあったなぁ。」
と思い出話を続けるつもりでいたが、墓穴を掘るだけと気づき、止めた。
しかし、まだ何か言いたげの象二郎を見た退助が、
「なんじゃい!象二郎!!まるでワシだけの所業のように言うとるが、全部お主も居ったではないか!共犯のくせに狡いぞ!!」
象二郎の首を捕まえ、強烈なヘッドロックをかました。
「やはり似た者同士のおふたりですのね。はぁぁぁ・・・。」
先が思いやられるというリアクションのお里であった。
免奉行
免奉行とは土免定を発給する役職。
土免とは、藩が年貢を賦課する際の税率。年貢は藩が決定し各村々に書面にて通知する。その文書の事を土免定という。
退助の担当する吾川郡や土佐郡は、前年、騒動があった。
藩政に抗議する農民たちがいた地域であったのだ。それ故、藩庁は気の荒い退助を送り込む。
しかし新任早々の退助は、平伏し遠慮がちに話をする農民たちを見て、
「万民が上下のへだたりなく文句を言ったり、議論したりするぐらいがちょうど良い。私にも遠慮なく文句があれば申し出てください。」
と優しく語り掛けた。喧嘩悪童・・・、実は下の者、弱い者に対し全力で守ろうとする正義の味方だった。
たちまち領民の心を掴み、慕われる様は、地域を超えて評判となり、やがて藩主 豊信や取り立てた本人の東洋の耳にも伝わる。
免奉行の在任期間はおよそ1年あまり。
高く評価された退助は、文久元年10月25日(1861年11月27日)、早々に江戸留守居役兼軍備御用を仰付けられ、11月21日(12月22日)、高知を出て江戸へ向かう事となる。
家を守り残るお里。旅立ちの前日の晩。去り行く退助を前に
私は泣かない。
私は泣かない。
私は泣かない。
・・・不覚にも涙を流す。
夫の立身出世は妻の喜びの筈。しかし、辛口のお里でも心から退助を愛していた。
明日から夫はいない。
何を頼りにし、楽しみに生きれば良いのか?がらんとした家の中にいては耐えられない。
新婚の楽しかった思い出が沁み込むこの家にいては寂しさで気が狂いそうになるだろう。
日常の他愛ない会話や笑顔とふれあいが、実は何物にも替え難い宝物であった事に今更ながら気づく。
(いかないで)
そう心で叫ぶお里であった。
涙に暮れるお里をそっと抱き寄せる退助。
夜は更け行く。
つづく