バレンタインに告白したらパニックになりました
パレートの法則というものを聞いたことがあるだろうか。
ざっくりと言ってしまえば「富と所得の80%は人口20%によって作り出され、所有される」というものだ。
これは様々な場合に当てはまり、有名な例で言えば「よく働くアリ20%が80%の食糧を集めてくる」ほかにも「結果の80%は原因の20%から出てくる」など様々だ。
……、なぜ今年30になるOLの私がこんな経済用語を持ち出したかと言えば、これが私の人生で決定的な意味を持っていることに気付いたからだ。
先ほども言ったがパレートの法則は様々な場合に当てはまる。そう、男女関係もしかり。
この世では20%のイイ女が80%の男をえり好み出来る。これは性別を逆にしても同じことが言えるだろう。
ところで残り80%の女はというと、余りものの20%の男を取り合うことになる。それはもう、血で血を洗う、残り物が残り物を取り合う地獄絵図。地獄の鬼さんでさえ顔をしかめる光景に違いない。
それなりの学歴とそれなりのキャリアに胡坐をかいて花の20代を仕事につぎ込んできた私は気付いてしまった。
子供欲しい。旦那欲しい。結婚してぇ。
そうだ、私は出世して給料を上げて社会的地位を手に入れて……、なんてものはそこまで欲しくなかったのだ。
ただ自分の人生にイイ男が出てくるまでの、ただの暇つぶしに過ぎなかった。
そう、待つの。
いや、待ったの。
10年近く、シミやほうれい線と殺し合いをしながら十分待った。
結果、求婚されるどころか言い寄ってくる男すらいない。あまつさえ後輩や部下からは「怖い」「鬼」「三途の川に生息するウツボ」呼ばわりされる始末だ。
なんでだ! 私はこんなにイイ女なのに!
「じゃあさ、バレンタインに告白してみたら?」
カフェで向かいの席に座るカナが言った。カナは私の親友で、本音で話が出来る数少ない友達の一人だ。
「告白って言っても、私に好きな人なんて」
そこまで言って私の脳裏を一人の男がよぎった。確かに、気になる人は居る。ウチの部署の課長、加藤さん……。
「おや? どうやら思い人がいるようだねぇ」
カナは私の表情を見てニヤニヤしながら言った。
「いるにはいるけど、でも気になるだけだよ?」
加藤課長は私よりも4つ上の人で、まるで幾多の死線を越えた兵士のような顔つきをしている。見た目通り普段は厳しい人なのだが、実は部下思いで、ふとした瞬間に見せる優しさに私はキュンとしてしまったのだ。
カナは「でも樹里さ」と私の名前を言ったあと、コーヒーの入ったマグカップを啜る。
「今年がラストチャンスだと思うよ? だって今29歳じゃん。世間一般で『若い』って認識されてる最後の年だと思うんだよね」
ちなみにカナもまだ独身である。この言葉はカナが自分自身に対して言い聞かせているのかもしれない。
「それは、分かってるけど……」
「恋っていうのはね、ドンと来てサッと流してゴーン! っていくのよ!」
ちなみにドンと来てサッと流してゴーン! とやってきたカナはまだ独身である。
「いい? ギャップよギャップ! 男は女のギャップに弱いものなのよ」
カナは目を見開いて私に顔を近づけて言った。
何度もアナウンスするがギャップを意識し続けたカナはまだ独身である。
「ギャップねえ……」
「どうせ樹里って、職場では怖い人とでも思われてるんでしょ?」
「そ、そんな事……!」
はい。思われてます。男の社員に舐められたくない一心で働き続けた結果、常に口はへの字に結んだままだし、眉間の皺は修復不可能な深さに達してます。
「でもそんな樹里が可愛い所を見せたら、意外とときめく男は多いかもよ? アンタ顔は綺麗なんだし」
そうなんだろうか。そういえば私も課長の不意に見せる優しさに惚れたんだった。じゃあきっと男も……。
そう思うと少しやる気が出て来た。
私はカナと話ながら、先月の忘年会で課長と話した内容を思い出していた。
あの時は私も課長も酒が回っていて、それなりに饒舌に話していた記憶がある。
私の記憶が正しければ課長はまだ独身で彼女も居ない。仕事の邪魔になるとか何とか言ってたっけ。
他には何だったか……。そうだ、眼鏡を掛けた女性が好きだと言っていた。
という事はバレンタイン当日に眼鏡を付けて行けば「あっ、コイツ分かってるな」って思われるんじゃないか?
あとはギャップ。普段はコンタクトの私が眼鏡を掛けて出社することも十分なギャップになりえる。だがまだ足りない。
やはりバレンタインなのだからチョコレートを手作りしよう。そうすれば「あ、コイツ家庭的なんだな。付き合いたい」ってなるんじゃないか? いや、せっかく手作りするのだから市販の製品には絶対ないものにしたい。確か課長はカレーが好きだと言っていたからカレーとチョコレートを混ぜるのはどうだろう? 絶対ウケる! ちょうど、カレーとチョコって色が似てるから混ぜやすそうだし。
なんかテンション上がってきた。
あとギャップと言ったら口調! 普段はサバサバしていて必要最低限の事しかしゃべらない私が、口に手を当ててモジモジくねくねしながら「チョコ受け取ってくらしゃい!」とか言ったら「あ、コイツすごく可愛い。結婚したい」ってなるんじゃないか?
よし、何だか行ける気がしてきた!
バレンタイン前日、私はカナと一緒に考えた作戦のシミュレーションをしていた。
先ず、あらかじめ会社用の携帯に「大事なお話があります。今日の午後6時に非常階段5階の踊り場まで来てください」とショートメールを入れておく。
6時を指定した理由は、普段なら課長が煙草休憩に行く時間だからだ。
そしてここからが本番。課長が到着するなり私は「捕まえた!」と言って腕に抱き着く。
課長は私のいつもと違う挙動に「コイツにこんな一面があったのか」とドキドキすることだろう。もしかしたら何かのドッキリだと思って逃げようとするかもしれないが、そんな時は「逃がしませんよ!☆」と小悪魔的な笑顔とアヒル口で課長を見つめながら手を引くのだ。
妖艶な私の笑顔を見てついに逃げるのを諦めた課長は私と見つめ合う。
そこで「私の顔を見て何か気付きませんか?」と問う。
課長は私がいつもは掛けていない眼鏡をしている事に気づくだろう。そう、自分が大好きな眼鏡っ子が目の前にいるのだ!
二人っきりの空間、眼鏡の私、とびっきりの笑顔。
そこまですれば課長はきっと私が本気で告白するつもりだと悟るはず。
すべての準備が整ったところで「これは私の気持ちです」と言いながら私の特性チョコレート「カレーC」を手渡すのだ。
もちろんコレには課長の大好物、カレーがたっぷり入っている。出来上がったチョコを味見したら、ちゃんとカレーの味しかしなかったから問題ない。
そして最後に、いつもはハキハキ喋る私がモジモジくねくねしながらこう言うのだ!
「か、課長の事が好きでした。付き合ってください!」
そこで私たち二人は結ばれる……!
***課長サイド***
俺は腕組みをして、後輩の田中樹里がこの非常階段の踊り場に来るのを待っていた。
田中樹里は普段口数の少ない人物で、仕事以外の事は滅多にしゃべらない。その田中が珍しくショートメールで俺を呼び出したのだ。絶対に何か重大な懸案事項を抱えているに違いない。
会社を辞めたいという相談か、あるいは社内でイジメにあっているのか……。
「か、課長!? なんでもう来てるんですか!?」
上の階から慌てて裏返った声がした。
「おう田中か。大事な話みたいだったから気になって早めに来ておいたぞ」
「で、大事な話っていうのは」と俺が切り出した時だった。
慌てて階段を下りていた田中が足を滑らせ、そのまますごい勢いで回転しながら落ちてきたのだ。『胴回し回転蹴り』という言葉が脳裏をよぎる。
「だ、大丈夫か田中!?」
俺はうずくまる田中に駆け寄った。
「加藤、課長……」
呟くように言った彼女の頭からは血が流れている。
「待ってろ! 今救急車を呼んでやるから!」
しかし田中は俺の腕を掴み、引きつった笑顔で、言った。
「ひひひっ捕まえたぁ……!」
いやいやいや怖い怖い怖い! なんだ、どうしたんだ田中!?
「と、とにかく一旦離れてくれ!」
俺がどうにか田中の手を引き離そうとすると、今度は両手でガッチリ俺の腕をつかんできた。
「逃がしませんよ! 逃がしませんよ課長おおお!」
その眼は完全に亡者のそれだ。
怖っ! 顔面は引きつってウツボみたいだし、あの真面目そうな田中にこんな悪魔みたいな一面があったなんて知らなかった! 知りたくなかった!
「ねぇ課長! 私の顔を見て何か気付きませんかっ!?」
「血がいっぱい出てるぞ田中!」
「そこじゃないでしょ! 眼鏡ですよ! 眼鏡えええええ!」
「両レンズとも割れてるよ! そもそもケガの方が……」
と、ここであおむけの状態のまま身体をモジモジくねらせ始める田中。
やっぱり悪魔かイモ虫の亡霊にとりつかれているのだろうか。
「そんな事より課長、私チョコ作ってきたんですよぉ」
「何言ってんだこんな時に?!」
「ほら、これチョコなのにカレーの味がするんですよおおおお!」
「カレー粉じゃねぇか!!!」
「私たち、お似合いですね!」
「なんで!?」
***樹里サイド***
こうして私の告白は散々な結果に終わった。かのように思えたのだが、あの一件があってから課長が私に笑顔で話しかけてくれるようになった。
もしかしたら私が心を病んでいるのだと勘違いしているのかもしれない。でも良いのだ。勘違いやハプニングから始まる恋もあるさ。
そう、階段から転がり落ちて始まる恋だってね。
おわり
ハッピーバレンタイン!




