バケモノ屋敷
私が連れていかれたのは、薄闇の路地の先のさらに先。
無法者が蔓延るような薄闇に、薄く輝く建物の中。
「着いたよ」
私の首根っこを掴み、逃がさないようにしている女は言った。
夜闇の底なし沼を微かに照らす蛍のように輝くその建物の扉を開けて、私は引きずり込まれた。
今から何されるのだろうか。
その恐怖が僅かに心に灯るが、決して表出することはしない。
ぐっと呑み込み、私は顔を上げる。
と、そこにバケモノがいた。
「あらぁ、何よアナタたち、随分と可愛らしい子鼠ちゃんを引っ掛けてきちゃったのねぇ♡ うふん」
いや、違う。
よく見れば人間だ。
二メートルはある巨体。桃色のドレスを着ているが、筋骨隆々故にパッツンパッツン。その厳つい顔には白粉が塗りたくられて、唇にはルージュの口紅が光る。
見た目は男男しているが格好だけは女。
なんという違和感の塊だろうか。
そんな男?に近付き、ここまで私を連れてきた女たちは、猫撫で声で言う。
「ごめんね、お姉様。ホントはお姉様好みの子を連れてきたかったんだけど」
「そうそう。だけどこの子とそのお友達に邪魔されちゃって」
「んふっ、いいのよん♡ アタシ、勇敢な子鼠ちゃんは大好きよ。アタシたち『セカンドグール』に逆らうひとがまだいたなんて……、お姉さん嬉しい」
野太い声でキャピキャピと喋る。
「セカンドグール?」
聞き慣れない単語に、私は首を傾げる。
「あらあ、アタシたちのことを知らないの?」
意外そうに目を見開き、ぐいっと私に顔を近付ける。
「この都市の無法の裏街を統べる組織、それがアタシ達セカンドグールなのだけど……んんー」
女装の大男は目を細めて、私をじっと見る。
「な、何かしら」
「あんたどっかで見たことあるような……、どこだったかしら」
ドキリとする。
私はメサイア家から逃げ出した身だ。
今ここで私の正体が彼らに知られたら、きっと私は家に連絡される。無法者の集団とはいえ、貴族を敵に回すような馬鹿げたことはしないだろう。
「えっと、人違いでは?」
なので私は適当に誤魔化す。が、
「ああ、思い出したわよん♡ あなた第三王子の婚約者ね」
速攻でバレた。
建物内の彼の仲間たちがざわめく。
「第三王子の婚約者って、あのメサイア家の令嬢でしょう。どうしてこんなところに」
「ちっ、貴族かよ」
「可愛いのに貴族とは残念だね」
敵意半分、好奇の視線半分といったところか。
貴族とは平民よりも遥かに高い権威を有するが為に平民には内心で嫌われていることが多い。
(まずいわね。未だに貴族であることを騙るべきか、それとも無価値を示すために権威の失墜を言うべきか)
その二者択一。だが、直ぐに前者は候補から外れた。
貴族であることを騙り、自身に手を出すことの意味を相手に理解させることで、身の安全を得る。確かに作戦としては有効ではある。
一介の無法の組織に過ぎない連中でも、貴族相手に喧嘩を吹っかけることの意味を知らないわけではない。
貴族とはいわば国家の力の象徴そのものだ。
その身内に手を出すことそれ即ち、国家の力そのものに刃を向けるようなもの。
つまりは国に刃を向けることと同義。
国に刃を向けたらどうなるか。そんなことは子供でも分かるだろう。国家反逆だ。
まずこの程度の組織では掃討されること間違いない。
だが、それは今の私にとっては諸刃の剣にもなる。
私は逃亡の身だ。
私が貴族であることが発覚すれば間違いなく彼らは貴族に貸しを作る為に、メサイア家に連絡を入れることだろう。
そしたらリサのいない今の私では間違いなく捕まる。
(後者ね)
それしか選択肢はない。
貴族は身内の恥は隠匿する。
なので恐らく今の私の状況は、彼らには知られてはいないはずだ。
事実、彼は未だに私のことを王子の婚約者だと勘違いしていた。
ということは権威の失墜を素直に言うべきか。
「それは少し前のことで、今の私は単なる平民に過ぎませんわ」
勿論これにも幾つもの危険は孕んでいる。
貴族への深い憎悪を持つものならば好機と思うかもしれない。だが、今この状況においてその選択肢を除いて他にはない。
少し前の私ならばメサイア家の力で、悠々と相手を叩き潰すことができていたのに。
牙をもがれた獅子の気分とは、こういうものなのかもしれない。
「そんな話アタシは知らないわよん?」
「当然よ。婚約破棄など王家と貴族の恥だもの。それを平民に知らせるには、色々と準備が必要なのよ」
くすりと女装男は笑う。
「嘘……ではないけど本当のこと全て言ってないようね。アナタ、どうやら子鼠ではなく狐ちゃんかしらん」
鋭い。
流石に裏路地を統べる組織というだけはある。
「婚約破棄が恥というのなら、どうしてアナタはこうして自由の身でいられるのかしら」
もっともな疑問だ。が、直ぐに私は答える。
「臭いものには蓋を……いいえ、こういう場合はトカゲのしっぽ切りというのかしら。私を勘当することで彼らは私に全ての責任を押し付けて、そのまま汚点を消し去るつもりなの」
虚偽を交えた、真実。
筋は通っている。
だが、まだ目の前の男は、僅かに疑心の目を向ける。
「ふーん、ということはアナタのお友達とやらがアナタが下手なことをしないようにとあてがわれたらお目付け役ってところなのかしらん♡」
リサに対する言い訳を、先に言い当てられた。
(このバケモノ……、なかなか切れ者のようね)
私は刹那の困惑を飲み込み、平静を保つ。
「ええ、そうよ」
ふーんとじっと私のことを見て、女装男は吹き出した。
「ぷふふ、ふふ、あはは、うんうん、いいわ♡ おねえさん、キミのこととっても気に入っちゃったわ。どうかしら、行く宛がないならおねえさんのところで働かない?」
おねえさん? ということに疑問を抱く。
「ちょっと、お姉様。私は反対です! 元とはいえ貴族ですよ! 傲慢で不遜なクズに決まっています!」
酷い言い様ね。
「私もはんたーい。こんなの入れたところで私たちにメリットはないでしょー、むしろ面倒になりそう」
次々に反対の声が上がる。
「ええー、私はいいと思うけどなあ。可愛いし、食べちゃいたいくらいに可愛い」
その中でも若干一名ほど危険なことを言い出した女がいるが私は聞かない振りをする。
そもそも私は入るなどとは一言も言ってないわけだけど。
しばらく室内が騒然としていると、
「アンタ達ィ! お黙りなさい! こりゃアタシの決定なのよ!」
女装男は一括。室内の声を押し潰した。
「それで、どうする? アタシ達の仲間になりなさい」
答えは決まっているわ。
「うん、却下。この高貴な私がバケモノの仲間になるわけないでしょう」
私は地下牢にぶち込まれた。
酷い。