115_真里姉とある第二陣プレイヤー
今回のお話は四章の鍵となる人物目線の物語となります。
予めご承知おきください。
なお断章は本話のみとなります。次話からまた四章(中編)となります。
胸に拳を受けたおれは、その衝撃で辛うじて肺に残っていた酸素が押し出され、堪らずその場に倒れ込んだ。
格闘技用に作られたゴム製のマットのおかげで、倒れてもそれほど痛みは感じなかったが、酸素を求める息は荒く、激しい鼓動は若干不安を覚えるほどだった。
噴き出る汗は拭っても拭ってもきりがなく、昔とは違い体が衰えていることを否応なく感じさせてくれる。
だらしくなく伸ばした足元に近付く、人の気配。
おれは眼だけを向けて、言った。
「さすが現役……久しく現場を離れていたおっさんでは、一撃も入れることすら敵わんな」
そこには鍛え抜かれた体をボディースーツのようなトレーニングウェアで身を包んだ、元部下の萱中が苦笑を浮かべ立っていた。
「ご冗談を。現役の部下でもフルコンタクトで私とやりあって、ここまで保つ奴はそういません。体力的な面はともかく、格闘技術については昔と変わらず流石の一言に尽きますよ、御影さん」
「そいつは元上司として、面目躍如といったところか」
こっちも苦笑で返すと、萱中が差し出してきた手を取り、おれは体を起こした。
「面目躍如どころか、何度ひやりとさせられたことか。技術は変わっていないと言いましたが、立ち会った時の気迫は以前より増していたくらいです。一体何と戦うつもりですか?」
「さて、何と戦うかはおれにも分からん。何しろその手の物には一切触れてこなかったからな」
「最近話題になっているあのゲームですね。抽選倍率が高過ぎて、当たった人は一生分の運を使い果たして死ぬという、怪談めいた話まで出ているとか。御影さん、良く当たりましたね」
「まあ、それはちょっとした縁があってな」
言葉を濁すおれに、だが萱中はなぜか納得の表情をしていた。
「どんな縁か気になりますが、御影さんなら不思議じゃないですね。それだけの実績がある方ですから」
「実績、か……」
確かに、客観的に見れば誇れるだけの実績がおれにはある。
文字通り命がけで得た実績だが……。
「その実績を得た代償に、おれは一番大事な時に、本来いるべき場所にいることが出来なかった。しかもそれに気付いたのは全てが終わった後だったというのだから笑えない」
「御影さん……」
どう言葉をかけていいか困っている萱中に気付き、おれは自嘲するように軽く笑った。
「いかんな、歳のせいかすぐ感傷に浸ってしまう……さて、もう一戦頼めるか?」
「歳のせいとするには早過ぎると思いますが、一戦といわず何度でも。ただ、私にも面子がありますからね。現役を退き、既に五十路近い御影さんの攻撃を受けるわけにはいきません」
「それならもし一撃をいれることが出来たら、お前の部下に吹聴してやろう」
互いにひとしきり笑った後、気持ちを切り替え、構える。
その後一時間ほど組み手を続けたが、勝負の行方は名誉のために触れないでおく。
ちなみにどっちの名誉のためかを聞くのは、野暮というものだからな?
萱中との組み手を終えた数日後。
体力や筋力は以前より劣ったままだが、戦うための感覚はだいぶ戻っていた。
完全ではないが、あとは実地で慣れていけばいいだろう。
そう思いブラインドサークレットを手に取りベッドに横になると、まるで見計ったかのように妻の咲良が姿を見せた。
おれより一回り年下で四十に近いはずだが、三十代前半といっても違和感がないほど若く見える。
丁寧に編んだ長い髪はアップにされ、落ち着いた色合いのカーディガンとあいまって楚々とした感じだ。
「どうしても行くのですね……」
暗く沈んだ口調で言ってくるが、おれはもう覚悟を決めている。
そのくらいで揺らぎはしない。
「今更止め」
「なんて、お淑やかなことを言ったりしませんよ? あなたが決めたのだから、しっかりやっていらっしゃい」
一変してぴしゃりと言い放たれた言葉に、さっきまでの湿っぽい感じは微塵もなかった。
普段とは違う咲良の雰囲気に、動揺するおれ。
おかしい、揺らぎはしないとか心の中で思ったばかりのはずなんだが……。
「いつも控えめだったお前が、なんだか急に逞しくなっていないか?」
「伊達に手のかかる夫の面倒を長年みていませんし……それに」
「それに?」
萱中と組み手をしている時よりも強いプレッシャーを感じながら、無意識に唾を飲み込み俺は尋ねた。
「妻である私を放っておいて、他の女性に会いに行こうとしている夫に、どうして優しく出来ますか? 刺されても文句は言えないと思いますよ??」
そう言ってベッドの隣にあるワゴンから果物ナイフを手に取り、由紀江が微笑みながらつぅっと刃先に指を添える。
おれはひょっとしたら、ゲームに行ったまま目覚められないかもしれん……。
そんな一抹の不安を覚えたが、そこで咲良がふっと笑った。
「冗談です。ただ私も女で、嫉妬くらいします。その相手が年若い同性の方だと知れば、なおのこと」
「そういうつもりがないことくらい、お前も分かっているだろう? ……いや、それで失敗したんだったな。分かってくれることを期待して、伝える努力を疎かにした結果を、おれ達は十分味わった」
「そうですね……そのことに気付かせて頂いたことも含め、中途半端は許しませんからね?」
「ああ、任せろ」
そう言ってブラインドサークレットを装着すると、おれはゲームの世界に飛び込んだ。
ゲームの世界にログインすると、おれはそのクオリティーの高さに驚いた。
ギリシア神殿のような建物のリアルさもさることながら、特筆すべきは五感の再現性だ。
手足を動かしてみても反応速度に違和感はなく、むしろ現実より良い気がする。
おれが知っている、TVの前でやるゲームとは別次元の物なんだな……。
過去に想いを馳せている間に、ザグレウスというAIが現れゲームの説明をしてくれた。
説明を受けゲーム内のおれを作成し、ジョブを決めると今度は国を選択する場面となったのだが、そこでザグレウスの説明がこれまでの淡々としたものから少し変わった。
「カルディアは希望者が殺到しているため、所属出来るかは抽選となっています。予めご了承ください」
カルディアというと……ああ、そういうことか。
「第二希望、第三希望を仰って頂ければ抽選から外れた場合に優遇を」
「行き先ならもう決めているが、カルディアではない。だからその続きの説明は不要だ」
続く言葉を途中で遮りそう言うと、ザグレウスが驚いたような表情をした。
AIだと分かっていても、人間にしか見えない表情だな。
「では、どの国を希望されるのですか?」
「無法国家、ゼノア」
間を置かず答えたおれに、ザグレウスが驚きを大きくする。
AIを驚かせたことに気を良くしたおれとは対照的に、ザグレウスはゼノアという国の特異性や危険性を細かに説明してくれた。
おれを案じた故であることは分かるが、そんなことは全て承知の上だ。
やがておれの意思が固いことを悟ったのか、ザグレウスは諦めたように転移を行ってくれた。
こうしておれの人生初のゲーム体験は、AIからも止められるゼノアを拠点にして始まるのだった。
いつもお読み頂いている皆様、どうもありがとうございます。
今回新たに12件の感想を、12人の方から有り難い評価を、そしてお気に入りに登録頂けました。
重ねて、ありがとうございます。皆様のおかげで、引き続き四章(章を分けましたが)を描くことができます。
今回、誤字の指摘を2件頂きました。とてもありがたく、反映させて頂きました。
誤字脱字のご指摘はいつでも歓迎ですので、気になる点がありましたら、よろしくお願い致します。
また前話において感想と同時にcan@赤ペン職人さん、プラットフォームさんからより良くするためのご指摘を頂きました。頂いた指摘をもとに修正しています。ありがとうございました!!
感染がまた広がりを見せている状況ですが、皆様はお変わりありませんでしょうか?
引き続きのんびりと、お付き合い下さいませ。