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それから一週間が経過した。俺はこの一週間で図書室の住人と化していた。
最初の二、三日は図書委員やよく図書室を利用する人間に聞き込みをしたり、『上手な豚の絞め殺し方(中級者編)』を借りそうな顔をしている奴を拷問したりしたが、碌に成果をあげられなかったので、途中から他に良い手段を考えるついでに図書室に張り込むことにした。
席に着いて本を読んでいるふりをしながら、次の手を考えつつ、強化人間の空間把握能力で図書室に本を持って入ってくる奴が居れば、そいつの手に持っている本のタイトルを確認する。
しかし、中々いい手が思い浮かばないので一週間も図書室に居続ける、というより最早住み続けることになってしまった。そろそろ風呂に入りたい頃合いだ。
ここ数日、わずかなトイレの時間以外、俺は図書室を出ずに過ごしている。飯は川上が図書室まで持ってくるので何とかなっている。
無論、いつまでもこんなことはしていられん。
本を借りた犯人が、返しに来るとは限らないと水島に言ったのは俺だ。今の俺の行動は完全に無駄骨かもしれん。
それだけでなく、今回図書室に住み着いて初めて分かったが、図書室の利用者はあまり居ない。ここで待ってるのは、得られる情報が少なく明らかに非効率だ。犯人特定はおろか、情報収集すらままならない。
早く次の手を打つべきだ。何かこう、他に効率の良い犯人捜しの方法は無いだろうか。
今だけは風紀委員を潰した西城に味方したことを悔やむぜ。風紀委員の強い権限があれば、こんな犯人一日かからずに見つけ出せただろうに。
こうなってくると、あとは中野の発明に頼るしかないって感じになるが、水島と結んだ取り決めでお互い中野を頼るのは無しになっている。フェアに行こうぜということだ。
……ちっ、何かに頼りたいなんて、つい弱音や誘惑みたいなもんを考えちまう。無いものについて考えても無駄だ。『上手な豚の絞め殺し方(中級者編)』は俺の実力で見つけ出してみせるんだ。
◇
依頼を受けてから十日が経った日の放課後、水島が俺のもとにやって来た。珍しい客だった。そもそも放課後の図書室に来る奴自体が稀なのだが、それを度外視しても水島に図書室は似合わない。
水島は俺の前の席に座り、未開封の紙パックのお茶を一つ、トンと机の上に置いた。
「もっぱらの噂だぜ、最近図書室に住み着いた番人が居るってな」
「なんだ水島、お前冷やかしか? わざわざ俺に会いに来たってことは、そっちも上手く行ってないみたいだな?」
「ああ、悔しいがその通りさ。全校生徒をとっ捕まえて吐かせれば簡単だと思ったんだが、数が多すぎる」
水島は肩をすくめて、お手上げというポーズを取った。
俺も水島の言ったことは脳裏に浮かんだことがあるが、これまた水島と同じ理由で実行に移すのをやめた。何せ全校生徒は千人だ。まあ、このまま張り込みを続けるよりはマシだろうが。
しかし、俺たち全然推理してねえな。まあ、探偵の仕事って尾行とか身辺調査が多いらしいけど。
俺は水島に言った。
「言っておくが一時休戦は無しだ。二人手分けして五百人ずつ調べるなんてのは――」
「ああ、分かってるよ。単純に様子を見に来ただけだ。じゃあ、俺はこれで失礼するぜ。これから八十七人目を捕まえに行くからな」
……こいつ、マジで実行してやがんのか。よくやるぜ。
「ああ、じゃあな」
俺は手を小さく振った。水島も後ろ手に手を振り去っていった。
俺は一人になった。まあ、貧乳司書を除けばだが。
机をふと見ると、水島が持ってきたお茶が残されていた。あいつがここに来た本当の理由はそういうことだったのだろう。全然人が来ない図書室だぜ? 俺がうわさになるものかよ。素直じゃない奴め。……ありがとよ。
お茶を早速ありがたく飲みつつ、俺は考えた。
いよいよこのままではマズくなってしまった。
水島はこれから八十七人目と言っていた。千人には未だ程遠いが、それはいずれ確実に終わりを迎える。その時までに、犯人が本を返しに来なければ俺の負けだ。俺は急がないといけなくなってしまった。
しかし、焦っては駄目だ。焦っている状態ではまとまるものもまとまらないし、良い作戦、良い手というのは浮かばない。
俺は落ち着くために一度深呼吸し、席を立った。そして、ゆっくりと図書室の中を歩き始めた。もちろん、次の手を考えながら。歩きながらだとアイデアが浮かびやすいというのは、よく聞く話だ。
だが、いくら考えても手っ取り早い方法は思い付かない。そもそも手掛かりが全然足りていないのだ。
水島が去ってから三十分の間、歩きながら、お茶を飲みつつ頭を回転させたが全然駄目だった。やはり手掛かりがない以上、何度考えても今のように図書室で待ち続けるか、水島のように全校生徒に尋問するかしかないように思える。
俺はため息をつき、力なく本棚に背を預けた。
――――。
一瞬、俺の中に一種の誘惑が襲った。いっそのこと、ネットか本屋で同じ本を買ってきて、さも「本を見つけました」って面をして白を切るか。そういう手もあり得ると思った。
だが俺はすぐに首を横に振り、考え直した。それは、すなわち敗北を意味することだ。最高の強化人間である俺が事件を解決できないなんて、そんなことがあってはならない。それに、それだけじゃない。
確かに、女の子のハートをゲットすることが最優先事項だ。
だが、俺のプライドを抜きに考えても、本が買ってきたものだとバレたら、感謝はされるだろうが憧れや尊敬はされない、つまり俺に惚れることは無いだろう。そんな、誰にでもできるようなありきたりな解決策ではな。
そういう面から考えても、別の所から本を見繕ってくるなんて絶対に駄目だ。
俺がそうやって誘惑を断ち切ったその時だった。図書室のドアがガラリと開いた。
今、俺の居る所は入り口から直線上の場所だが、間に背の高い本棚が三つも挟まっているために、お互いにお互いを視認することはできない。
よって俺は急いでいつものように神経を集中させ、空間把握能力で今入って来た人間がどんな本を持っているかを探った。
探ったところ入ってきた奴は写真部部長の細田竜巻で、本は持っていなかった。
またもや『上手な豚の絞め殺し方(中級者編)』を見つけられなかったことに肩を落とす。
普通ならこれで終わりなのだが、しかし、この細田は少し妙だった。
細田は入り口から最も遠い本棚(入り口から対角線上にある)を物色したが、結局何も持たずに適当な席に座った。
目当ての本が無ければとっとと帰りそうなものだ。西城に、写真部の活動を停止させられたから暇なのかとも思ったが、暇つぶしがしたいなら図書室じゃなくてもいいわけで、わざわざ図書室に来ておいて本を読まないのも少々気になる。ちょいと気にしすぎかもしれないが。
普段なら、男のことだしどうでもいいと切り捨てられるのだが、今は少しでも『上手な豚の絞め殺し方(中級者編)』につながる情報が欲しいため、男だろうが図書室に来た以上は、ある程度観察しなければならない。
とりあえず俺は細田に尋問してみることにした。そんな都合の良い事があるわけないので、そんなに期待はしないが、もしも細田も同じく『上手な豚の絞め殺し方(中級者編)』を探しているとしたら、協力者になってくれるかもしれん。
俺は一歩踏み出そうとした。しかしその時、タイミングが良いのか悪いのか、ドアが開いて人が入って来た。
俺は足を止め、今入ってきた人物と手に持つ本のタイトルを把握する方を優先した。
能力を使った瞬間、俺は驚いた。入って来たのは塩沢だった。俺の応援に来てくれたのかと期待したが、どうやら違う様子だった。彼女は本を両手で抱えるようにして持っていた。
だが、もっと驚くべきことは塩沢の登場ではなく、塩沢の持っている本のタイトルの方だった。
塩沢が抱えていたのは『上手な豚の絞め殺し方(中級者編)』だった。




