侍女
「うえっ……気持ち悪い」
ぴょんぴょん飛び回るリサの手から解放された私は、凄まじい吐き気と格闘していた。
酔った。
私の三半規管が全力で悲鳴を上げている。
少しでも気を抜けば吐いてしまいそうだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、だいじょ……、って!」
さすさすと私の背を擦り、優しく介抱してくれるリサに、一瞬だけ感謝の気持ちを抱いた自分を、思い切りビンタしてやりたい。
今こうなっているのはこの侍女のせいなのに何をぬけぬけと。
この脳筋侍女は誰のせいでこんなことになっているのか分かっているのだろうか。
だが、それを言葉にするだけの余力は今はない。
「う、るさい。というか一体、どういうつもりよ」
リサから受け取ったハンカチを口に当てながら気をしっかりと引き締める。
少しでも気を抜いたら吐いてしまいそうだ。
「私はもう何の権力もないのよ……、尽くすには値しない、その価値は一片もないはず。何の得にもならない。それなのに……」
私は彼女の意図が分からない。
何故この侍女はメサイアの使用人を辞めて私に着いてくると言ったのだろうか。
私を連れ戻す為の演技……とも考えたが、その必要はそもそもない。
私では彼女から逃げることはできないわけだし、見付かった時点で即ちゲームオーバー。
つまりは捕えられて幽閉ルートまっしぐらなのだ。
暴れられるのが嫌なら捕えた時点で薬品か何かで眠らせて、運べばいいだけ。
それをせずに、わざわざ着いてくる宣言したのは何故か。
考えても考えても結論は出ない。だから私は彼女自身にその意図を問うことにした。
「どうしてメサイア家を辞めて私に着いてくるなどと……」
相手本人に直接訊くなどは完全な愚策だろう。だが、今のほとんどの力を失った私に切れる選択肢はその程度のもの。
そんな私の様々な思考の果てに辿り着いた質問を彼女はたった一言で片付けた。
「どうしてと問われましても私はお嬢様の侍女ですから、としか答えることができませんね」
当たり前のことを言うかのようなその口調に、まるで私の方がおかしいことを言っているのではないかというような錯覚を覚えた。
さらに彼女は続ける。
「そもそも尽くすに値しないかどうかを決めるのはお嬢様ではなく、私ですよ。お嬢様が決めるのは私が必要か不要か、ただそれだけです」
リサは真剣に私を見る。
「お嬢様は私が居たほうが助かりますか?」
「いや、まあそれは……、助かるけど」
私一人では何も出来ないし、とは流石に言わない。
「ならいいじゃないですか。私はお嬢様に尽くすことが嬉しい、お嬢様は私に尽くされて嬉しい。win-winの関係です」
「ええ……、尽くして嬉しいって貴女もしかして変態?」
「誰が変態ですか。私は純粋にお嬢様に尽くしたいだけなのです」
ふんすと胸を張る。豊かな胸が突き出されて揺れた。
まったくもって意味が分からない。
「……まあいいわ。それで私はこれからどうすればいいの?」
「おお、流石お嬢様! 早速この私に頼るとは……、一人で生きるとは何だったのか」
「なっ! いちいちうるさいわね! あなたの為に頼ってあげてるんじゃない。分からないならいいわ、一人で考えるから」
「いえいえ、申し訳ございません。ただのじょーくです。使用人の冗談にいちいち目くじら立てて怒るようではいけませんよ」
くすりとリサは笑う。
「ではまず私達の寝床を確保しましょう」
「……寝床? どこかホテル……はダメね。きっとメサイア家は直ぐに使者を出して秘密裏に私の捜索をするはず。だから出来るだけ足のつかないところがいいわね」
「まあ、それ以前にホテルに泊まる程のお金はないんですけどね」
「ならどうすればいいのかしら。適当な人の家に泊まる?」
「それは絶対にダメです」
「まあそうね。いきなりこんな高貴な私が泊まりに来たら萎縮させてしまうわ」
「お嬢様、相変わらず軽くナルシスト入っていますね」
「ふん、当然でしょう。自分を好きになれない人間に貴族なんて務まるわけないもの」
私は侍女の手を取り、
「それでは行きましょうか。これからのことを考えるのにもまずはやっぱり雨露を凌げる寝床は必要よ。だから探すわよ」
歩き出す。
「ええ、どこまでも着いていきますよ、お嬢様」
そうして私達は、歩いていく。
気づいた時にはもう侍女酔いは治っていた。