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巡る想像力

作者:

 珍しく仕事が早く終わった男が車で帰路を走らせていた。

 夕飯前の時間に丁度よく終わった為か、帰路の途中で空腹を感じた男は見掛けたコンビニエンスストアに車を滑り込ませる。


 停車してエンジンを切るも、仕事疲れもあってか直ぐに車から降りる気にもならない。


 ぼつぼつと車体に当たる雨音をなんとなしに聞き続けていると、雨足が弱まってきたのか音が徐々に小さくなってゆくこの時間に思いの外、心地よさを感じる。


 窓から見た雨も小雨になっており、店の入り口まで傘を持つまでもないかと思って車の扉を開けて外に出ると、鍵を閉めて外に出ると、店の軒先で空を見上げている母と男の子がおり、合羽を着込んでいた男の子が落ちてきた(しずく)に当たって、こう言うのが聞こえた。


「ねえ! 空から雫が(こぼ)れたよ!」


 それを聞いて思わず足を止めてしまう。


 母親はそれを聞いて笑っているだけだが、自分はかなり感心してしまった。


 自分の中では、雨とはあくまでも「降る」ものだと固定観念と化しており、それは大人になったが故のものなのかとも思うが、それ以上に子供の想像力に驚かされる。


 雨が「降る」のではなく、雫が「落ちた」のでもなく、「空から零れ落ちた」と少年は言ったのだ。


 そう考えると、大人である自分自身も雨に対して様々な想像力が働いた。


 雨とは降るものではなく、もしかしたら空――それこそ天国だとか楽園みたいな場所があり、そこは雲の上の王国だったりするから、風に吹かれた雲が傾いて、置いてあった天国の湖か何かから水が零れ落ちたものが雨になったり……と、ついそんな想像を走らせてしまう。


 子供の頃はそういう事を頻繁に自分も考えていたのかもな、なんて思いながら大人になった自分を少し寂しく思った。


 それでも、大人になったとしても、こうして子供から聞けば想像力は再度補完されるんだと気付いた一日に、なんだか非常に満足度みたいなものを感じる。


 そう考えれば、人の想像力というものは、誰かと恋をして、その誰かと結婚し、子供が産まれ、親となれば回復するものなのかも知れない。


 大人になり擦り減った想像力を子供が癒し、そうして大人も子供の色んなものを想像していくのだろう。


 だからこそ、人という生き物は常に進化を続けられるのだと何かの気付きを得たような、悪くない気分で明日の仕事も頑張れそうだと思った。

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