157_真里姉と夜語り
あの後、私はギルスに水汲みをお願いし、覚束無い足取りでルレットさんの許へ戻り料理をしたらしい。
伝聞系なのは、さっき見た光景の衝撃が大き過ぎ、現実逃避したから……ここ、ゲームの世界だけれど。
それでも無意識にやるべきことをこなすあたり、ポテトチップス地獄を乗り越えた経験が活きている。
ちなみに作ったのは、頂いた茸をふんだんに使った炊き込みご飯と、青菜と根菜の汁物に、村の人から買った川魚の塩焼き。
リベルタで買い込んだ米や調味料が、ここで活躍。
美味しくできたとは、思うよ?
ただ、私はその味を全く覚えていない。
味わいを感じられる程の余裕が、なかったんだろうね。
気付いたら、寝ていたし……。
加えて、悪夢にうなされ飛び起きたし…………。
おかげで意識ははっきりしたけれど、汗をびっしょりかいた目覚めは最悪。
額に張り付く前髪をどけ、借りている家の窓に目を向けると外はまだ暗かった。
二度寝しようにも眠気は遥か彼方へ行っており、何よりこんな汗だくな状態で再び横になりたくない。
「夜風に当たれば、気分転換になるかな。歩いているうちに汗も乾くだろうし」
そう考えベッドから出ようとした時、隣にあるルレットさんのベッドが空になっているのに気付いた。
近寄り触れたベッドは、冷たい。
言い知れぬ不安に駆られ、外へ飛び出し辺りを見渡す。
夜空には筆先だけでさっと描いたような細い月が浮かび、瞬く星がその周囲を繊細に彩っていた。
微かな月明かりに、【暗視】が働く。
おかげで苦労せず村の中を捜せたけれど、ルレットさんは見つからなかった。
「どこへ行ったのだろう……」
村を出て森との境に沿って歩いていくと、やがて樹々が姿を消し、代わりに小さな丘が現れた。
その丘の頂きにある岩の上、片膝を立てて佇む人影が一つ。
「ルレットさん……」
呟きが聞こえたのか、虚空を見詰めていた目がこちらを向いた。
少しだけばつが悪そうに見えたのは、黙って夜中に抜け出したせいか、あるいは黙ったままのことか……。
私は無言で近付き、一歩手前くらいの位置で止まった。
遠過ぎず、けれど近過ぎない、そんな距離。
沈黙を交わしていると、やがてルレットさんがぽつり、溢した。
「私のジョブは【羅刹女】という拳闘士の上位職で、実は正式サービス開始時から初期のジョブを飛ばしています」
「えっ、そんなこと可能なんですか?」
ジョブスキルを取得する際、それまでの経験が考慮され個人差が出ることは、以前ゼーラさんに聞いた。
けれど、ジョブまで変わるという話は耳にしたことがない。
「特例だそうですよ、ザグレウスが言うには」
肩を竦めて口にするあたり、ルレットさんも予想外だったらしい。
そしてザグレウスさんの特例なら……うん、何でもありな気がしてきた。
イベントクリア後に、勝手に付与されていたカルマ十万事件を思い出し、思わず納得。
「更に言うと、【羅刹女】はβテストの時にあるNPCとの出会いで得たものなんです」
薄く微笑むその横顔には、懐かしさと寂しさが同居し、儚げな色気を漂わせている。
そして語られたのは、ルレットさんが【羅刹女】となった具体的な経緯。
ドロップ狙いでレアモンスター狩りに参加したけれど、NPCを犠牲にする酷いもので、拉致されたNPCを連れ逃げ出したこと。
何とか逃げ切ったものの、ダメージを負って意識を失い、目覚めた見知らぬNPC……いや、男性に介抱されていた。
眼鏡は男性の物で、なんとネロの元になった猫の使い魔もいたらしい。
自然と共存する小さな村で過ごすうちに、ゆっくりと心の傷と疲労が癒えたとは、ルレットさんの言。
ただその平穏も長くは続かず、狩りを諦めていなかったプレイヤーに村は襲われ、男性も犠牲に。
その際、モンスター化した男性とルレットさんも一緒に抗ったけれど、多勢に無勢。
男性が力尽きた際、ルレットさんは死に戻りを覚悟したという。
しかし、そこで【羅刹女】に目覚めプレイヤーを一蹴。
男性は最後に眼鏡を託し、逝った。
そして正式サービス開始時の初回ログインにおいて、ザグレウスさんから初期のジョブを飛ばし【羅刹女】を選んで欲しいと頼まれた、と。
聞いているだけで、激しく感情を揺さぶられる。
当事者であったルレットさんに至っては、言葉には言い表せない程の感情が渦巻いたと思う。
「男性からの眼鏡は、いずれ返さなければならなかったんです。それをあのジェイドという人との戦いで思い出した……いえ、突き付けられた。いつまで弱いままでいるのかと」
苦笑混じりに『実際、負けてしまいましたね』と呟いたその表情は、少しだけいつもの雰囲気が戻っていた。
「正式サービスが開始されてから、記憶を頼りに村のあった場所へ行ったことがあります。でも村は廃墟と化し、誰もいませんでした。失意から意識にのぼらないようにしていましたが、思い出したんです、彼の言葉を」
「言葉?」
「はい。『いずれその眼を受け入れる者が現れる、それまで貸しだ』と、そう言っていました。以前は一人でしたが、今は違います」
向けられる視線が、暗にそれが私だと告げている。
言い残した人物に私が当て嵌まるのかは分からないけれど、ルレットさんにそう思われるのは嬉しい。
「危険が伴うかもしれません。それでも、マリアさんは」
人差し指を自分の唇の前に立て、私は続く言葉を止めた。
問われても、私の意志は変わらない。
だから代わりに、こう答えた。
「借りなら、利子も上乗せして返さないといけませんね。その人が安心できるよう」
明るく続けた私にルレットさんが呆気に取られた後、ふっと笑う。
小さく、『ありがとう』の言葉を添えて……。