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秋の彗星(ほうきぼし)

作者: 英知辞典

 夏の盛りが過ぎ、日中ひなかも蝉の鳴き声が遠のいて行く。日が暮れると、やがて訪れる秋の匂いが田畑や草むらから秋の虫の音を静かに誘い出す。

 人々は夏の終わりを感じ何を思うであろうか。真夏のうだるような暑さから解放され、窓から部屋に流れ込む涼風にほっと一息をつくだろうか。木々の葉が鮮やかな赤や黄に移ろうてゆくさまを瞼に思い描き、自然の生み出す色鮮やかな画にひと時心を奪われるであろうか。

 秋は、今に生きる我々を過去への旅に差し向ける。望むと望まざるとにかかわらず、そしてまた何の前触れもなく、気が付けば我々は通り過ぎたはずの過去に、ぽつねんと独り佇んでいる。昼と夜の境が日暮れの夕空には曖昧になるように、過去と現在の境界線が崩れるその刹那、失いかけた希望を再び見出すのは私だけではないだろう。



 晴れ渡った空に、南中した半月が見えている。日はとっぷりと暮れ、それを待っていたかのように星が少しずつ明かりを増していく。すでに夏の暑さを失った風は、木々の葉を揺らしながら、無秩序で調和のとれた虫の鳴き声を乗せて私の下へと運んでくる。

 虫の音に耳を澄ませながら輝く月を見たとき、すでに私は過去にいるのであった。否、過去の私になるのであった。南の空に控えめな光を放つ月を見る私の目は、中学生という未来を待つ小学生の目であり、高校生という過去を経験した大学生の目であった。

 月を見る私の脳裏に描き出される映像は、目の前にちらつき、決して手の届かない、あの頃の日々であった。その映像は、はっきりとした輪郭を持たず各々が重なり合いながら繰り出される。そして、この時私は胸の奥に確かにずしりとした重みを感じるのである。大きなゴムボールに握り拳勢いよく突きつけたときに拳や腕が受ける反動のような、捉え難い不安定な感覚に襲われるのである。

 しかし、私はこれに怯むのではなかった。あの頃を生きた私は、今も私として生きている。これらの私は同一では有り得なかった。しかしこれらは決して別物でもないという安心感が、そして過去と今を結ぶ時と空間を絶え間なく歩み続けたという自信が、私の中にゆらゆらと湧き起こるのであった。私がゴムボールから受けた反動は、まさに私が過去から今を生きるために必要だった力であり、同時に私自身の生き様そのものだったからである。

 秋の月を見るとこのような感覚に陥るのはなぜであろうか。秋という季節の持つこの不思議な作用は何なのであろうか。言葉を以て表すことのできないということそれ自体が、秋に魔性の力を秘めさせるのであろう。

 過去の私が現在まで生きるのに必要だった力を、不安を抱えながらも未知に向かって懸命に突き進んだあの頃のエネルギーを、かつての私は確かに有していた。未来に対して無気力となったとき、秋の季節の訪れは、ほんの一瞬私に過去を思い起こさせる。この幸福な刹那は、遠い宇宙の彼方に、青白い尾を引いて光り輝く彗星のように、いつかまた私の目に帰ってくるのであった。

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