第四話 冒険者という自由の代償
「おかえりなさいっ!」
十日ぶりに帰ったと思ったら、これだ。
飛びついてきたリーリアを避けられず、俺はぐらついた。
俺の顔の下に、彼女の顔がある。
「ただいま。へえ、逃げずによく頑張ったな」
そして、そっと彼女の体を離す。自分の汚れが移るようで、それが気になったから。
「はいっ、一人で何とかお留守番しましたっ! 戸締まりもちゃんとしていたから、盗難もなかったですっ!」
「そりゃ感心感心。ん、なのに何でそんな泣きそうな顔してるんだよ」
「決まってるじゃないですか、グランさんが無事で帰ってきてくれたからですよっ。もしかしたら死んじゃうかもって思って、それで一人で待って......!」
「幸運にも、俺は生きて帰ってこれたよ。二人死んだけどな」
「え?」
途端に沈黙が支配する。
床に荷物を下ろしながら、俺は口を開いた。
「事前の情報どおり、ゴブリンだけならどうとでもなったけどな。トロールまでいたんじゃ、話は別だ。
犠牲者二人出しても、追い払うのが精々だったよ」
「その人達のご家族には――」
「二人とも身寄りはない。共同墓地に葬られて、それでおしまいだ。
ああ、そいつらの持ってた金銭はギルドが回収していったよ」
「そ、んな。命がけで戦ってくれたのに、まるでもうその人達のこと忘れたみたいに」
「覚えときな、リーリア。
冒険者は正規の兵士でも騎士でもない。金で雇われるその場しのぎの戦力だ。
どんな死に方しようが、それは自己責任なんだよ」
そうだ。そんなこと、よく知っていたはずだ。
だけど、何故今日に限ってこんなにも疲れるんだろう。
リーリアの戸惑ったような顔が、こんなにも染みるんだろう。
「酷い......」
リーリアが両手で顔を覆う。小汚ない家に嗚咽が響いた。それを聞いている内に、俺の心も悲しく歪む。
「何でだろうな」
右の手のひらで顔を覆った。自分の声がくぐもった。
「何で、こんな生き方しか選べなかったんだろうな」
答えのない問いだと知りながら、そう問わずにはいられなかった。
† † †
その晩、俺はリーリアに全てを話すことにした。
俺が何故冒険者になったのか。
これまで何をしてきたのか。
何故俺は、彼女を短期間とはいえ引き取る気になったのか。
いや、それより前にこれを言わねばならないだろう。
どんな反応をするかは知らないけれど、言うべきことだと思うから。
自嘲気味の笑みを浮かべ、俺はリーリアに向かい合う。
「もう今さらだと思うけど、君は俺に下心があるとは思わなかったのか?」
「えっ、あっ、それはその、男の人がエッチなことを女の人にするということですか。え、ええと、それはその」
わたわたと顔を真っ赤にして、リーリアは自分の髪をくしゃくしゃにした。
「どうした?」
「いえ、そう考えてみれば何でそれに気づかなかったのかなと! お腹が減りすぎて、そこまで考える余裕がなかったんだと思いますっ!」
「お気楽だな......」
貞操の危機だろ、普通に考えれば。
俺が普通じゃないから、どうにもなってないけど。
はあ、とため息をついた俺を見て、リーリアは顔をひきつらせる。
「もしかしてグランさん、私のことそういう目で見てるんですか? こう、エッチなことしたいとか!?」
「結論から言えばノーだ。
ただし、それは君が魅力に欠けるからじゃない。俺が同性愛者だからでもない」
俺の言葉に、リーリアはほっとしたような、不安なような顔になる。
まだちょっと若いけれど、それでも彼女は美少女だ。
丸みを帯びつつある体は、普通の男なら欲望を刺激されるだろうさ。
「不能なんだよ、俺は。女を抱けない」
絶句するリーリアから目をそらす。
俺は天井を見上げながら、告白を続けた。
「四年前かな。バジリスクとの戦いで猛毒を浴びた。毒自体は解毒薬で治癒できたけれど、性的能力に後遺症が残った。
どんな美人を前にしても、俺のあそこは役に立たない」
「――それって、ごめんなさい。私、男性じゃないから何て言えばいいか」
「分からないだろうね。
ま、そういうこと。最初は焦ったし絶望したよ。
でもそのうちに慣れた。満たされない欲望を抱えている内に、欲望自体が減少していったみたいだ。だから、君を連れて帰っても問題なかった」
俺は女を抱けないからだ。
貴族のお嬢様を傷物にでもしたら、打ち首は免れないしな。
男としての欠点も、こういう点では都合がいい。
「だからお家から、女の人の匂いがしないんですね」
「ん、ああ、掃除でもしたのか。
そうだな、うちに女を連れ込んだのはもう何年も前だよ。前は同棲していた時もあったけど」
そいつがオーガに殺された女だとは、俺は流石に言えなかったね。
リーリアは気まずそうな顔になる。「別に珍しいことじゃない」と声をかけ、俺はさらに語ることにした。
何故冒険者になったのか。
生まれそだった村を飛び出してから、どんな生き方をしてきたのか。
最初は輝いていた夢が、年月と共に色褪せてきたことも。
「田舎育ちのガキが退屈を嫌って、村を飛び出す。自分は特別だ。こんな場所で終わるようなはずがないって、根拠の無い自信を抱いてな」
夢の軌跡を追うように、俺は語る。
溢れる言葉は苦かった。だけど止められない。
「冒険者が夢と希望に溢れる自由業なんて、一年もしたら嘘だと分かった。
どこの組織にも所属してない根無し草で、金で荒事を請け負う便利屋だ。
それでもごく一部のエリート冒険者は、大成功を収めるんだけどな」
「グランさんはそうじゃなかったんですか」
「三十歳過ぎても、冒険者ランクは4に過ぎない。これ以上上がりようがない。才能は欠片もなかった。
それでも生きているだけ、ましとは言われるけどな。その日暮らしの金を何とか稼ぎ、いつまでこんな生活が続くのか怯える毎日さ」
冒険者の受けるクエストには、負傷はつきものだ。
治癒魔法の使い手がいなければ、完全復帰までは時間がかかる。その間休んでいれば、無収入となるわけだ。
「その、傷病手当みたいな制度はないんですか? 冒険者の人達が体を張ってくれるから、助かっている命もあるんですよね。怪我でおやすみの間くらいは」
「そういうもん全部が、クエストの報酬に含まれてるのさ。どの程度考慮してくれているかは知らないけどな」
答えつつも、俺は昔のことを思い出す。
あの時は重症を負って、一ヶ月ほどベッドで寝たきりだったな。
近所の薬師が訪ねてきてくれたが、治療費がえらく高くついたもんだ。
寝たきり状態でじわじわ手持ちの資金が減るのは、精神的にもひどく辛かった。
俺の遠くを見るような目に、リーリアは辛そうな顔になる。
その表情を見るのはこちらも辛い。だけど、言わなきゃいけないんだ。
「夢見て突っ走るのは、そりゃまあかっこいいだろうよ。
失敗しても若さ故の過ちと笑えばいい、そう言う人もいるだろうな。
だがな、大抵は笑えないほど酷い状況に落ちていくんだ。
自分には才能がない、こんなはずじゃなかったと気がついた時には、もう後戻り出来なくなっている」
何度冒険者なんか辞めようと思っただろうか。
だが辞めようとする度に、家を飛び出した時の記憶が甦る。
今の自分のスキルと立場をいやでも認識する。
おい、グラン・ハース。
お前、幾つだ。
十代、二十代の大事な時間に、お前何してた?
自由と孤独とロマンを肩にひっかけて、ただ見果てぬ英雄気分に浸りたかっただけじゃないのか。
「違う、と言いたかった。だけど、言えなかった。
心の片隅で、成功出来ない自分を認めるようで、それが怖くて」
額に手を当てる。
ずきずきと頭痛がする。
指の間から見えるリーリアの顔は、とても綺麗だ。
でも同時にとても悲しそうだ。
その唇がゆっくりと開く。
「グランさん......いやです、そんなこと言わないでください」
「もう十分分かったろ? リーリア、君はここにいるべきじゃない。しがみついてでも、子爵家令嬢の座に戻るべきだ。
俺の留守中に、君は色々なものを見たはずだ。うちの周りに住む連中も、ろくなもんじゃないからな」
俺は畳み掛けた。
リーリアが怯む。
その問いだけで十分だったようだ。
全てではないにせよ、怪しげな雰囲気くらいは理解していたらしい。
「故買屋にいけば、盗品が売られてる。親の形見でさえも、二束三文で買い叩くような連中だ。
酒場の女給仕は、売春婦と同意義さ。心から囁く愛よりも、金で売買できる肉欲の方が尊ばれる。
万が一望まぬ妊娠が起きれば、彼女らは堕胎の施術を依頼しにいく。それを引き受けるのは、もぐりの治療師だ。冒険者稼業の傍ら、そうやって小銭を稼いでいるんだよ」
「もう、やめてください......たくさんです、もう十分分かりました。だから、やめてください」
悲鳴のような声をあげ、リーリアは肩を落とす。これ以上無いほど、その表情は暗い。
彼女もそうした光景を見たのだろう。だが、それがどういうものか確信が持てなかったらしい。
俺の説明がそこにダメ押しとなったわけだ。
「ああはなりたくないだろ、お嬢様。
人にはな、それぞれの地位や立場に合った進むべき道がある。そこにも苛立ちや重責はあるだろうけど、そこから逃げちゃダメなんだよ」
「逃げちゃ、ダメ」
「ああ。退屈な毎日に思えたとしてもな、そこから何かを見出ださないといけないんだ。
安易に逃げたら、あっと言う間に堕ちていくだけだ。俺みたいにな」
「そんな、ことないです。グランさんは私の命の恩人で」
「ぱっとせず、うだつが上がらないままのその日暮らしの冒険者さ。しかも不能で、男としても失格だ」
はは、自分で言ってて悲しくなるな。
リーリア、頼むよ。頼むから分かってくれ。
君は戻れ。今なら間に合う。早く自分のいるべき場所に戻れ。
俺は彼女に背を向けた。
そのままこの家から消えてくれと、そう願いながら。
だが、そのささやかな願いは叶えられなかった。
「分かりました、帰ります。だけど、その前に」
リーリアの声が近い。気配を感じて振り向きかけて。
「一晩だけ一緒にいさせてください」
声。
続いて柔らかい感触が、背中に当たる。
リーリアが抱きついてきたと分かったのは、驚きのせいか少し遅れた。