ヌーボー・レース
レース、といっても元の世界の車やバイクのようなハイスピードレースではない。
毎年特定の日の「日の出と同時」に解禁されるワインの新酒1樽を
「誰が一番早く城に持ってこれるか」
という荷物運びレースだ。
この樽、灯油缶3つくらいの大きさ――つまりだいたい50リットルくらい入りそうなので
「さすがに飛空魔道士が持って飛ぶのはちと無理じゃのう」
という事らしい。
それに山にある醸造所から下の街に運ぶのだが、適当な方向の川が無いので船も使えない。
そのためこの世界最速の陸上貨物運搬手段「馬車」で運ぶわけだが、
「この体の持ち主――『ダニール・アルテミエフ』と言うらしいがの。まぁそのダニーの戦略は『最新素材を多用して馬車の走破性を向上し最短距離の険しい道を突っ切る』という男らしいものじゃ。こやつの記憶から見る限りかなりいい線いってると思うぞ」
「あわわわわわぁうげぇぉぉぉえああぉぉぇぇぇ」
つまり。
下りの悪路を馬車で走るわけで。揺られる振られるぅ!
道というより、山登りのハイキングコースだぞこれ!
ただ、最新素材のおかげでこれでもずいぶん振動は抑えられてるようだが
デコロリ金髪のリーナは揺れる馬車につきあう気は無いようで
御者席の俺の横に座っているようで微妙に体を浮かせている。
便利だな。それ。
しかし、この馬車、何よりハンドル無いから余計怖い!
左右「別々」のハンドブレーキを調整するしかラインをコントロールする手段が無い。
とはいえ基本馬まかせでいいのだが、高速コーナーはドリフト気味にして横Gを逃がす。
「こんなんでハイサイドだけは勘弁してくれよぉぉぉお!」
滑らせてるタイヤが突然グリップを取り戻すと、上に乗っている俺がふっ飛ばされるからだ。
タイトコーナーでは思いっきり内側のブレーキだけ引いて戦車の信地旋回のようにロックさせ、クルッと曲がる。
「ほぅ、どうかと思うたが上手いものじゃ。体は正直じゃのう」
……それ、意味違うぞ?「体が覚えてる」だぞ?
しかし、本当に基本操作は体が覚えてる感覚はある。
「なるほど、これが南方で取れるという『ゴム』の力なのじゃな。グニャっとして振動を吸収しておる」
「ゴム?ってあのゴムが最新素材って事か!」
「おぬしの世界にあったのと、ほとんど同じようなものじゃ」
記憶を探ると、さすがにまだ空気入りでこそないが車輪にゴムを貼り付けたり
そもそも荷台も大きなベルト状ゴムの上に取り付けてあるという
大型トラックのキャビンと似たようなフローティング構造になっているようだ。
どんだけ先進的なんだこの馬車……!
「ほぉ?おぬしの記憶では、ゴムにはあんなのやこんなのもあるんじゃの?おぬし良く使っておったのか」
けけけ、という感じでニヤついた顔でリーナがこっちを見る。
見た目はロリだが、こいつ中身はセクハラ親父じゃん……
そのせいで危なく見落とすところだったが、事前に分岐点に付けられた目印
――赤く塗った枝が3本ぶら下がっている――を見つけてあわてて左の手綱を引いてさらに小道に入る。
ダニーはラリーで言うところの「レッキ」、つまり事前試走を綿密に行っていたうえに、間違えそうな分岐点にはすべて目印の枝を付けていた。
しかも難易度に応じて本数を変えていて、3本は一番難しいコースという意味。
すっかり顔を出した朝日に照らされたコースは
「これは……鵯越の逆落としかな?」
「道というより山崩れの痕じゃのう」
およそ200mくらい。大雨で山肌が崩れついた広くて白い筋。
ダニーの腕なら行けた、というのが信じられない位の「ほぼ崖」だ。
記憶再生すると、特定のルートがあるようだが、
いくら記憶を引き継いでいてもとてもマネは無理。
とっさの判断が追いつかない。
「ここは無理。ぜったい無理」
「けっ、格好良いところが見られると思うたのじゃがのう」
「いくらこの新型馬車でも壊れるぞ。リタイヤしたらダニーの記憶だけじゃなくて借金まで引き継いじまう」
「それならハルには何か手があるのかの?」
「一度慣熟歩行してルート確認すればいけるかもだが、それだと時間がなぁ」
ジムカーナやダートトライアルといった毎回コースが変わる競技では
たいていスタートする前にコースを歩いて確認する慣熟歩行時間がある。
歩いて回っている間にコースを覚えてライン取りを考えておくのだ。
以前の体なら、こんな崖をおりることも登ることも無理だが、
今の体なら多分出来ると思う。が、
「たぶん下りて登って1時間以上かかるだろうなー」
ちなみにこの世界も24時間式でだいたい同じくらいの感覚らしい。
「ではさて、ここでいよいよわらわの出番かのう。ちゃんとわらわの願いを後でかなえてもらうからの」
すっくとリーナは御者台の上に立って右手を上げ、ぴん!と人差し指を伸ばす
「れどーむ。地上の移動速度の速い物体をさーち。位置をまっぴんぐ」
さっきデコ合わせた時もこんな言い方してたな。
これが魔法の呪文か?
「来たぞ来たぞ――城に向かっている方向のものだけ検索。8候補ひっと。ばーどあい放出」
リーナの指先から眩しい白い光が8本出て、そのまま飛んでいく。
「これがわしの魔法のひとつ 『れどーむ』と『ばーどあい』じゃ。遠距離の様子もこれでわかる」
まぁ呪文そのものに意味はないがの。あくまで魔素を制御するためのトリガーにすぎんのじゃ。
とリーナは言うが、それは普通の人間の魔法使いには難しいレベルの話だ。
数分も経たないうちに
「ばーどあいろっくおん。1,2,3・・・8、こんぷりーと!」
指を下ろしてやれやれ、と言いながら御者台にリーナが座る。
「さて、ハルよ。ほかのレース参加者を調べたが、みな大通りを爆走中でな。先頭はあと半日もあればゴールしそうなのじゃ」
「そこまでわかるのか……凄いな!で、ちなみにウチらはあとどれくらいの位置なんだ?」
「もっと褒めてもいいのじゃぞ。で、この崖下の道まで出たらあと同じく半日かの?」
まじか。時間が無さすぎる!
「リーナ。下まですぐ馬車下ろせるような魔法はあるのか?」
「うーん、魔素が薄すぎるのじゃ」
魔素の濃厚な砂漠で育ったリーナは、薄すぎる下界の魔素では
魔法の連発が出来ないそうだ。
「やる手段は無いことも無いが、出来る限り避けたいのじゃよ」
砂漠のドラゴンであるリーナはほとんど魔素で体が出来ている。
その身を削れば、
「相当の魔法が撃てるのじゃがのう。さすがに出来れば遠慮したいのじゃ」
そりゃまぁ、当然ではあるが
「状況はわかったけど、微妙に使えねぇ……!」
「なんじゃと?失礼な!その状況わかるだけでもどれだけ有利だと思っておるのじゃ!」
リーナが腰に手を当てて「ふんっ!」という感じでそっぽを向く。
ドラゴンのくせに妙に人間の仕草に詳しいな。こいつ。
(――それに、おぬしのその魂がどれ程のものか?ちと興味もあるしのう――)
ボソっとリーナが何かつぶやいたようだがよく聞こえない。
「仕方ないか。覚悟きめてここは度胸一発コースだな」
さばっと切り替えて俺は馬車から一旦降りる。
くよくよ悩まないのが俺の性格だ。
しかし乗り込む時はよく見えていなかったが、本当にこの馬車は変わっている。
まずサイズが小さい。幅も狭く長さも短いのは。狭い道に対応させるためだ。
そして車台のフレームは黒檀のような黒い木だし
板バネのサスペンションは取付部もゴムブッシュだ。
さらにショックアブソーバーとして丸くて「黒い」ゴムの塊が取り付けてある。
「ゴムをショックのように使っているのか。って、黒いゴムだと?」
生のゴムは黄色に近いが、黒とは加硫、つまり硫黄と混ぜる技術がこの世界にはすでにあるようだ。
加硫していない生ゴムはすぐデロデロになってしまうので工業製品としては寿命が短すぎる。
となると、黒檀ぽく見えたのも
「エボナイトか!」
そりゃ黒檀みたいな重くて高価な木は使わないよね。
エボナイトはゴムを加硫して作るプラスチックのようなもの。
昔勤めていた店でこれで作った万年筆を売っていたことがあるが
しっとりした手触りで、ツルツルしているのに滑りにくい不思議な感触だった。
強度もあるし、なにより鉄よりずっと軽い。
……これなら、いけるかもしれない。
というか、ここまでやった体の持ち主ダニーの意志をムダにしたくはない。
ダニーの記憶を辿りながら崖の上からおよそのルートを探して脳内シミュレート。
だいたい、蛇行して下りていく感じだ。
「あの岩の右を通り抜けて……左旋回して……」
本当は実地に見て歩いて確かめたいところだが、時間が無い。
おおよその「あたり」をつけたところで切り上げる。
「よし、まぁ、じゃぁ、行くか!」
「ほう、行くのか。よし。やってみせい」
馬車に戻ると、俺は一回深呼吸してブレーキのロックを外し、
手綱を振り上げ、奈落の底へ向かうような崖に馬車を躍らせた。
まだ難産が続いていますが、今週は最低あと1回更新するつもりです。