52_真里姉ととある団長が生まれた訳
この話は、会社や家庭の間で葛藤する方を想って書いたのかもしれません。
「くそっ、結局今日も日付が変わる前に仕事が終わらなかった……」
時計の針は既に午前1時を指していた。
感知センサーによって、蛍光灯をつける必要があると判断されているのは、俺の机だけ。
他の机は午後8時にはもう真っ暗になっていた。
仕事とプライベートの両立とかいう、国や会社の方針が打ち出されたのはだいぶ昔のことだが、恩恵を受けているのは要領の良い連中だけだ。
上司はどうなのかって?
上司にはそんな方針、元から意味の無いものだ。
何しろ打ち合わせがあると言っては、毎日夕方には姿を消しているのだから。
何を打ち合わせしているのかは知らないが、成果になった試しはないし、当然、打ち合わせ後に戻ってきたこともない。
ちなみに俺と同じ30代後半で、所謂中間管理職を任されていた者の多くが、辞めて転職するか、病んだ。
残業時間がおかしなことになっていることを上司も会社も知っていて、こちらの訴えを聴きながら、それでも最後には『でも頑張るしかないだろう?』と口にする。
でもじゃねえんだよ、疲弊して中間層がボロボロなのに気付けよいい加減、クソがっ。
そして部下、俺はお前らのプライベートを守るために、お前らの仕事をしているんじゃないんだぞ?
悪態をつきながら、俺は思わずポケットに手を入れて、そこにあるはずの物が無いことに気が付いて、自分が禁煙を余儀なくされていたことを思い出した。
酒も賭け事も女遊びも滅多にしない俺の、煙草という心の安定剤が失われたのは、お小遣いカットという無慈悲な妻の宣告を受けたことによる、苦渋の決断故だった。
思わず零れた溜息。
溜息を零すと幸せが逃げるというが、それなら俺の幸せはとっくにマイナスだ。
その言葉を考えた奴に言いたい。
溜息を零して幸せが逃げるなら、何をしたら幸せはやってくるんだ?
ってか、俺の幸せってなんだ??
そんな残業の疲れで取り留めのないことを考えながら、俺は終電間際の電車に揺られ、家路についた。
「ただいま」
我が家に着いてお決まりの台詞を言うが、返事はない。
『お帰りなさい』という返事があったのは、ああ……いつだったかな。
もうよく思い出せないが、年単位で昔だってことだけは確かだ。
最初はSNSで帰宅時間の遣り取りもしていたが、仕事が溜まっていくにつれ、俺は帰宅時間の訂正を繰り返し、次第に妻から確認の連絡も来なくなった。
この時間だと、もう子供と一緒に寝ているのだろう。
台所のテーブルに用意してあった夕食を、冷めたまま1人テレビもつけず黙々と食う。
きっと夕食が用意されているだけ、俺はまだマシなんだろう、そう思うことにした。
夕食を食べ終えた俺は、自室に入ると仕事着を脱いでラフな格好になり、ブラインドサークレットを装着した。
今の俺は、これからの時間のために現実の時間をこなしていると言っても過言ではない。
俺の心のオアシス、逃避先……それがMebius World Onlineの世界だった。
この世界で、俺はグレアムと名乗ることにした。
理由はない、なんとなく響きが格好いい気がしたからだ。
この世界で、俺は自由だった。
『上司のクソっ』『部下のアホっ』と心で罵りながら、その鬱憤をモンスターにぶつけ、戦い続けた。
戦えば戦う程レベルやスキルレベルが上がり、溜まった金で装備も充実していった。
目に見える成果と、それを成した自分に俺は夢中になった。
そのためなら睡眠時間を削るくらい、なんともなかった。
やがて気が付けばレベルもカンスト、つまり上限に達し、そこで俺は気が付いてしまった。
俺がやっていたことは、結局のところストレスの発散、一時気を紛らわすだけの、乾いた砂に水をやっていたようなものだったのだと。
刺激という名の水があるうちは良いが、それが無くなったとたん、渇きに苛まれる。
勿論スキルレベルをより高めるとか、装備をさらに良くするとか、やり込もうと思えば出来たが、結局それすらやり切ってしまったら、何が残るんだ?
その事実を直視してしまった俺は、MWOにログインしても何もせず、エデンの冒険者ギルドから、期待に満ちた顔をしたプレイヤーを、ただぼーっと眺めていた。
眺めながら、半ば応援し……いや嘘をついた。
1割くらい応援し、9割嫉妬し、そしてそんな何かに期待を抱くようになることは、俺にはもうないのだろうと決め付けていた。
しかしある時、俺は○学生にも思える女の子のプレイヤーと出会った。
まだ始めたばかりなのか、初心者装備に身を包みおどおどしている姿には、不思議と嫉妬心が起きず、微笑ましくさえ思えた。
だが女の子が受けたクエストの内容に、俺は顔を顰めた。
ボアは初心者から抜け出した頃に相手をするモンスターだ。
初心者装備で立ち向かう相手ではない。
止めるべきか、しかしお節介ではないのか……。
現実の、俺の子供達が『〜したい』と言った時に、『〜だからやめておけ』と客観的かつ冷静に言った時の子供達の冷めた表情が思い出され、ダメージを食らってもいないのに胸の辺りが痛んだ。
そして俺が逡巡している間に、女の子は行ってしまった。
「くそっ……」
これまで表に出さなくとも悪態をつくことは多かったが、自分に向けたのは、久しぶりのことだった。
後悔なのか罪滅ぼしなのか、俺は冒険者ギルドから動かず、待ち続けた。
仮にクエストに失敗したとしても、その時こそ、何かしてあげられることがあるんじゃないかと思いながら。
だが俺の予想に反し、女の子は生還した。
しかもブラッディボアというネームドまで倒してだ。
俺は驚いた。
周囲は【捕縛】スキルに騒いでいたようだが、俺はそんなことより、彼女の強さに興味を引かれた。
強いプレイヤーは、ざらにいる。
俺も自慢じゃないが上位の方だ。
だがこの女の子は、この女の子の持つ強さは何かが違う。
何が違うのか、その時は分からなかった。
その後も冒険者ギルドで度々姿を見かけたが、気が付けば俺はその女の子のことが気になって仕方がなくなっていた。
……いや、ちょっと待て。
決して事案ではないぞ?
フリじゃないからな??
通報するなよ???
絶対だからな!?!?
女の子が良く話すギルド職員に、俺も話しかけてみることにした。
そこで俺は、女の子の名前がマリアであることを知った。
そして、街にある教会に良く通っていることも。
教会なんて、エデンの街にあったのか?
攻略や強くなることに関係が無かったせいか、俺は全く知らなかった。
引き寄せられるように教会へ赴き、そこで俺は見たのだ。
マリアという女の子が、教会のシスターや子供達と触れ合う姿を、その思い遣る姿を。
マリア自身は、相変わらずの初心者装備。
翻って、俺はどうだ?
装備は立派になったが、中身はどうだ。
俺は、何をしているんだ?
居た堪れなくなり、俺はその後すぐにログアウトした。
しばらくログインせず悶えながら過ごし、数日後、ようやくログインすることを決心した。
俺は知りたかったんだ。
マリアがしていることを。
俺と彼女で、何が違うのかを。
俺は知るために、マリアが居ない時を見計って……だから事案じゃない! おまわりさんを呼ぶな!! 教会を訪ねた。
手ぶらでは悪いと思い、菓子を買ってみた。
そういえば、現実の子供達からねだられて買ったことはあるが、自分から選んで買ったことなんて、あったか?
最初は警戒されたが、慌てた俺は、マリアという女の子が貴女達に何をしてくれたのか、それをただ知りたいだけなのだと、気が付いたら熱く語ってしまっていた。
いい歳の大人が、非常に恥ずかしい。
しかしエステルと名乗ったシスターは、こちらの葛藤を見抜いたかのように、事実と状況だけを淡々と、あえて主観を省いて話してくれた。
その話を聞いた時の驚きと感動と、自分への恥ずかしさを、何と表現したらいいのか、俺には分からない。
だが断言しよう。
俺は生まれてから、これほど誰かに畏敬の念を抱いたことはないと。
「しかしなぜだ、なぜ彼女はそんなことが出来る!?」
気が付けば、俺の想いは口から出ていた。
「見返りもなければ、合理的でもない。彼女は一体、なんなんだっ!!」
私の問いとも言えない問いに、エステルは答えてくれた。
「マリアさんは、ご自身の心の想いに自然と委ねることが出来る人なんです。誰でも、いつも心は囁いているんですよ? けれど私達は、囚われるものが多過ぎて、その声を逃してしまうんです」
まるで子供に言い聞かせるような口調だったが、不思議と反発する気は起きなかった。
「でもマリアさんはそれだけではなく、他者の心の想いも聴くことが出来るんだと思います。あなたは、あなたの心の想いに耳を傾けていますか? 他者の心の想いに、耳を傾けていますか?」
なぜかその言葉は、すとんと俺の心に落ちた。
仕事のこと、妻のこと、子供達のこと。
ああ……そうか、そうだったのか。
我慢し、それをぶつけることなく無理して溜め込んで、心の中では周囲にその責任を押し付け毒突いていた俺には、辿り着けない境地なわけだ。
俺の渇きが、満たされるはずが無いわけだ。
くそっ、今日はやけに日差しがきつくて目に染みる。
天を仰ぐ俺を、エステルは何も言わず、そっとしておいてくれた。
それからの俺は心機一転、事態は好転……といいたいところだが、現実はそう甘く無い。
それが現実というものだ。
だがそれでも、MWOという名の世界の中に希望を見付けることは出来た。
相変わらず仕事の量は減らないが、それでも打ち合わせに行く上司をつかまえて、本来上司がすべき決裁の仕事を頼んだり、定時になったから帰ろうとしている部下に、本日中に部下がやるべきだった仕事をやらせることくらいは出来るようになった。
もっとも、明日はその仕事の後始末で俺が奔走することになるんだろうが、明日のことは明日のこと、知ったことか。
俺はその日、久しぶりに定時で退社した。
あまりにも早く帰宅した俺に、妻も子供達も驚いていた。
俺はこれまで何を思っていたかを話し、妻には入浴剤を、子供達には買ってきたケーキを渡した。
正直会話はぎこちないもので、反応もあまり無かったが、仕方がない。
それはこれまで俺が年単位で放置してしまった結果なのだから。
それなら、同じだけの時間をかけて、やり直してみよう。
同じだけの時間が必要だと考えたら、焦る気持ちが少し抑えられた。
その日の夜、MWOにログインする前に掲示板を覗いていると、俺はマリアに、いやマリアさんに注目している人達がいることを知った。
注目されている理由はその外見からくるものだったが、それでもいいだろう。
マリアさんの本質は、きっとすぐ皆にも分かるはずだ。
だから俺は、知っていることを隠したまま掲示板に書き込みをした。
そしてマリアさんが想うままにMWOで生きられるよう、ある組織を作った。
それは思いつきで作ったスレの名前を流用した物だったのだが、『スレ主が責任を取れ』という若干反論し難い理由により、その集団の団長になってしまった。
スレの名前、いや組織の名は「幼教信者の集い」。
後に『教団』と呼ばれるようになる組織が爆誕した瞬間だった。
まず、お礼から。
第1部(章構成上、2章)完結に伴い、感想、評価、ブックマークを頂きました。
心より、感謝致します。
まず、文字にするという時間をかけて頂き、4人の方から感想を頂けました。
全て返信させて頂いておりますが、改めて、感謝を述べさせて頂きます。
また今回、5人の方から文章・ストーリーに評価を頂くことができました。
本当にありがとうございます。
そして第1部完結にも関わらず、ブックマークして頂いた8人の方。
どうもありがとうございます。
皆様のおかげで、第3章を続けていく気持ちを持つことができました。
これからものんびりと、お付き合い頂けたら幸いです。




